第69話「僻地の梟」(改訂版)

 第二十九話「僻地のふくろう


 小津おづ赤目あかめの領都であり、政治軍事の中枢であり、

 そびえる小津おず城は赤目あかめ随一の堅城であった。


 「おぉぅ!この兵士の数々……勝機が見えてきたとあって流石に赤目あかめ諸将も重い腰を上げ始めたと言うことか!」


 小津おづ城の天守にある一室からその光景を見下ろして、荒井あらい 又重またしげは満足そうな声を上げる。


 小津おづ城本丸から眼下に見渡せる練兵場には、ここ数日で赤目あかめ領内各地から集った兵士達でひしめきあっていた。


 「これだけあれば今日にでも臨海りんかいに占拠された各地を解放する事が出来るのではないか!?」


 緩む口元をこらえきれない男は室内に視線を戻すと、部屋中央に設置された軍議用テーブルに向かって嬉々とした声で問いかける。


 「確かにな……未だ征服者たる臨海りんかい軍の顔色をうかがって四十八家当主の方々は表立っては動いておらぬが、現状で見るように密かに麾下の兵をこの小津おづ城に集わせておるのは明白」


 荒井あらい 又重またしげの言に、軍議用の席に座した老将、松長まつなが 平久ひらひさが応えるが……

 ちらの男は綻んだ顔の内にも冷静で含むモノが存在する”不敵な面構え”だった。


 「…………」


 そして更にもう一人……

 先の二人に比べて年若い青年は応じずに、テーブル上の戦略地図に視線をやっていた。


 ――姓名は、宗三むねみつ いち


 黒髪を尻尾のように後ろで結わえた、スッキリした顔立ちの青年だ。


 「ふんっ」


 荒井あらい 又重またしげは一人だけ呼応しない宗三むねみつ いちのその態度に、不機嫌に鼻を鳴らして席に着く。



 ――ここ数日で小津おづ城に集まった赤目あかめの兵はざっと見積もって二千は下らない


 数日前、乗っ取った鍬音くわね城をあっさりと放棄した荒井あらい 又重またしげ松長まつなが 平久ひらひさの二将は、その守備兵五百全てを引き連れて守りに有利な小津おづ城に移動して来た。


 ――小津おづあか領都にして現在、小津おづ城はりんかいを寝返った宗三むねみつ いちが押さえる城だ


 よって、二将の目論見は、防衛するにより有利な堅城、小津おづに兵を集中させる為であり、また臨海りんかいを寝返った男を監視する為でもあろう。


 「…………」


 今正いままさに、二人の眼前で無言にて戦略地図を睨む人物を……


 「やはり松長まつなが殿もそう思われるか?ならば早急な戦支度が必要だな……」


 荒井あらい 又重またしげ宗三むねみつ いちをひと睨みしたが、その後は無い者と無視をして老将、松長まつなが 平久ひらひさとだけ話を進めて行く。


 「先ずは一番近い”尾鷹おだか城”か?それとも”小津おづ”を失った今、実質的に敵の本拠地足る”枝瀬えだせ城”か……」


 ガタンッ!


 「っ!?」


 多少浮ついた感じで事を進めようとする荒井あらい 又重またしげの眼前のテーブルに、兵士を形取った木製の駒が無遠慮に置かれた。


 荒井あらい 又重またしげは……


 「…………」


 ――先ずその駒を眺め


 ――次いでその駒が置かれた軍議用テーブルの赤目あかめ領地図を眺め……


 「……」


 ――そして最後に、その駒をこれ見よがしに自分の前に置いて、自分の高揚する気分に水を差した男を睨む!


 「……なにか?宗三むねみつ いち……殿」


 荒井あらい 又重またしげから見て、戦場の指揮を執るには余りに年若い男……

 ちらの策とは言え、簡単に主君を裏切る恥知らず……


 ――こんな程度の若造が、あかでも名の通る我ら二人と同列で軍の指揮を執るというのか!?


 自身よりも優に一回り以上年若い男の顔を睨みつけて、荒井あらい 又重またしげは横柄な口調で問う。


 「……いや、貴公の案に一つ、二つ異議があるだけだ」


 しかし当の年若い指揮官は威嚇する猛者の眼光にも全く臆する感じも無い。


 「なんだと?」


 更にドスの利いた声と顔で、若い男の顔を睨み上げる荒井あらい 又重またしげ


 「赤目あかめ領内の臨海りんかい軍総兵数は二万数千……突発的な反乱で中央に位置するこの”小津おづ城”を失っても尚、領内の他の城々が包囲網を敷いて牽制し警戒状態を維持している。主不在の臨海りんかい軍と赤目あかめ諸将が様子見の現状では、ちらも守りを固めるのが最も有効だ」


 宗三むねみつ いちは兵を形取った駒を自身の拠点である”小津おづ城”の前に置いたまま、誰に話すでも無い感じで言葉を発した。


 因みに宗三むねみつ いちが言うところの”赤目あかめ諸将”とは、既に臨海りんかいに降った赤目あかめの将達の事を指している。


 このまま臨海りんかい軍に付き従うのか、それとも一念発起して支配権の奪還を目指すのか……

 再び揺れる赤目あかめの実力者達の状況判断を見極めてからだと。


 「グダグダと理由を並べているが、実際は臆病風に吹かれたか?それとも古巣に弓を向けるのが今更怖くなったか、宗三むねみつ?」


 そんな宗三むねみつ いちの態度を、恐れて目も合わせられないと勘違いした荒井あらい 又重またしげは、トコトン挑発的な眼で見下してくる。


 ――裏切り者風情が何を偉そうにいっぱしの講釈を……


 荒井あらい 又重またしげの眼光には、そういう解りやすい侮蔑が浮かんでいた。


 「……戦の道理を説いたまでだ。赤目あかめ攻略戦での勝利の連鎖で臨海りんかい軍の士気は高い、この反乱で現在いまは多少混乱してはいるが、戦の初戦を落としでもすれば相手は勢いに乗って”小津おづ”を一呑みに平らげようと猛攻撃に転ずるだろう、そして信頼を失った我ら小津おづ勢力の大半が味方の離反と戦死により地上から消え去る事になる」


 だが、宗三むねみつ いちは凄む相手に平然と淡々と反論する。


 「臨海りんかい兵二万といってもそれは我が赤目あかめを吸収した上での数だろうがっ!!我らが奮戦すれば必ずちらに帰順するわっ!」


 「ちらが負ければそれは逆になる」


 「ぬっ!か、勝てばよいのだ!!臆病者め、屁理屈を並べるだけの臨海りんかいの若造めっ!」


 口論で全く歯がたたない荒井あらい 又重またしげは思わず立ち上がって唾を撒き散らすが、それに対して宗三むねみつ いちは終始冷静そのものだった。


 「…………」


 普段と変わらぬ表情で座したまま、普段と変わらぬ表情で自身を見下ろす猛々しい武将を見上げている。


 「ぬぅぅっ!!」


 一度は敗戦し、支配された臨海りんかいからの独立。


 その為には目前の男……


 つまり、臨海りんかい軍の重臣で、君主である鈴原 最嘉さいかの従兄弟にして側近中の側近。


 臨海りんかいでは誰もが知る、鈴原 最嘉さいかの右腕……


 ――この反乱成功には、あらゆる意味で宗三むねみつ いちの寝返りは無くてはならない!


 臨海りんかい軍の各支配地の地盤を揺るがし、その機に乗じるためには……


 荒井あらい 又重またしげもそれを勿論理解しているだろう。


 だがそれでも……


 「ぐっぬぅぅ!!」


 荒井あらい 又重またしげ宗三むねみつ いちを心中で裏切り者と侮蔑していた。


 息子ほど年が違う若造が!と軽んじていた。


 「戦の”いろは”も知らぬ若造が……!」


 赤ら顔で睨み付ける赤目あかめの猛将、荒井あらい 又重またしげの顔にはそういう葛藤が在り在りと浮かんでいたのだった。


 「そうか、なら、やりたければやればいい。だが、斥候からの情報だと直前に迫っている臨海りんかい軍は一千ほどで……”久井瀬くいぜ 雪白ゆきしろ”の部隊らしいが」


 「っ!!」


 一転して”しれっ”とそう言ういちに、荒井あらい 又重またしげのつり上がった眉毛がピクリと反応していた。


 「く、久井瀬くいぜ……雪白ゆきしろ……あの”殲滅せんめつ将軍”……」


 ――閃光の如き光の剣でことごとくを斬り伏せるという、元南阿なんあの将軍”純白の連なる刃ホーリーブレイド


 ――”那原なばる城”を二日で陥落させ、赤目あかめが誇る暗殺部隊を只一人でほふった臨海りんかいの”終の天使ヴァイス・ヴァルキル


 「う、うぬぅぅ……」


 勇ましく立ち上がったままの男の無骨な顔面を、一筋の汗がゆっくりと流れ落ちた。


 ――


 「そう、角を突き合わす事もあるまい……宗三むねみつ殿も……我らは、ほんの数日前まで敵味方であったが今は志を同じくする同胞はらから、お互いもう少し言葉を選ばれよ」


 暫らくその様子を見守っていた老将が、慌てる様子も無く仲裁に入る。


 特徴的な刀傷が眉間に刻まれた痩せぽっちの老将だ。


 「……」


 「ぬ、平久ひらひさ殿がそう言われるなら……」


 宗三むねみつ いちはその人物に油断無い視線を向け、荒井あらい 又重またしげは渋々、内心はホッとしているであろう顔で頷いた。


 ――赤目あかめ領内でも梟雄きょゆうと呼ばれし松長まつなが 平久ひらひさ


 赤目あかめ主家、四十八家のひとつである多羅尾たらお 光俊みつとしが配下の将にして、一筋縄でいかない曲者は、どこか歪んだ笑みを浮かべていた。


 「とはいえ、攻めて来るとなれば対応は必要だろうて……又重またしげ殿、貴殿は三千ばかりの兵を率いて臨海りんかい軍、久井瀬くいぜ 雪白ゆきしろを迎撃されよ」


 「う……むっ!いや……それがしはもう……」


 兵数は三千対千……

 しかし、荒井あらい 又重またしげは微妙な顔でそれを提案した松長まつなが 平久ひらひさを見る。


 「ふはっ!大丈夫だて、兵力は三倍であるし、城から後方支援も行う……そうそう、三千の兵の内、一千は宗三むねみつ殿の軍を借りるが異論はあるか?」


 そして続けて老将は”しれっ”とそう言ってのける。


 「…………いや、無い」


 チラリと二人に視線を向けられた青年はそう答えた。


 この場合、当然、宗三むねみつ いちとしてはこう答えざるを得ないだろう。


 臨海りんかいを見限った心に、自身が二心が無いと証明するにはそうするしかない。


 「ちょうじょうちょうじょう……では、我らはこれにて戦の準備があるので失礼する……さ、又重またしげ殿」


 ”してやったり”と言わんばかりの顔で、ニヤリといちを見た老将は同僚を促す。


 「お……応っ!」


 さっさと仕切る松長まつなが 平久ひらひさに、少し呆然としていた荒井あらい 又重またしげも後に続いて退室した。


 ――

 ―



 「ど、どういうことだっ!松長まつなが殿!!」


 「いや、そのままであるが?」


 「ぬ、ぬぅぅ!!」


 部屋を出たところで直ぐに老将へと食ってかかる荒井あらい 又重またしげだったが、即座にそう返され男は蹈鞴たたらを踏む。


 「お主?まさかとは思うが……杉谷すぎや 善十坊ぜんじゅうぼうの元にこの人ありと云われし猛将、荒井あらい 又重またしげともあろう御仁が臆病風に……」


 「な、なにを!?……ははっ、いや、腕が鳴るのぉ!ワハハッ!」


 「…………」


 明らかに図星を突かれた男は、それを下手な誤魔化し笑いでやり過ごす。


 「し、しかし松長まつなが殿……何故あの臨海りんかい者の兵を我が隊の編成に?これでは動き難いと……」


 そして、どう見ても誤魔化し切れていない状況の中、荒井あらい 又重またしげは改めて別の質問をしていた。


 「うむ……この”小津おづ”に集結せし兵力は今のところ合わせて五千余……内、この城を抑えていたあの宗三むねみつ いちの軍は二千……ここは奴の手元にまとまった兵を置かせず分散させるのが吉じゃろう?」


 老将、松長まつなが 平久ひらひさは、まぁ良いとばかりに頷くと、男の疑問にそう答えた。


 「なるほど……それがしが奴の兵を半数連れて行けば城に残る元臨海りんかい軍兵士は千……集った赤目あかめの兵の内、残るのも千、迂闊な事は出来ぬ……未然に裏切りを防ぐためか」


 荒井あらい 又重またしげは納得してウンウンと何度も頷いた。


 「にも……とはいえ、わざわざこくを裏切り赤目あかめに寝返っておいて、さらに今度は我らから寝返るとはとても思えんがな」


 松長まつなが 平久ひらひさは本心でそう考える。


 ――それでは己に危険ばかりが増すだけで益が全く無い


 ――おのが一国の主足る利を求めるとはいえ、危険リスクが大きすぎる


 赤目あかめ梟雄きょゆうと称される松長まつなが 平久ひらひさの価値観は、一貫して利益と危険の天秤……

 ”それ”に終始していた。


 「どちらにしろ、元はまいましき臨海りんかい兵共。せいぜい、前戦でこき使い、同士討ちさせてやれば良い」


 そして松長まつなが 平久ひらひさは歪んだ笑みを浮かべる。


 「ふふ、なるほど……我が赤目あかめの兵を消耗する必要は無いと。それもそうだな」


 荒井あらい 又重またしげは完全に納得いったとばかりに大口を開けて笑い、老将に同調していた。


 「……」


 ――なんともぎょしやすい、単純な男だ……


 ――だが武勇はある


 老将は内心ほくそ笑む。


 それは、自分たちに利用される元臨海りんかい軍の宗三むねみつ いちあざわらってか、


 それとも、”駒”の如く使われていることに気づかない目の前の男に対してか……


 「ははははっ!しかし平久ひらひさ殿は相変わらずの切れ者よなぁ!ははははっ!」


 「ふはははっ!又重またしげ殿こそ、後顧の憂いは無い故、存分に武勇を振るわれよ、ふはははっ!!」


 ――潰し合えぃ!元臨海りんかい兵も!赤目あかめの残党共も!ふははぁ!ふはははぁぁ!!


 そして、松長まつなが 平久ひらひさは内心笑いが止まらない。


 あかでの独立国主という立場を餌に、宗三むねみつ いちなる敵将をたばかって……


 未だ故国の再興をなどという、愚かな夢を見る赤目あかめ諸将を煽動する事に成功して……


 「ふはははははぁぁぁぁ」


 自分以外、全てを出し抜いて老将は笑いが止まらない。


 ――この地を征するのは”四十八家”等という過去の遺物では無い


 ――無論、臨海りんかい軍や、その裏切り者なんぞというものでも無い


 ――赤目あかめを新たに手に入れるのはこの儂だっ!!


 ――松長まつなが 平久ひらひさなのだぁっ!!



 赤目あかめきっての梟雄きょゆう松長まつなが 平久ひらひさの野望の黒き翼は――


 本州中央で”あかつき”全土を揺るがす大国同士の動乱が勃発する渦中にあって……


 独立小国群、赤目あかめ領土内という僻地も僻地にて、大きく羽ばたいたのであった。


 第二十九話「僻地のふくろう」END

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