第80話「籠鳥恋雲」(改訂版)

 第四十話「籠鳥恋雲ろうちょうれんうん


 「油だ!ええい間怠まだるっこしい、樽ごと持って来い!」


 「おい!そこは空けておけよ、俺達が脱出でられなくなるだろうが……」


 尾宇美おうみ城敷地内、北側にそびえる第三塔の地下に、なにやら怪しい動きを見せる一党がいた。


 光の差し込まない地下の闇、幾つもの提灯ランタンの灯りを頼りに作業を続ける十人ほどの兵士達。


 「八十神やそがみ隊長、そろそろ地上うえが騒がしくなってまいりましたが、例の”長州門ながすどの両砦”が……」


 他の者達に指示を出していた士官らしき男が、時計を確認していた少女に問いかける。


 「そうですね、既に”菊河きくかわ 基子もとこ隊”に占拠された頃合いですね」


 くせっ毛のショートカットにそばかす顔の快活そうな少女は、そう答えて石造りの天井をチラリと見る。


 「しかし……地上は既に長州門ながすど兵でいっぱいでしょう?この作戦を全う出来ても我らは無事に脱出できるのでしょうか?」


 心配そうな士官の顔に少女はフッと口元を緩める。


 「その点は心配在りません。事が成ればこの第三塔はパニックになるでしょう、その混乱に乗じる形で我が隊ぐらいは十分に脱出できる……あの”鈴木 燦太郎りんたろう”という男は、風体の怪しさは兎も角、その知謀は確かですから……」


 部下に安心を与えながら、少女はふと思い出す。


 この尾宇美おうみ城籠城戦の直前に、あの包帯男と話した内容を……


 ――

 ―



 「本当に貴様を護らなくて良いのか?……多分、死ぬぞ」


 「ははっ……適当にで良いよ、後は自分でなんとかする」


 革製の大きめな眼帯で右顔半分を覆った少し奇抜な風体の女武者、一原いちはら 一枝かずえさんの言葉に、これまた顔の殆どを包帯で覆った奇妙な男は軽く笑った。


 「…………」


 そして――


 その二人のやり取りを前に、私は独り考え込んでいた。


 ――この緊張感の無い包帯男、鈴木 燦太郎りんたろうから受けた作戦内容……


 それを聞いたとき、私の頭の中は未知の衝撃に揺さぶられ、その後に色々と常識的な事が崩れていった。


 端的に言うと私の感想は……


 独創的で既知の範囲外、でも綿密に組み上げられた……”とんでもない策”。


 正直、自分には考えもつかない神算鬼謀ともいえるが、荒唐無稽にも思われる。


 ――だけど……


 だけど、これが成功するのなら、現状の兵力差さえもなんとかなるかも知れない……かも?


 「無理です、司令官たる貴方に危険が大きすぎるし、一枝かずえさんや六実むつみさんの連携は至難過ぎます……それに既に戦場で戦闘中の岩倉いわくら様や十三子とみこさんには意図も伝えられていない訳ですし……」


 でも、現実に私の口から出たのはどれも否定的な言葉だった。


 「そうか?けど元”十剣”たる岩倉いわくら 遠海とうみならきっと大丈夫だろう」


 「それはいったいどんな根拠で?どういう理由ですか!?」


 必要以上に食ってかかる私に……

 しかし、その包帯男はしれっと言ってのけたのだ。


 「俺はな、八十神やそがみ 八月はづき……其奴そいつに出来ない仕事は振らないんだよ」


 「…………」


 ――驚いた……


 ――なんですかそれ……どんな根拠……


 「おお、そうだ!……それから最初の一手は俺が指示するが、その後の事はお前に任せる」


 「…………は?」


 私は我が耳を疑った。


 ――任せる?……なにを?


 「だ・か・ら、指示だよ、作戦指示……判断基準タイミングとしては、そうだな、六王りくおう 六実むつみの突撃で敵軍の注意が最もれた瞬間で、尚且つ前進する敵本隊が敗走中に擬態した一原いちはら 一枝かずえ隊の射程に入った瞬間……更に言えばその時、俺が生きていればなお最高!」


 そう言ってた笑みを浮かべた包帯男は、手に持った弓と矢の束を私に手渡してきた。


 「…………」


 強引に持たされた”それ”を呆然と見る私。


 「鏑矢かぶらやだ、見たこと無いのか?放ったらピューって音が鳴る矢……」


 「知ってますっ!それくらいっ!!……て言うか、そんな高度な判断、少しでもタイミングがズレれば全滅……いいえ、そもそもそんな才能は私にはっ!!」


 私は必死で抗議していた。


 ――それはそうだ……


 軍師を目指し、”無垢なる深淵ダークビューティー”と称えられる姫様にお仕えしていても、私は……わたしには……


 「おまえ策士だろうが?希有なる天才軍略家、京極きょうごく 陽子はるこ姫が誇る王族特別親衛隊プリンセス・ガードが一枚の……」


 「っ!!」


 なんということの無い顔でそう言う包帯男に、私は頭に血が上った!


 「私には無理ですっ!!現にこの”尾宇美おうみ城戦”で新参の”鈴木 燦太郎あなた”さえ気づいた姫様の真意に気づけなかった私がっ!!」


 「…………」


 「…………」


 つい取り乱して叫ぶ私……


 気がつくと二人に……

 会議室のテーブルを囲んで腰掛けた、鈴木 燦太郎りんたろう一原いちはら 一枝かずえさんの二人の視線が私を見据えていた。


 「……ぅ」


 ――だって……仕方無い……


 私は軍師に憧れてここまで来たけど……

 頑張ってきた、一介の村娘から姫様直属の”王族特別親衛隊プリンセス・ガード”に選ばれるまでに……


 頑張ってきたけど……


 到底……未だそんなレベルには至っていない。


 ――そんな私が王族特別親衛隊みんなの……


 ――尊敬する姫様の未来を左右する様な大事の判断なんて烏滸おこがまし……


 「で……だ、一枝かずえは兎に角、相手に悟られぬように敵本隊に近づいてだな……」


 「って、聞いてるの!?鈴木 燦太郎りんたろう!!私には……」


 動揺する私を無視して一枝さんに話を進める男にツッコんだ時……


 ――っ!!


 ひとの話を全く聞こうともしない巫山戯ふざけた包帯男は一瞬で……


 本当に瞬きする合間にでも移動したかの如き魔法の動作で、猛烈に抗議する私の間近まで近寄っていた。


 「……う」


 「…………」


 ――ち、近い!近い!近いぃぃっ!!


 てか、なんでこの男、座ったままでそんな機敏に動けるの?


 武術素人の私には全く反応できない身のこなし……

 そんな動きに私は固まる。


 「……ほぅ」


 そして同じく座ったままの一枝かずえさんが妙に感心していた。


 「俺はな……」


 ――だ、だから近いって!……これじゃ息も……く、唇さえ触れそうな……


 「俺は出来ない奴に仕事は振らないって言っただろ?八十神やそがみ 八月はづき


 「っ!?」


 ――緊張で固まっていたはずの私の身体からだが……心が……


 ピクリと反応した。


 「…………」


 「…………」


 奇妙でしか無い風体の包帯男の顔……


 グルグル巻きの包帯から露出した彼の瞳が……


 「ぁ……」


 凄く綺麗に輝いて……


 ガタッ!


 ――っ!?


 突然席を立った一枝かずえさんが動かした椅子の音で、我に返った私は弾けるように椅子の背もたれに張り付いていた。


 「取り込み中かもしれんが、私は行く……そろそろ準備にかかる必要があるしな」


 そう言って部屋のドアに向かう一枝かずえさん。


 「そうか?じゃあ作戦決行までの間、戦線を維持しといてくれ」


 包帯男は相変わらず緊張感の無い表情と声で、その背に軽く手を上げて見送っていた。


 「…………」


 ――うう……気まずい……


 のは……私だけだろうか?


 「そうだ……八月はづき、別に必要以上に気負う必要は無い。どのような事態になっても”王族特別親衛隊みんな”がフォローする、それに……”王族特別親衛隊みんな”も八月はづきを信じている」


 普段はそういった言葉に無縁な武人……”武者斬姫むしゃきりひめ一原いちはら 一枝かずえさんの突然の言葉。


 「か、一枝かずえさん……」


 当の本人は自分の言葉が照れくさかったのか、再びそそくさと背を向ける。


 「まぁ、最悪その”包帯男”が死ぬくらいだ……ふふふ」


 そして今度こそ部屋を出て行く背中越しに聞こえた声は、私も初めて聞くような少し楽しそうな声色だった。


 「おいおい……」


 私が失敗したら死ぬだけの”包帯男”、鈴木 燦太郎りんたろうは呆れながらその背を見送ると、再び私に向き直る。


 「この戦……八十神やそがみ 八月はづき、お前に託す」


 そして、微塵も疑うことの無く不敵に笑った包帯おと……鈴木 燦太郎りんたろうの顔は……


 「…………了解……致しました」


 私には生涯忘れられないものとなった。


 ――

 ―



 「八十神やそがみ隊長、もう少しで作業終わります」


 その報告に私は現実に引き戻される。


 「分かりました、では私たちは時間まで待機します」


 自分の指揮する隊に待機命令を出してから、私は再び岩で出来た天井を見上げた。


 「……」


 ――そして、あの男は見事にやってのけたんだ……


 東門で迫り来る旺帝おうてい軍を押し返し、西門では数倍の敵軍、天都原あまつはら国きっての天才……あの中冨なかとみ 星志朗せいしろうの軍を退け……


 そして、ここ北塔では、噂に高い長州門ながすどの両砦が一角、菊河きくかわ 基子もとこに対してこんな”とんでもない”対抗手段を用意して対峙する。


 ――”それを叩くために俺は数では無く武人らしく”武”を以てアレに対峙するつもりだ”


 菊河きくかわ 基子もとこ対策だと、鈴木 燦太郎りんたろうはそう言った。


 ――”数”では無く”武”……


 ――てっきり個人技の”武”だと推測していましたが、まさかその類いの”武”だとは……


 よくよく考えれば、”罠の効かない”相手を個人戦闘に持ち込むことは出来ないだろう。


 だからこそ、鈴木 燦太郎りんたろうの言う”武”……


 彼の言う策を結局、推測できなかった私に、相変わらず小さい意地プライドが邪魔をして”ご教授下さい”と言えなかった八十神やそがみ 八月はづきに……


 あの包帯男は、呆れ気味に笑いながらも最終的には胸中にある策の全容を話してくれた。


 ――でもそれって戦術なの?


 ――聞いた”それ”はむしろ”科学”か”哲学”の実験?検証?みたいな……


 そして、本来なら緊張が張り詰める作戦寸前の状況で、それを思いだした私は今更、頭を悩ませていた。


 「…………」


 ――まぁ……どちらにしろ戦術とか作戦という代物の範疇ではないでしょう……ね


 結局、結論の出るはずもない事柄に、私はフッと脱力していた。


 「本当に……未知の感覚です」


 鈴木 燦太郎りんたろう……彼の策が優れているのはもう言うまでも無い。


 ”無垢なる深淵ダークビューティー”と称えられる姫様にも、天才と名高い中冨なかとみ 星志朗せいしろうにも匹敵する実力を持ちながら、でも……それは生まれ持った才能というイメージがある姫様達とは少し違う。


 ――あくまで私の感覚で、憶測でしかないけれど……


 それは悪く言えば泥臭い。

 けれど、より実践的で臨機応変。


 ――いいえ……彼の構築する策はもっと自由で既存の枠に囚われない


 「……」


 ――そう、


 ――そうです!


 彼の紡ぎ出す戦術を表現するピッタリの言葉は……


 ――”変幻自在”にして”虚々実々”


 勿論、生まれ持った才能もあるのだろうけど、決してそれだけでは無い!


 彼を形作る大部分はきっと”これまで生き抜いてきた経験と決意”……


 そんな”鈴木 燦太郎かれ”だからこそ、生み出される”策”はまるで命を吹き込まれたような、他に類を見ない芸術……


 ”虚実皮膜きょじつひまく”の域に達するのだろう……


 ――私にはそう感じられる!そんな気がする!


 「…………」


 幼少の頃、古くさい風習ばかりの貧村を出たくて一生懸命に学問に務めた。


 ――”女なんかに”学問そんなもの”は必要ない!嫁いで一生尽くせば良いのだっ!”


 何度も何度も諭され、押さえ込まれ……時には殴られて育った。


 ――”村から出たってお前なんかが上に行けるかよ!どこのお偉いさんにも召し抱えられるわけがないだろうが!”


 ――”咲季さき、あんた、またそんな大それた夢を……”


 「…………」


 不意によぎる思い出という雑音に、私はかぶりを振った。


 ――”見上げて手に入る視界は小さいわ、そこに立ってこそ周りに世界は広がるの”


 それはある書物で感銘を受けた言葉。


 だから、その場所を目指した幼い頃の私。


 けれど直ぐに世界の広さに圧倒され……到底適わない才能を知って……


 「…………」


 でも、”鈴木 燦太郎あのひと”に出会って解った。


 私が見るのは世界じゃ無い……それはきっと”私自身”


 必死に修めた学問に囚われず、むしろ一度全てを忘れて私を確認する。


 知識はそうして自分に溶け込んでこそ本当に自分の世界になる。


 「枠から……解き放そう!!”鈴木 燦太郎あのひと”のように……」


 ――ドクンッ!


 私の胸は確かに高鳴っていた。


 ーートクン、トクン……


 この先も知れぬ状況下で。


 仕える主君が窮地を乗り越えようと戦っている最中、当然、私自身も粉骨砕身奔走する瞬間にも。


 ――わたしは……


 必死の努力の末に、憧れの主君から与えられた”八十神やそがみ 八月はづき”の名を持つ少女は……


 ――私はきっと、”鈴木 燦太郎あのひと”に認められたいのだっ!!


 澄んだ叡智が見て取れる少女の瞳は眩しいほどに煌めいて、自然と胸の前でギュッと握られた拳には、強く強く力が込められていたのだった。


 第四十話「籠鳥恋雲ろうちょうれんうん」END

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る