第89話「走為上計」前編(改訂版)

 第四十九話「走為上計そういじょうけい」前編


 ツカツカツカ……


 若い男が足早に歩み寄り、そして俺の前でピタリと止まる。


 「こっちの用事は大体済んだ。彦左ひこざさんも無事だったし、これで香賀美かがみ領もほぼ手に入ったといえるな」


 声の主は若い男……


 俺や陽子はることそう変わらない年格好の男の右目は僅かに鈍い光りを発していた。


 「ん、どうした?……あぁ、これか……」


 そして男は俺の不躾な視線に気づいたのか、胸元から味気ないデザインの眼鏡を取り出してそれを装着する。


 「義眼だよ、ちょっと色々あってな……と、それよりも用事があって来たんだが」


 男の装着した眼鏡は恐らく伊達眼鏡だ。


 近くで見ると気づく者は気づくであろう右目の”義眼”と、その目尻に残る小さい傷跡を誤魔化すためのアイテムだろう。


 「おい?聞いてるのか、俺は男にジッと見つめられる趣味は無いんだが」


 「そんなのは俺にだって無い、俺だって愛でるなら可愛い女子……」


 俺は作業中の手を止めて、偽眼鏡男に応じる。


 「例えば」


 「おぅ、例えば……」


 そして俺は直ぐさま不快な嫌疑を払拭し、相手の男もそれを受けてほぼ同時に口を開いた。


 「京極きょうごく 陽子はることか」


 「燐堂りんどう 雅彌みやびだな!」


 ――っ!


 「ぬ、ぬぅぅ」


 「ちっ!」


 俺達はお互いの理想をぶつけ合い、そして暫く無言で睨み合う。


 そうそう、この男の名は穂邑ほむら はがね


 旺帝おうていの独眼竜と呼ばれる……呼ばれていた、最強国旺帝おうていの前王、”黄金竜姫おうごんりゅうき”と名高い、燐堂りんどう 雅彌みやびに仕える男だ。


 「お前、眼鏡の度数、変えたらどうだ?独眼竜!」


 「ばーか、これは伊達だ、視力が悪いのはお前だろ、臨海りんかい詐欺ペテン師!」


 「……」


 「……」


 ――ぬぅぅ!なんて失礼な男だ、このにせ眼鏡くんめ……


 確かに旺帝おうていの前王、”黄金竜姫おうごんりゅうき”と名高い姫は吟遊詩人に詠われる程の美姫と聞くが、そんなのは”俺のはる”だってそうだ。


 お茶の子さいさいだ!


 「”無垢なる深淵ダークビューティー”の美貌は旺帝おうていまで響いているがな、”俺のみや”の可愛さはそんな程度じゃないからな!」


 ――ちっ!独眼竜め……俺の心の声と同じような台詞を……


 まぁいい、どちらが真実かは直ぐに結果は出る事だ。


 この後すぐに……


 美姫ほんにん達の意思はともかく、二人の従姉妹いとこ同士はまみえるのだから……


 そう、……旺帝おうてい領土内にある香賀美かがみ領で。



 ――

 ―


 「正気なの?城を捨てて逃亡などと……ここまで来て血迷っている場合では無いと思うけど?」


 「それも……ですが、そもそも何処どこに逃げるというのですか?天都原あまつはらを追われて行く宛てなど……まさか鈴原すずはら様の臨海りんかいへとでもいうのですか!」


 「問題外だ!天都原あまつはらは姫様の国だ。その姫様が何故に逃げ隠れする理由があろうか!」


 王族特別親衛隊プリンセス・ガードの堅物担当三人娘が口々に反論して来る。


 ――あーはいはい、大体こうなるって解ってたよ……ほんと


 ちょうど一週間前の深夜、世界が近代国家世界に切り替わる前夜、尾宇美おうみ城での緊急会議の席で……


 俺は”王族特別親衛隊プリンセス・ガード”達を集めて今後の方針……

 というか、火急の指示を出したのだった。


 で、結果は先の通り、反論の嵐だった。


 ならばと、司令室中央に設置された大テーブルの上にある遊戯ゲーム盤を囲む様に座る”王族特別親衛隊プリンセス・ガード”達に、俺は用意済みの回答を返す事にする。


 「正気か?だと、なら明日以降、世界がもう一度この”戦国世界”に切り替わった時に四大国の連合軍は間違いなく一斉包囲を行ってくるだろうが、それにこっちはこの寡兵でどこまで抗えると?逆にお聞かせ願おうか、六王りくおう 六実むつみ?」


 ――先ず一人目……


 「それは……私の仕事では無い。策を構築するのは貴方の……」


 スラリとした長身に凜とした佇まいで、長い黒髪を簡易的に後ろで束ねた女が少し口籠もってから論点を逸らした解答をし、俺は内心ニヤリとほくそ笑んだ。


 「なら、方針は脱出だ!策を構築するのは参謀である俺の仕事なんだろ?」


 「うぅ……」


 してやったりの俺の言い回しに、六実むつみは恨めしそうな瞳を返す。


 ――誘導気味に言質を取っての反論……少し意地が悪かったか?


 「まぁな、そもそもが籠城ろうじょう戦なんていうものは、引き籠もって頑張っていれば何処どこからか援軍が駆けつけてくれるってのが前提だ。孤立無援の現在の俺たちの状況じゃ土台意味が無い作戦だったって事だ」


 俺は険があった言い方に少々反省し、改めてフォローの説明を入れつつ、チラリとご大層な椅子に座る”暗黒の美姫”に視線を投げた。


 「……そうね、でもその無理のある籠城戦初期の段階でわざと懐まで敵の大軍をおびせ、包囲網を狭めさせた上で敵に予想外の善戦を見せつけた。それにより必要以上に相手に警戒心を植え付けることに成功したのは見事だったわ」


 豪華にあつらえられた王族専用の椅子に腰掛けて、給仕メイド姿の王族特別親衛隊プリンセス・ガードが七枚目、七山ななやま 七子ななこが入れた上品な香りの漂う紅茶を嗜む姿がなんとも絵になる美少女は、ごく自然に、現時点での俺達の状況を分析して、要点を押さえた説明を織り交ぜた答えを返す。


 「それは……なるほど」


 「だから籠城ろうじょう戦にこだわって……」


 陽子はるこの言葉に、面々はハッとした顔になった。


 ――完璧パーフェクト……陽子はるこは本当にそつが無い、勉強になるなぁ……


 「ああ、そうだ。はなから籠城ろうじょう戦で無く、脱出離脱するための作戦だった」


 京極きょうごく 陽子はるこの手並みに感心しつつ、皆の疑問に俺は応える事にする。


 「大軍に包囲されていては逃げる事さえ至難だ。ましてや正直足手まといの病弱な王や一般の人員を多数引き連れてなど問題外」


 ――


 自らの国の王を足手まとい扱いされ、少しだけ視線に険しさが出る面々だが、それでも俺の言いたい事が段々と理解出来てきたようだった。


 「だから……だから鈴原すずはら様は、籠城ろうじょうと見せかけて敵軍を誘き出し、包囲網を限界まで狭めさせた上で、各国軍を個別撃破していった。それは、敵の撃破そのものよりも、それにより相手に必要以上の警戒心を植え付けるのが本当の目的だった……と」


 瞳に澄んだ叡智を内包した少女、八十神やそがみ 八月はづきがそれを輝かせ気味に確認してくる。


 ――やはり……さといな。少しばかり”興味深いおもしろい”人材だ


 「そうだな……因みに多国籍軍だからこそ、お互いに功を焦り、序盤で未だ連携のとれていない状況につけ込めるかってのが、数に劣る防衛軍おれたちが採れる各個撃破最大の要点だった」


 今回俺が打ち出した策には納得していないが、それでもここまでの結果として功を成した作戦に興味津々、熱心に学ぼうとする少女に俺は捕捉してやる。


 「そこまで……織り込んで……」


 「行動と心理は一体だ。実際の戦では常に敵の、味方の心理を頭に置いて策を構築する」


 「…………」


 一連のやり取りで何故か少し頬を赤らめた少女は数秒、俺をジッと見詰めてから再び言葉を発した。


 「では!では……包囲網を小さく狭めさせたけれど、それでも敵に与えた警戒心で限界の一線は越えてこないようにさせる事に成功したのも全て鈴原すずはら様の策通りだったのですね!」


 「ち、ちょと……八月はづき


 少し興奮気味になる少女に六王りくおう 六実むつみが声をかけるが……


 「大軍に大きく網を張られたら脱出は困難です、でも、でも、それが小さい網なら?

 しかもそれが一定時間は動かないとなれば……これは全て”尾宇美城軍こちら”に都合の良い状況を作り上げるための種まきだったのです!」


 くせっ毛のショートカットにそばかす顔の少女は、綺羅綺羅きらきらとした表情かおで俺の策を語る。


 ――ほぅ……既に俺の仕込んだ策の意味を捉えたか


 「まぁな、これで上手く隙を見て城から抜け出す事さえ出来れば、敵軍の後方は手薄で一気に安全圏まで離脱できる」


 俺は”王族特別親衛隊プリンセス・ガード”八枚目の少女に感心しながら答えた。


 ――そうだ、八十神やそがみ 八月はづきが言うとおり、斯くして蒔いた種はこの瞬間、結実したのだ!


 ざわざわ……


 ひそひそ……


 予測もしていなかった籠城ろうじょう戦の真実。


 そして、それに呼応するべき緊急の指令に室内はざわめいていた。


 ――無理も無い……か


 こんな変則的トリッキーな策を俺みたいな他国の……

 しかも心証が良くない臨海りんかい鈴原すずはら 最嘉さいかが提案しても、いまいち信用に欠けるだろう。


 だから俺は説得しやすい名前を出す事にする。


 「で、はるは……」


 「っ!」


 ――


 「陽子はるこ姫殿下は……何処どこに逃げ込む算段だったんだ?」


 彼女の名前を呼ぶ時、馴れ馴れしいとばかりに一原いちはら 一枝かずえにひと睨みされた俺は、慌てて言い直しながら、話題をここに居る皆が尊敬し信望する主君にふった。


 「…………」


 それを受けた、大国天都原あまつはら、王位継承第六位の王族で天都原あまつはら国軍総司令部参謀長を勤める才女、紫梗宮しきょうのみや 京極きょうごく 陽子はるこ姫は無言だった。


 無言で、他人ひとの魂を虜にする奈落の双瞳ひとみで……


 およそこの世の存在全てを無価値に貶める美貌の少女は俺を見据える。


 「姫様が?この男と同じ事を……」


 「本当ですか?陽子はるこ様、最初からこの地を放棄するお考えだったとは……」


 そして京極 陽子かのじょは、白い透き通る陶器の肌に対照的なあかい唇の端を僅かに上げて、俺だけにクスリと微笑わらう。


 ゴクリッ……


 ――唇……白い肌に映えるあかい唇……


 俺はそれが柔らかくて甘い事を知っている。


 何度か触れた、触れられた……彼女の唇の感触を想い出して胸が熱くなる!


 「…………」


 ――ちっ!ずるいな……お嬢様


 「ん!んん、コホン……姫殿下、参考までにご教授願いたい」


 如何いかなる場合でも惚れた方が負けだと、俺は再認識しつつなんとか答えを促す。


 王族特別親衛隊プリンセス・ガードの面々は驚いた様子だったが、俺は最初から確信していたのだ。


 はるなら……”無垢なる深淵ダークビューティー”、京極きょうごく 陽子はるこなら俺と同じ選択をすると……


 だから俺は皆の前で確認する。


 俺の意見では納得しない面々を説得するために……


 ――クスッ


 「っ!?」


 暗黒の美姫は微笑わらった。


 俺に向け……自身の部下に手こずる俺を見て……確かに微笑わらったのだ!


 ――くそ!誰のために俺が……相変わらず良い性格だよ、お嬢様


 ひとしきり俺の困り顔を堪能しただろう美姫は、その可愛らしい唇をゆっくりと開く。


 「ええ、そうね……でも最嘉あなたのおかげで、臨海りんかいの参戦という動きのおかげで、私の考えていた待避先ルートは無くなったわ」


 ――っ!


 悪戯好きの暗黒姫のその一言で、俺の思惑とは少し違う方向へ……


 彼女の部下達が俺に向ける視線は更に厳しいものに一変していた!


 ――おいおい……言い方っ!言い方気をつけようねっ!ね!


 「う……あ、ゴホン……えと」


 俺はたじろぎながらわざとらしく咳払いして……観念する。


 あくまで俺の口から説明しろと……この暗黒のお嬢様は仰っているのだ。


 ――わかったよ……ならっ!


 「”蟹甲楼かいこうろう”は悪くない考えだが、俺の用意した非難先の方がよりベストだぞ」


 俺は答えを披露する。


 「なっ!?」


 「か、蟹甲楼かいこうろうっ!?」


 「あの……南阿なんあの難攻不落要塞だった?」


 俺が自ら推測する陽子はるこの策を披露した途端、陽子はるこの部下達は一様に驚きで言葉に詰まって……


 「ふふっ」


 暗黒の美姫の瞳は愉しそうに細められる。


 さも、


 ――”よく出来ました!”


 と言わんばかりに細められたのだった。


 第四十九話「走為上計そういじょうけい」前編 END

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