第4話「Alea iacta est」

 全身の血液を凍らされたカイルが、グレイスの氷結ひょうけつから解放されたのは、それから四日後。


 ドラキュラの、不死の力が無ければ……、

 恐らく、技を喰らったと同時に即死だった。


 カイルは、初めて闘いの怖さを思い知らされた。


「もっと、強く成らなければ……」


 だが、それ以上に強く成る想いが深まるのだった。



 帰宅したグレイスは、奥歯を噛みしめ、鏡に映る頬の傷を見つめ、怒りに震える。


「神が、あんなガキに!」


 その怒りの矛先は、自分が映る鏡へと向けられ、クモの巣状にひびが入った。

 今すぐにでも戻って、殺してやりたいところだが、父に注意された以上、カイルやアルベルトに、手は出せない。

 だが、その怒りの衝動は、別の形となって現れることとなる。



 夜な夜な厚化粧をしては出掛け、帰ってきては酒を呑む。

 そんな母をグリンウェルは、軽蔑けいべつした。

 父は素晴らしい人だった、父を今でも愛していると言っていたにも関わらず、その腹が膨れていたことに、怒りさえ覚えた。

 そして、いつの間にか、膨れ上がった腹もなくなり、どこで捨ててきたのかと、問いただしたいくらいだった。

 その癖、自分には強く成れだの、賢く成れだのと五月蝿く言われ、うんざりしていたのである。


「グリン、誰よりも強く、賢くお成りなさい」


 いつものように、出かける前に、エミリアはグリンウェルに声を掛けたのだが、その返事は、いつもとは違うものだった。


「人間との混血で、強く成れる訳ないだろ!」


 そう嘆いた息子を母は抱きしめたのだが、グリンウェルは、母を両手で強く突き飛ばした。


「汚い手で触るな!」


「グリン!」


 グリンウェルは、激しくテーブルを叩き嘆いた。


「目一杯叩いても、こんなテーブルさえ壊せないじゃないか! 何が強く成れだ!」


「グリン……帰ったら話しましょう」


 エミリアは悲しい表情で、出掛けて行った。

 息子が嘆き悲しんでも、出掛けることを優先させる母を信じれなくなり、グリンウェルは家を飛び出した。


「え?」


 突如として目の前に舞い降りた、白い衣、白い翼、青い長髪を携えた細い眼をした男に、グリンウェルは、恐怖を覚えた。


 妖気は感じられないのに、なんだ、この威圧……


「君が、グリンウェルか?」


 あまりの恐怖に、グリンウェルは口を開くことも、まばたきすることも、呼吸さえも出来ないほどにおびえた。


 そうなんだ、普通はこうなるんだ。

 なのに、あのガキときたら!


 グレイスは、心とは裏腹に優しい笑顔で、語り掛ける。


「怯えることはないよ、俺はね、君の父さんの友人であり、君の一番の理解者なんだ」


「り、か、い、しゃ?」


「そう! もし、君がこの世界で迷うことがあったら、助けて欲しいと頼まれていたのさ」


「父さんが?」


「そうだ」


 グリンウェルは、死して尚、自分を心配してくれる父の深い愛情に感謝し、嬉しさで涙した。


 な、泣いてるよ、このガキ。

 い、いかん、押さえろ、笑うところではない。


「君は良いのか? 真実を知らないまま、この家を出て」


「真実?」


「そうだ、君の母もまた、君を深く愛しているのだ」


 臭い、臭すぎる。


 自分の台詞で噴出しそうになるのを堪えながら、グレイスは続ける。


「君の母エミリアは、君の為に出掛けているんだ」


「え? どういうことですか?」


「俺に、つかまりなさい」


 グレイスは、グリンウェルを抱え、カーライルの城まで飛ぶ、そこで窓越しに見える光景を見せた。


「いいかい? 君の母は、君を生かす為にカーライル王に抱かれているのさ」


 叫ぼうとするグリンウェルの口を塞ぎ、最後まで見せた。


「そして、あそこの窓から見える赤子が……アルベルト、君の弟だ」


 グリンウェルの中に宿った、怒りの炎を感じながら、グレイスは冷たい表情で笑うのだった。


 こうして、さいは投げられた。


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[補足]

タイトルの「Alea iacta est」は、ラテン語ですが訳せません。

何故なら、今は「Alea jacta est」こう書くからです。

この言葉が生まれた頃、jという文字が無かったそうで、iが使われていたそうです。

意味は、賽は投げられた。

つまり、カイル、アルベルト、グリンウェル、三人の『人生ゲームのサイコロが振られた』という意味として用いました。


次回「資質」

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