第11話「歪んだ歴史 -中篇-」

 そのサインは、何の保証も、何の罰則も無い、ただの口約束に過ぎなかった。

 だが、その行為自体にこそ、意味があった。

 双方の間に存在しえなかった、信頼関係を築く為の第一歩として――。


 アルベルトは、人間の儀式に従って、不可侵条約のサインを書き終えると、人間の代表者に近づいて、笑顔で両手を差し出し、握手を交わした。


 陽射しより眩しいカメラのフラッシュが、両者を照らす。


 此処に居る誰もが、これから始まる平和を喜び、新しい世界が訪れることを祝福していた。

 しかし、この幸福な時間が、時代として歴史に刻まれるには余りにも短く、代わりに新たな戦いの名を生む切っ掛けとなってしまう。


 陽射しでもフラッシュでもない、第三の光が轟音と爆風を伴って、その会場を焼き尽くして行く。


 アルベルトは、会場に敷き詰めれた関係者席に座る妻へと駆け寄り、焼け爛れる妻を抱くと、自分の羽織るローブの紐に手を掛けた。

 だが美咲は、その手を押さえ、首を振る。


「またをちかへり……君をし、待たむ……」


 その言葉を最期に、愛しい妻は自分の腕の中で、灰へと変わってしまった。


「美咲ィィィーーー!」


 熱い炎が会場を包み、まるでヴァンパイアが陽射しを浴びたかのように、アルベルト以外を全て灰へと変えた。

 アルベルトは、燃え盛る炎の中、ただ独り立ち尽くしていた。


「何故だ……そんなに争いがしたいのか? そんなに滅びたいか! 人間どもーッ!!」


 叫び声に伴って、その瞳は炎よりも紅く染まり、翼を広げ一気に上昇して、人工的に出来た雲を突き抜けた。

 何もかも奪い去った島を覆うキノコ雲を睨んで飛び去ると、そこから一番近い軍事施設に降り立った。


 突然現れたヴァンパイアに動揺した一人の兵士が、咄嗟に銃口を向け、弾を放つ。

 しかし、照準の先に敵の姿は既に無く、いつの間にか自分の顔面が掴まれている事に気付いた瞬間、その兵士の歴史は幕を閉じた。

 その頭部が弾けたのを合図に、激しい銃弾があらゆる方向から、アルベルトに集中する。

 アルベルトは、それを避けようともせず、弾丸を受け止めながら、最短距離で自分を囲む30人ほどの兵士の体を四散させた。


 目の前のヴァンパイアが、数分前までテレビに映る顔であったことに気づいた一人の兵士が、泣き叫んだ。


「違う! 此処じゃない! ミサイルを撃ったのは、此処じゃないんだ!」


 アルベルトは、その言葉を発した兵士に近づき、胸倉を掴んで、自分の顔に引き寄せた。


「ならば、何故トリガーを引いた? お前たち人間は、戦いがしたいんだろ?」


 泣きながら首を横に振り、助けを懇願する兵士の心臓は既にその身から離れ、アルベルトの手中に在った。

 ぐったりと項垂うなだれた兵士を投げ捨て、手にした心臓を頭上に掲げると、まるで果実を絞るかのように握り潰し、その中から出た生き血を飲み干した。

 血を飲むことで再生速度が高まり、体に当たった弾がポロリポロリと、自然に抜け落ちて、弾痕は消えて行く。

 その光景を見た兵士たちは怯え、戦うよりも逃げることを選択し、あらゆる方向へ駆けだした。


 だが、アルベルトはそれを許さなかった。


 或る者は、首を刎ねられ。

 或る者は、胸を貫かれ。

 或る者は、顔を潰され。

 或る者は、一滴残らず血を飲み干された。


 ものの数分で、頑強な筈の基地は、地獄へと変貌した。


 関係のない者まで、巻き込むつもりは無かった。

 核ミサイルを放った場所さえ分かれば、それで良かった。

 しかし、撃たれた瞬間に、やはり自分は人間にとって忌むべき存在であったのだと、改めて思い知らされた。

 その為に、妻や多くの人間の同胞まで失ったのだと。

 悲しみは、怒りへと変わり、その心の赴くままに、むくろの山を築くのだった。

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