第81話 クリスマス・イヴ
「さむい」
もこもこなコートに身を包んだ寧々が鼻の頭を真っ赤にしてぎゅっと、私の腕にしがみつく。
腕を組む形になってるけど、18時を過ぎたカップルばかりの街中ではあんまり目立ってはいない。。
「今、1℃だって」
「……この世界、いっかい滅ぼした方が良いと思う」
「魔王?」
隣の凍える魔王さまは今日、行きたいところがあるらしい。
簡単に、簡潔に、今の私たちの状態を表すと『デート』だ。
これまでもこういうイベントごとは何かとつけてどこかへ出掛けていたけど、クリスマスイヴにこうやって意識をしてデートという形で出掛けるのはきっと初めてで私はちょっと、ほんのちょっとだけ緊張していた。
寒さもあんまり感じないぐらいには。
「それで今日はどこに行くの?」
「内緒」
内緒らしい。
でも動きやすい靴を推奨された。
まじでどこにいくんだろう。
子どもの頃のように手を引かれて、私たちは賑やかな場所から遠ざかっていく。
さっきまでは騒がしかった辺りもすっかり静かになり、住宅ばかりが立ち並ぶ場所を歩く。
賑やかな街から近いのに、ずいぶんと素朴なこの場所は、私と寧々が生まれ育った場所だ。
しばらく歩くと、小さな公園につく。
よく遊んだとは幼少期からインドアだったから言い難いけど、寧々が辛いときはこの公園の土管のなかに入って、一緒にお話をした。
「懐かしいね」
私の言葉に、腕に少し力が込められる。
「……うん」
寧々に腕を引かれて、公園に入ると昔よりもずいぶんと広くなったように感じる。
それもそうだ。
「なくなってるね。遊具」
シーソーも
全部なくなっている。あるのはベンチとブランコだけで、公園の看板にはたくさんの注意事項が書かれている。
十年でずいぶんと様変わりした公園は、酷く寂しく見える。
面影だけが残るその場所で立ち尽くしていると、寧々に腕を引かれた。
「ここはもういいの?」
「うん」
「わかった」
公園を出て、寧々と一緒に歩く。
寧々は何も語ろうとはしない。でもそれは彼女なりの理由があって、私はそれを分かってる。
だから今は言葉はいらない。
それに……二人なら沈黙だって楽しい。
しばらく歩いていると声が聞こえてきた。
声が聞こえてきた方をみると懐かしい建物が私たちを出迎えてくれた。
昔、よく通っていた小さな図書館だ。
寧々が家に帰りたくない日は決まって、この図書館の自習室で本を読んだり勉強をしたりと一緒に過ごしていた。
まだ、寧々の友だちの一人だった私が『寧々ちゃん』と唯一二人きりに……いや、独り占めできる場所で、ここがなければ私たちはここまで深い仲にはなれなかったかもしれない。
「……まだやってたんだ。クリスマス会」
この図書館は毎年12月24日のクリスマス・イヴにクリスマス会をする。
図書館の司書さんたちがサンタのコスプレをしたり、お菓子をくれるイベントで……だけどこのイベントに寧々が参加したことはない。
それは家庭の事情でもあり、クリスマス・イヴは毎年家族でご飯を食べる約束事のためだ。
これだけだと仕方がないように思えるが、長月さんや冬起さんはそれを破っても許されるのに寧々は許されないということがあった。
どういう意図があったのかは分からない、だけど憧れていた『寧々ちゃん』が珍しく曇っていたというのが許せなくて、でも寧々の親に何かアクションを起こす勇気もなくて……結局、今まで忘れてしまっていた。
寧々が腕に込める力が強くなる。
「行こうか」
「え。でも」
「いいから」
今度は寧々の腕を私が引く。
図書館に近づくと、数人の楽しそうな子どもたちの姿と懐かしい司書さんの姿が見える。
司書さんは、黒縁眼鏡をかけた初老の女性だ。
いつも穏やかで、話を聞くのが上手な彼女は昔と変わらず、今も人気者らしい。
司書さんの隣でサンタの恰好をしているのも、昔からここで働く男性の職員で、2人とも随分と年齢を重ねたように感じる。
……10年か。
私たちのことはきっと覚えてないだろう
だけど、もし、もし覚えていてくれているのなら、少しだけでもあのクリスマス会の場に寧々と一緒に居たい。
あの時の寧々が願ったことを、今叶えてあげたい。
これはエゴで、迷惑だなんて分かりきっていることで。
でもこの足を止めることが誰ができるのだろう。
小さな声で静止を呼びかける寧々を今だけは無視する。
「こんばんは」
司書さんたちに声を掛ける。
辺りを暫しの静寂が包む。
子どもたちは不思議そうに私たちを見て、司書さんは驚いた顔をした後に柔らかく笑った。
「いらっしゃい。明日さん、雪村さん。ようやく二人で来てくれたのね」
昔と変わらない笑み、昔と変わらないトーンで私たちの名前を呼んでくれる。
「覚えてるんですか……?」
思わずといった風に、寧々が問いかける。
「忘れるわけないじゃない」
司書さんはまた柔らかく笑った。
◆◆◆
あの後、直ぐに親御さんたちが子どもたちを迎えに来る時間になり、私たちは図書館の中、昔のように暖かい自習室で司書さんたちと話していた。
「にしてもあの二人がこんなに大きくなって……」
男性職員がハンカチで涙を拭う仕草をする。
涙もろいのは変わっていないようだ。
正直、図書館によくいる飴をくれる朗読会の途中で泣いちゃう涙もろいお兄さんぐらいにしか記憶になかった。
下げたネームカードには『
「ごめんなさいね。もう少し二人にクリスマス会の雰囲気を楽しんでもらいたかったのだけど」
「大丈夫です。偶々寄っただけなので」
「ふふっ、大人になってもふらっと寄ってくれる場所であることができるのはここで働いている身としては光栄よ。……にしても」
寧々と私を交互に見る司書さん。
「にしても、昔よりはずいぶんと良い関係を築けているようで安心したわ」
「どういう意味ですか?」
寧々の問いかけに、私はぎくりと肩を跳ねさせる。
いや、自覚はある。自覚はあるんだ。
私が寧々にくだらない独占欲を抱いていたというそんな自覚が。
いや、今も独占欲はあるけど、それはくだらなくはない独占欲だ。たぶん。
「まあまあ内緒にしてあげましょう」
口もとに手を当てて上品に笑う司書さん。
やっぱりこの人は昔から底知れない感じがある。
「二人はえーっと今は大学生かい?」
佐々木さんの言葉に、首を振る。
「いえ、一昨年に卒業して今は社会人してます」
「私は彼方……明日さんの家に住んでて自由業をしています」
え、寧々に明日さんって言われるのつらすぎ……
「なるほどねぇ……って一緒に住んでるのかい!?」
驚く佐々木さんと、隣でニコニコな司書さん。
「今でも仲良しなんだねぇ」
「ええ、ほんとに」
司書さんが全てを見透かしてそうな顔をしてて怖いが仲良しなのは間違いがないから胸を張っておく。
「今の会話でなんとなく分かったわ。いつまでも仲良くいられることは良いことよ。それで2人はこれからどこかにいくの?」
えっと……
寧々を見る。行き先は寧々しかわからない。
「……展望台に行こうと思ってます」
展望台って、確か丘を少し登ったところにある場所のはずだ。
道路があるから車でも徒歩でも登れて、電灯も多いから夜でも明るくて街が一望出来て景色が綺麗な場所だった。
「ああ、なるほど。たしかに今の時間は人は少ないだろうけど、ちょっと歩きだと時間かかるから人が増えてくるかもしれないわよ」
「うっ……確かに……」
寧々は苦い顔をする。
「……良かったらだけど車を出して連れていきましょうか?」
「いいんですか……?」
「もちろん。久々の再会だものもう少しお話したいじゃない」
司書さんが寧々の肩にぽんと手を置く。
司書さんほど察しが良いわけじゃないから寧々がなんで展望台にいきたいのか、そういうのは何も分からないけど、嬉しそうな寧々を見て、まあいいかと笑みを浮かべた。
◆◆◆
司書さんに、車を出してもらって十数分後、私たちは展望台の頂上にいた。
展望台からそこそこ離れた場所に車を止めて待ってくれている司書さんにお礼を言ってから寧々に腕を引かれて、展望台まで向かう。
木の柵とベンチと、望遠鏡が置かれた展望台に近づくにつれ、星のように光る街が視界に入ってくる。
「綺麗……」
「うん」
白い息を吐きだしながら、思わず呟いた私に、寧々もまたどこか緊張した様子で相づちを打つ。
「……それでそろそろ聞いてもいいんだよね?」
「うん。言う。言うから少しだけ待って」
寧々がその小さな手をしっかりと守っていた手袋を外す。
そして鞄から小さな箱のようなものを取り出した。
それは眼鏡ケースみたいな材質で、だけど眼鏡ケースよりもずいぶんと小さかった。
寧々が大きく息をつく。
「かっ、買った。これ……その……
流川さん。
雀の娘となるステラさんがマネージャーをしていた女優さんで、私のことが好きだった人だ。
「あの人の話を聞いて思った。こんな凄い人でも彼方のことを好きになるって……私は自己肯定感が低いから……どんなに彼方のことを信頼してても、自分を信用しきれない。自分の魅力がないから彼方を取られてしまうかも、なんて今までに考えたことが何回もあって……だから、……これをつけて、私を安心させてほしい……!」
目を瞑り、伝えたい言葉を言い切った寧々の手が動き、箱が開かれる。
まるで貝殻のように開かれた箱の中にあったのはダイヤが装飾されたプラチナの指輪で、息を呑んでしまう。
「これ……」
「……買った。VTuberになって活動して手に入った収益を貯めて、ちゃんとしたやつを」
エンゲージリング。
結婚するわけではない私たちにとってそれは、寧々の独占欲の証で、寧々がどれだけ私を大切に思っているかの証左でもあるそれをゆっくりと、理解していくなかで、自然と目から温かいものが頬を伝うのを感じて、慌てて腕で拭う。
「彼方、泣っ……い、嫌だった……?」
「ちっ、ちがう。ちがうから……!」
涙で思考がぐちゃぐちゃになりながら、寧々を全力で抱きしめる。
「あ、ありがと……!うれしいっ……!うれしいよっ……!」
口に出した瞬間、その感情がじんわりと頭の中に溶けていく。
この感情は歓喜だ。
誰よりも大切で、誰よりも大好きで、誰よりも一緒にいたい人。
そんな˝親友˝から貰った
「良かった……ねぇ、つけても、いい?」
「うん」
鼻をすすり、直ぐに手袋を外して返事をする私に寧々は緊張した面持ちで、指輪をリングケースから出す。
サイズがピッタリのそれを寧々が左手の薬指にゆっくりとはめ込んでいく。
冬の冷たさを纏わせながらするりと指についたそれを見て、思わず笑みがもれる。
「えへへ、ありがと」
「どういたしまして」
「これで、誰から見ても寧々のモノになっちゃったね」
指輪のついた指を見せてそう言うと、寧々の顔が真っ赤になる。
「彼方、煽りすぎ……!」
ぽこぽこぽこぽこと、軽く胸を叩く寧々は耳まで真っ赤で、やがて顔を上げると「んっ」と目を瞑って背伸びをして顔をつきだす。
背伸びしても届かないことが分かってるから寧々は自分が頑張れる限界を差し出してくれる。
私は泣き笑いを浮かべながら、その頑張りに応えた。
◆◆◆
「さむすぎる」
手袋で隠されたエンゲージリングは、特に突っ込まれることはなく、無事帰路についた私たちは凍えながら家に駆けこんだ。
エントランスに入り、暖かさに顔を綻ばせながらエレベーターに乗ると、隣にいた寧々が「あ」と呟く。
「どうしたの?」
「やばい。お姉ちゃんからの連絡全部無視してた」
「あ」
そういえば私もデートだし、機内モードにしてたんだっけ……
スマホを開くと、表示されるのはずらーっと並んだ長月さんからのメッセージ。
心配させてしまった、慌てて返信しようとすると私たちの住む階についてエレベーターの扉が開いた。
扉の先にいたのは焦燥した様子の長月さんで、私たちの姿を見ると同時にその場に倒れこんでしまった。
「お前ら……どんだけ心配したと思ってんだ……」
膝を抱えたまま、恨みがましい目で私たちを見る長月さん。
「ごめんなさい」
「すみません」
声を揃えて謝る。
こんな長月さん初めて見た。相当心配させてしまったみたいだ。
「はぁ。別にどこで何しようがいいけど、一言でもいいから連絡は返してくれ」
「はい」
「わかったならいい」
長月さんは立ち上がり、小さく伸びをする。
「それで、寧々たちは飯は食ったの?」
「まだ」
「完全に忘れてました」
「ならちょうど良いや。心配かけた罰だ。今日の晩飯は彼方に奢ってもらうとするか」
「……それはまあ、いいですけど」
「寧々は食べたいものある?」
「なんでもいいかも」
「じゃあ私もなんでもいい」
「なんでもいいが一番困るって言いますよ」
二人で上ったエレベーターを三人で下っていく。
これもまた今の私たちらしい。
さて今日の夕食は何にしようか。
若干偏食気味な長月さんのことを考えつつ、スマホを開いて近くの店を探した。
______________________________________
おまけ 夕飯食べようと手袋外した彼方さんの手にある指輪を目ざとく発見した長月さん
「おいこら、なんだその指輪は」
「寧々から貰いました」
「寧々!?」
「あげた」
「許せねぇ……許せねぇよ……!」
次回、大晦日配信。
指輪に独占欲ってルビを振るのやめようかなと思ったのですが、それは日和見だと内なる自分に言われたので振りました。
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