第85話「狂人の交渉場(テリトリー)壱」前編

 第四十五話 「狂人の交渉場テリトリー 壱」前編


 「では、こちらが提示された条件を受け入れなければ、菊河きくかわ 基子もとことその部隊の兵士達は即刻処分されるという事でしょうか?」


 長い髪を二つに割って三つ編みにし、それを輪っかにしてそれぞれを両耳のところで留めた髪型の、整った顔立ちの女性が言う。


 特徴的な白い肌、白い髪は……それは色白と言うよりは、色素を全て忘れて生まれてきたような、そんな不自然な希薄さだ。


 テーブルを挟んで座る俺に問いかける、彼女の瞳のみが僅かな碧い瞳ということ以外は本当に華奢で存在感の薄い人物だった。


 ――アルトォーヌ・サレン=ロアノフ


 西の強国、長州門ながすどの”覇王姫”が懐刀として名高い”白き砦”


 「果たして、貴国としては我が長州門ながすどをそこまでして敵に回す危険を冒す理由があるでしょうか?そもそ天都原あまつはら国内の内紛に部外者の臨海りんかいが参戦している事自体が……」


 「それを言うなら長州門ながすどもだろう?どの国がどうなんてこの期に及んでは無意味だ、あるのはただそれぞれの国の思惑だけ、違うか?」


 存在の希薄な女、アルトォーヌ・サレン=ロアノフの言葉を切って俺は反論する。


 「では、鈴原すずはら様はどうあっても我が長州門ながすどと事を構えるお積もりですか?残念です。臨海りんかいの若き王は”まれなる賢君”であると、こうしてお目にかかれる事を楽しみに参ったのですが……」


 言葉とは裏腹に、さして残念そうでもなくそう言うアルトォーヌ。


 ――ここに至る経緯として、我が臨海りんかい天都原あまつはらで話題の人物、”鈴木 燦太郎りんたろう”から交渉材料として長州門ながすど菊河きくかわ 基子もとこを預けられ、交渉全般を任せられた事になっていた。


 「俺としても美人に幻滅されるのは残念きわまるが、捕虜の使い道は”白き砦”殿の考えとはちょっと違うな」


 そしてその交渉相手の手法は、成る程、色々と体裁は整えてはいるが、結局は大国故の脅し……


 ――”ツベコベ言わずに引き渡せ!”


 って、事だろう。


 俺はそれを充分承知した上で、わざと含みを持たせた言葉を返したのだ。


 「…………」


 姿勢良く立った存在感の儚い美女は黙って俺の顔を、思考を探ろうとする。


 だが――


 「貴国が我が臨海りんかいに敵意を向けると言うのなら、こちらにもそれに対処するだけの用意があるという事だ、捕虜の使い道は返答如何いかんによって……」


 俺はそんな駆け引きなど無用とばかりに、直ぐさま続きの言葉を発した。


 バンッ!


 「っ!?」


 臨海りんかい王たる鈴原すずはら 最嘉さいか、つまり俺と、長州門ながすど随一の知恵者、”白き砦”こと、アルトォーヌ・サレン=ロアノフとの交渉を遮るような、渇いた音が室内に響き渡る。


 「……ペリカ」


 アルトォーヌは仕えるあるじの名を呟き……


 「…………」


 俺は自身の正面、木製テーブルを挟んで俺の対面に座る、目の覚めるような深紅の長い髪と勝ち気そうな抜きん出た美貌を誇る女を視界の中央に収めていた。


 ――少し癖のある燃えるような深紅の髪


 ――ただ一度ひとたび目見まみえただけで確実に脳裏に刻み込まれる程の見事な紅蓮の瞳……


 つめる者ことごとくを焼き尽くしそうなほど、あかあか紅蓮あかく燃える紅玉石ルビー双瞳ひとみ


 木製テーブルを合図代わりに叩いて、俺達の会話を強引に中断させた紅蓮あかい姫の石榴ざくろの如き艶やかな唇がゆっくりと開く。


 「迂遠なやり取りは不要よ、最嘉さいか……基子もとこを解放するか否か、従うか抗うか、それのみがわたくし最嘉あなたに欲する言葉、違う?」


 「…………」


 ――ここは臨海りんかい市にある鈴原すずはら本邸の応接室


 我が臨海りんかいと西の大国”長州門ながすど”の交渉の席には、長く重厚な木製テーブルを隔てて臨海りんかい側の中心に座する俺とその背後に控えて立つ二人の部下が居た。


 左後ろに、白漆の鞘が美しい刀を手に立つ麗しの白金プラチナ姫、久井瀬くいぜ 雪白ゆきしろ


 右後ろには、我が国が誇る情報収集のエキスパート、臨海りんかい軍特務諜報部隊、通称“蜻蛉かげろう”隊長、花房はなふさ 清奈せなだ。


 そして反対側には”覇王姫”こと、紅蓮ぐれんほのおひめと恐れられる長州門ながすど君主、ペリカ・ルシアノ=ニトゥが座しており、その後ろに控えて立つのは臨海側おれたちと同じ二人の部下だ。


 左後ろに”長州門ながすどの両砦”と称えられる覇王姫の腹心が一人、”白き砦”のアルトォーヌ・サレン=ロアノフ。


 右には……えっと、誰だったっけ?


 「……」


 と、とにかく……四、五十代という年齢の、人相が悪い僧侶ぼうずが難しいつらで俺を値踏みしているようであった。


 「さぁ答えなさい、最嘉さいか


 鮮烈にあかい石榴の唇が、優雅な笑みと供にゆっくりと開く様は、ほのかに揺らめく熱き炎のようだった。


 如何いかに紛争事を控えるのが基本の”近代国家世界”であるとはいえ……

 敵地只中で有無を言わせぬこの余裕の笑みはある意味凄い。


 他人の事はあまり言えないが、この紅蓮あかい女は結構な”唯我独尊”の性格のようだった。


 「そうだな、第三国に引き渡すという手はあるな……」


 確かに長州門ながすどが”両砦”の一角、”菊河きくかわ 基子もとこ”を処刑しても”臨海おれたち”に”得るものメリット”は薄い。


 いや、それどころか……


 大国である”長州門ながすど”との関係が取り返しのつかない状況になるようなら、それはむしろ”大損害デメリット”でしか無いと言える。


 「……」


 紅蓮あかい女は無言で俺の返答を待つがその圧力プレッシャーが尋常で無い。


 ――が!


 「例えば、”句拿くな”の柘縞つしま 斉旭良なりあきらとかにだ」


 俺はあえて”火中の栗”を拾う事にする!


 「鈴原すずはらさまっ!?……それは!!」


 「な、なんと……」


 俺の言葉に、覇王姫の部下二人は絶句し、その場は凍り付く。


 「あなた……さい……か……」


 そして肝心の覇王姫は……


 紅蓮の焔姫ほのおひめは……


 正面から俺を見据えたまま、未だ笑みを浮かべたまま……石榴ざくろの唇を震えさせる。


 「…………」


 予測したよりも静かな声だ……


 ――だからこそ!

 ――それ故に!


 焔姫ほのおひめの怒りがより深刻だと読み取れる。


 俺が発した言葉の意味するところは、単純にしてすこぶる挑戦的。


 ”長州門ながすど”が大国の誇りを以て我が臨海りんかいを威嚇し、ただ敵対すると言うのならば……


 こちらは”両砦”の一角、菊河きくかわ 基子もとこをどうとでも利用すると宣言する。


 そしてその下衆ゲスな一例として……


 南の島”日向ひゅうが”を統一した句拿くな国……長州門ながすどの古くからの仇敵に菊河きくかわ 基子もとこを生け贄同然に差し出してよしみを結び、東西から長州門ながすどを挟撃する形の戦略を披露する!


 少しばかり非人道的で、褒められたモノで無い策を弄する用意がある!という挑発を俺は命知らずにも提案して見せたのだ。


 「しょ……うき?……さいか……ふふ……ふふふ……」


 そして、その効果は覿面てきめん


 十分に重量のある木製テーブルがガタガタと音を鳴らす要因は、その上に置かれた焔姫ほのおひめの一見華奢な両腕の震え――


 「ぺ、ペリカ……落ち着いて」


 「ぬぅっ……」


 覇王姫の従者達は共に青い顔であるじを覗う。


 それだけ……


 この”紅蓮の焔姫ほのおひめ”こと、ペリカ・ルシアノ=ニトゥが恐ろしいと言うことだろう


 「俺は至って正気だが?……勿論こちらの提示した条件を呑むのなら捕虜は帰してやっても良いぞ」


 そんな状況下でも俺はあくまで横柄に、高圧的にそう伝える。


 ――選択肢を提供しているのは我が臨海りんかいだ、間違えるな!と……


 怒り心頭の紅蓮あかき闘姫に追い打ちとでも言っても良い、確固たる意思表示を見せつける。


 「……さ……いか……」


 俺の直ぐ目前で、あかあか紅蓮あかく燃える紅玉石ルビー双瞳ひとみが怒りに打ち震えていた。


 「……」


 ――俺は何故ここまでする?


 何故こんな……


 ”あかつき”全土でも指折りの”取扱注意おそろしい人物”を向こうに回してここまで……


 「……」


 そんなことは解りきっている。


 ――誰のために?


 それは”鈴原 最嘉おれ”には愚問だった。


 「……」


 そして俺は頃合いに、後ろに控えた”お団子女子”に合図を送った。


 「は、はい!お、王様……」


 ――スッ


 俺の合図に僅かな間を置き、微妙な表情を返しながらも……


 丸く愛嬌のある瞳と”おっとり”した口元が特徴の、長い髪を後頭部で団子に纏めた可愛らしいお団子女子、花房はなふさ 清奈せなは一枚の封書をテーブルの上に差し出した。


 ――


 俺と覇王姫が挟むテーブルのほぼ中央……等距離に置かれた白い封書。


 「なに……かしら?」


 何とか怒りを制御しつつ……ペリカはそれを一瞥して問う。


 「此方こちらの出した条件を呑んでくれるのなら、ちょっとした”特典”を用意してある……心ばかりの品だがな」


 俺はゆっくりと口端を上げ、対面で燃える紅玉石ルビー双瞳ひとみを試すように見据えていた。


 第四十五話 「狂人の交渉場テリトリー 壱」前編 END

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