第99話「怪人」前編(改訂版)

 第五十九話「怪人」前編


 「それで……三堂さんどう 三奈みな六王りくおう 六実むつみと分断され、孤立させられた”七山 七子おまえ”は王族専用の馬車を護りながら戦ったが奮戦空しく虜にという訳か?」


 ――香賀美かがみ領、香賀かが城内の大広間


 そこを急造の執務室に仕立て戦後処理の事務作業に鋭意努力していた俺だが、

 漸くそれも終わりが見えた頃に訪れたのは給仕メイド姿の女。


 古風クラシカルなシルエットのロングスカートワンピースにエプロン姿、頭にはレースのヘッドドレスという伝統的オーソドックス給仕メイド……京極きょうごく 陽子はるこ王族特別親衛隊プリンセス・ガードが七枚目、七山ななやま 七子ななこであった。


 「はい、仰せの通りです」


 何時いつになく言葉少なく給仕女メイドは、応接ソファーに腰掛けた状態でその前のテーブル上に積み上げられた書類の山越しに自分を見る男……


 鈴原すずはら 最嘉さいかに対し、床に片膝を折って深くこうべを垂れていた。


 「奪われたのか……この戦の”大義”を」


 「申し開きもありません、全て私の失態です。この上は命をもって償い……」


 バサッ!


 「っ!?」


 俺の言葉にそのままの姿勢で応えた女に向けて、俺は数枚の紙切れを投げ捨てる。


 「……」


 目の前に落ちた何枚かの紙を、頭は伏したままで視線だけを動かし見る七子ななこ


 「嘆願書だ、お前を赦して欲しいと……同僚からのな」


 「……」


 しかし女はその後は紙切れを一瞥さえもせずに首を横に振る。


 「他の王族特別親衛隊プリンセス・ガードがどう言おうがこの失態はあがなえぬものです。何卒なにとぞ、規定に基づいた処断を」


 「……」


 尾宇美おうみ城攻防戦にて、城を放棄して待避した部隊の一部が謎の敵部隊に襲撃された。


 ――何故、そのような所に敵の部隊が駐留していたのか?


 ――俺の策が看破されたのか?


 七子ななこより先に入城した三堂さんどう 三奈みな六王りくおう 六実むつみの報告から考えるに、どうやらそれは全くの偶然のようだった。


 戦の序盤にて先鋒隊として攻勢を仕掛け、京極きょうごく 陽子はるこの”十面埋伏”の策に散々な目に遭った敵は、命辛々いのちからがらに見当外れの森へと逃走したという。


 その部隊が何故かそのまま森に潜んだままだった、何日も……


 ――恐らく、


 栄えある一番槍を名乗り出てみたものの、戦に敗れた敵司令官はその為体ていたらくでは藤桐ふじきり軍に戻っても出世の道からは完全に外れたも同然。


 かといって、今更、陽子はるこの陣営に戻る事など出来ようはずも無く……


 そう判断した司令官は今後の方針を決めかね、自部隊ごと姿を眩ませていたのだろう。


 ――なんて利己的な男だ


 俺は溜息をく。


 ――だが……


 武人としてもとる男の行いは、どういう星の巡り合わせか、”逃走先そこ”で思いも寄らない幸運に巡り会った。


 「……祇園ぎおん 藤治朗とうじろうねぇ、どんな男だ?」


 俺は相変わらず深くこうべを垂れたままの給仕女メイドに問いかけた。


 「はい……中冨なかとみ流剣術道場の師範代の一人であり、栄えある天都原あまつはら”十剣”が一振り……ですがその人物は好ましく無く、忠義の欠片も無い出世欲の……いえ、あらゆる欲にまみれた軽薄な男です」


 「……」


 七子ななこの答えに俺は暫し考える。


 ――確かに……情勢を見て王太子、藤桐ふじきり 光友みつともが有利であると判断すれば直ちにそちらへ鞍替えするような輩だ、七子ななこの言うとおりの人物だろうが……


 「あまりに”あからさま”で、意図的なふしもあるなぁ……」


 「……?」


 呟いた俺の言葉が聞こえたのだろうか、伏した給仕女メイドは一瞬だけ顔を上げて俺を見た後で直ぐに元の様に床に視線を張り付かせる。


 「まぁいい……それよりも、これで俺達は”戦の大義”を失った訳だが……どう思う?」


 そして俺は――


 視線を移動し、室内最奥部に鎮座する”ある人物”に問いかけていた。


 ――


 「…………」


 僅かに出来た静寂の間、伏したままの七山ななやま 七子ななこの口元がピリリと締まった。


 今の今まで罰を求めていた”作戦司令官オレ”に対するなんかよりも段違いの緊張感だ。


 「…………陛下を奪われたのは確かに失態だわ」


 静まりかえった空間に、静かな口調が響く。


 「それは、まぁなぁ……」


 「…………」


 そこには――


 緩やかにウェーブの掛かった美しい緑の黒髪と、

 白い陶器の肌に、それとは対照的なあかい唇……


 そして、対峙する者を尽く虜にするのでは無いかと思わせる、恐ろしいまでに他人ひとを惹きつける”奈落”の双瞳ひとみの美少女。


 急造の執務室に仕立てあげられてはいるが、元々は国事などの重要会議が開かれる大広間の最奥部に常設された主たる者が座する豪華な椅子に座った希なる美少女が、俺の問いかけに応えたのだった。


 「でもそれが失態であるのは間違い無いけれど、それならその部隊を既に”死に隊”だと放置した私は更に重罪……」


 ――紫梗宮しきょうのみや 京極きょうごく 陽子はるこ


 本州中央南部の大国、天都原あまつはら王弟おうていである京極きょうごく 隆章たかあきの第三子であり、天都原あまつはら国軍総司令部参謀長を勤める才女で、王位継承第六位の王族でもある美姫だ。


 「……」


 俺は続く陽子はるこの言葉を黙って聞いていた。


 京極きょうごく 陽子はるこの第二隊がこの香賀かが城に到着して一時間後、それに続いていた第三隊護衛の三堂さんどう 三奈みな六王りくおう 六実むつみが戦闘でボロボロになった隊を率いて辿り着き、更にその後二時間後に七山ななやま 七子ななこが単身で到着して、この報告に至っている。


 「……そして作戦を引き継いだ”司令官”は、”祇園 藤治朗あのおとこ”の部隊に、その後に考えが至らなかったのだから私以上に重大な過失と言えるわね……どうかしら?最嘉さいか


 ――おいおい……しれっと無茶言うなぁ


 俺は苦笑いしながら視線を目前でかしず給仕女メイドに移す。


 「てな訳だ、お前は司令官二人が不甲斐ないばかりに残ってしまった負債に、その身を張って最善を尽くした、なんの咎も無い」


 「で、ですがっ!」


 慌てて顔を上げてそう食い下がろうとする七子ななこに……


 「少なくとも”間抜けの総本山”たる俺や陽子はるこにはお前を裁く資格は無いって事だ」


 俺はそう言って起立する事を促した。


 「……」


 七子ななこはまだ何か言いたそうではあったが、それが主君である陽子はるこの、現場司令官である俺の裁定だという事実と、同僚達の気持ちを無下には出来ないと考え直したのだろう、再度こうべを垂れてから立ち上がる。


 ――運が悪いと言えばそれまでだが……現実は常に完璧にとはいかないものだ


 そして俺は、たとえ綿密な策、周到な用兵をもってしても、戦とはくも”完璧たり得ぬ代物”であると、新たな苦い経験を心に刻むと共に再認識したのだった。


 ――ある意味その”教訓”こそが一番の収穫か?


 俺がそんな風にここまでの戦に対して総括をしている間に……


 「七子ななこ、お茶を入れ直して貰えるかしら?何かにつけて非凡なこの稀代の軍師、鈴木 燦太郎りんたろうは、お茶の入れ方”だけ”は凡人以下のようだから」


 暗黒の美姫はさも残念そうに俺を見てから、たった今、無罪放免となった部下に指示を出す。


 「おい、”紅茶それ”って部屋に入って来るなり、お前が入れろって我が儘を……」


 そしてその暗黒の美少女は、そんな台詞とは裏腹に僅かに口元が綻んでいた。


 ――ちっ


 俺は心中で舌打ちする。


 「は、はい、畏まりました」


 そんなことに関わりの無い給仕女メイドは頭を下げて”暴君かのじょ”の前に用意されたテーブル上の紅茶セットに向かう。


 「……」


 京極きょうごく 陽子はるこはこの香賀かが城に到着して直ぐに俺の元を訪れた。


 ――”最嘉さいか、咽が渇いたわ”


 そして戦後処理のため、天都原あまつはら軍のため、ひいては京極きょうごく 陽子はるこのために……

 大量の書類と格闘する俺に平然とそう告げると、一番上等な最奥部の椅子に腰掛けたのだった。


 因みに後発していた第三隊の三堂さんどう 三奈みな六王りくおう 六実むつみが緊急報告を持ってボロボロの状態で到着したのがその一時間後、七山ななやま 七子ななこに至っては更にその二時間後である。


 だのに”暗黒の美姫”様は、”いけしゃあしゃあ”とそう言ってのけたのだ。


 カチャカチャ……


 主命に従い、今さっき赦されたとは言え未だ恐縮が残る給仕女メイドは、俺がせっかく用意した紅茶セットを手際よく片付けて部屋を一時退出して行く。


 七子かのじょも普段通りの仕事をすれば、少しは気持ちも落ち着くだろう……


 ――このように、陽子はるこの部下に対するさり気ない気遣いは流石だ


 とはいえ、


 ――俺に対する気遣いはナッシングかよっ!


 と、あからさまに顔に出す俺だが、このお嬢様は今更気にしないだろう。


 「で、陽子はるこ……大事なのは今後だが、”大義”を失った俺達が戦う理由は無くなった訳だ。この上は大人しく藤桐ふじきり 光友みつともに帰順するか?」


 そして気を取り直した俺は、答えが解っていながらも京極きょうごく 陽子はるこにそう尋ねる。


 「…………最嘉さいかは本当にそう思っているのかしら?」


 「……」


 やはり大方の予想通り、最大の窮地かも知れない状況にも落ち着いた彼女の表情。


 「いいや、ちっとも」


 俺はそうだろうと、笑って返す。


 ――実にはるらしい


 ――惚れ惚れするほどに……


 陽子はるこはいつも通り余裕の顔で毅然とした佇まいで――


 「……」


 だが、実際のところ彼女の表情は本当は微妙に硬い。


 いや、表面上はそうで無くとも俺には解る。


 彼女にとって叔父である天都原あまつはら王は、恐らく天都原あまつはらという国で彼女を本当の意味で評価した数少ない人物だろう。


 血縁でもあるし、なにより強引過ぎる手段で王位を迫る王太子、光友みつともの暴挙からその身を盾にして護った……


 勿論、光友みつとも陽子はるこにとっても政敵であるという事実はあるだろうが、それでも彼女は他人が噂するほど冷血漢では無い。


 断じて無い!


 ――はるは本当は……


 緊張で少し固くなったと感じている陽子はるこの表情を眺めながら、俺は彼女の視線に頷く。


 「でしょうね……陛下を奪われたのは確かに失策だけれど、光友みつとも殿下の第一の目的は私を誅殺する事、父君である陛下を無下には扱わないでしょうし、此方こちら此方こちらで言い分はあるのだからこのまま引き下がるわれはないわ」


 「……」


 「ただ……藤桐ふじきり 光友みつともはこの期に陛下に禅譲を迫るでしょうし、陛下の病状、体調を考えると……」


 「……」


 ――先程より解りやすく、固めの表情になる陽子はるこに俺は……


 「最嘉さいか?」


 ――っ!


 俺は陽子はるこの声で慌てて彼女の顔から視線を外した。


 「あ、ああ、そうだな……で、多分聞いたことが無かったと思うが、天都原あまつはら王、藤桐ふじきり 光興みつおき公の病名って一体なんだ?」


 そして話をらすように話の主題を微妙に変化させる。


 事実俺は、十年以上前に発病し不治の病であると噂は聞いてはいるが詳細は知らない。


 「……解らないわ」


 陽子はるこは整った顔立ちに一瞬影を落とし、小さく溜息をいた後で答える。


 「病名さえ不明なのかよ?名だたる名医達が診察しても……だよなぁ?」


 「……」


 ――?


 気のせいだろうか、一々、陽子はるこの暗黒の瞳が意味有りげに俺と絡む。


 「な、なんだ?おかしいこと聞いたか?」


 「…………”医者”には……解らないでしょうね」


 ――また含んだ言い方を……


 「病魔に関連することで医者に解らなきゃ誰にも解らないだろ、普通?」


 俺は当然真意を問うが……


 「そうね、でも……私と最嘉さいかには解る事かも知れないわ」


 ――?


 返って来たのは謎かけのような答え。


 ――なんだそれ?それこそハテナだ……


 「陛下は十年以上前に”在る人物”とまみえられたらしいのよ……それはそれは奇妙な人物だったと」


 「奇妙な?……なんだそりゃ」


 それが謎の病魔と何の関係が……


 「相手は彼方此方あちこち凹んだ、顔をスッポリ覆い隠す鉄兜を被った所属国不明の男で全体の雰囲気から老騎士だったと。その歪な兜の隙間から爛々と光る二つの眼が覗いていたって…………どう?どこかで聞いた話では無いかしら?」


 「……」


 ――突拍子も無い振りだが……正直、心当たりはある


 それこそ昔……俺と陽子はるこが遭遇した”ヤツ”もそんな奇妙な人物だった。


 「俺とはるが会ったのは……両眼の部分だけに歪に穴を開けた、汚い布袋を被った幼女だったと思うが?」


 俺の記憶に間違いが無ければ確かにそうだ。


 「そうよ、性別も年齢も似ても似つかない……でも」


 ――でも……


 「顔を覆い隠した怪しい部分……か?」


 「ええ、なんの根拠も無いわ、でもどうしてもそう思ってしまう」


 共通点はそれだけ……たった”それだけ”なのに陽子はるこは……いや、俺達はこの時、そう言う思いを同時に抱いていたみたいだった。


 「その”覆面怪人”に会って以降、藤桐ふじきり 光興みつおき公は病魔に冒されたのか?」


 そして経緯を更に詳しく聞く俺に彼女は頷いた。


 「病名は不明、だけど体中が徐々に死んで……崩壊してく、”呪い”ともいえる原因不明の現象……」


 「……」


 ――なるほど、”俺の右足”とそっくりだ


 俺は今日の所は疼くことも無く、問題が無い自身の右膝をチラリと見て再び暗黒の美姫に向き直る。


 「あの時……俺は右足を呪いに喰われ、陽子はるこは……」


 「ええ、”魔眼”の能力を奪われた」


 俺の言っている意味を察し、少女の漆黒の瞳が応える。


 それは二年近く前、”十戒指輪クロウグ・ラバウグ”を手に入れて数日も経たない頃だったろうか……


 ある日、俺達二人の前に忽然と姿を現した怪人。


 両眼の部分だけに歪に穴を開けた汚い布袋を被った幼い少女は、無言で俺達を眺めた後に、現れたときと同じ、空間に同化するかのように消えた。


 ――まるで最初からそこには何も無かったかのように……


 白昼夢か、狐にでもつままれた様な感覚。


 だがそれが夢でも幻覚でも無かった事は後日解った。


 それ以降……


 京極きょうごく 陽子はるこは暗黒の”魔眼”……その能力を失い。


 鈴原 最嘉オレは右足の自由を奪われた。


 俺達はその事象が……

 その”代償”ともいえる原因が……


 あの謎の少女にあると、あの覆面怪人が何かをしたのだと……


 何故かお互いにそれだけは確信していたのだ。


 ――陽子はるこは言った


 ”十戒指輪クロウグ・ラバウグ”はいにしえの魔獣、十二の邪眼を所持する魔獣バシルガウを封印せし神代じんだい宝物ほうもつだと。


 ならば、これはその”呪い”の類いではないのかと。


 ――最嘉オレは考えた


 神話や悪魔、魔獣なんてトンデモ話というのは兎も角、現実に俺の足は原因不明の損傷を負い、はるの”魔眼”はその能力を失ったという。


 ならば”呪い”という程度の”非現実いかさま”くらいは存在するのかも知れないと。


 新種のウィルスか、心理的影響力を何らかの形で肉体にまで及ぼす事が出来る術があるのかも知れない……と。


 そして――


 全ての鍵は……


 一連の”覆面の怪人”であるのだろうと。


 第五十九話「怪人」前編 END

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