第78話 収録と鷲宮さん

結局、歌の収録を終えたのは結局、お昼過ぎだった。

納得できなかったわけじゃないが、スタジオには歌専門のスタッフさんがいて、みっちりとしごかれた。

私たちの後も他のVの方がスタジオを借りにくるらしくて、まだ数は限られていて、くる人間も決まってはいるが結構このレンタルというシステムは軌道に乗っているらしい。


「相性ばっちりですね」


収録後、スタッフさんにそう褒められて、お疲れ気味の寧々も嬉しそうだ。


スタジオの中の自販機で飲み物を買って椅子に座っていると「いました!」という声が聞こえて振り返る。

そこには、栗花落さんと鷲宮さんがいて、とてとてと小走りで向かってくる。

栗花落さんの走り方、かわいいな。


「どうしました?」


「はぁはぁ……すみません。もう帰っちゃったのかなって思って探し回ってました。はぁはぁ……あの、も、もう少しお時間いただけませんか?」


私は大丈夫だ。

寧々を見ると、大丈夫だと頷いている。


「大丈夫ですよ。この後の予定もありませんし」


「ありがとうございます……!」


栗花落さんは肩で息をしながらなんとか呼吸を整えると、鞄から資料のようなものを取り出す。


「では本題に入るのですが、お2人のお歌を誰にMixしてもらうか、というのは決めていますか?」


Mixはピッチ補正やタイミング補正などを歌を聴きやすくしてくれて、歌ってみたには基本的には必須の技術だ。

私たちにそういう知識はないので、外部に依頼することになるが誰に依頼するかはまだ決めていない。

一応、2人で歌ってみた用の動画は作っていて、ぬるぬると動くわけではないが、結構良い感じにはなっている。

エンコードのこともあるから動画が出来てからエンコードしてくれる人に依頼するつもりだった。


「まだです」


私が答えると栗花落さんは安心したように胸をなでおろした。


「そうですか、良かったです。ではお願いがあるのですが、弊社の鹿志摩かしまに依頼をしていただけないでしょうか?」


鹿志摩さん。

その名前に思いだすのは、半月ほど前にVG@プラスでデビューした新人さんだ。

あんまり配信とかはしないタイプで動画勢、主に歌ってみたなどを投稿している人で、正直な話、あんまり詳しくはない。


「鹿志摩は、弊社では珍しく動画勢であり歌も上手いのですが正直な話、伸びや話題性に欠けています。本人もどうにかしたいと思っていて、生配信を行ってはいるんですがまあ、同接だけ見ると今のところ芳しくはありません。話題作りとしてコラボの誘いなどはするんですが……その……」


「エッグい人見知りなのよね……」

鷲宮さんが呆れたように肩を竦める。


「はい……なので、まずは彼女を知ってもらう一環として良ければ彼女にMixの依頼を任せてほしいなと思いまして」


「まあ、打算ではあるわね。てか貴女、話すぎじゃない?」


「正直なのは私の美徳ですから。技術は保証します。金額もこちら持ちで構いません」


寧々と顔を見合わせる。

私と寧々が頷く。そうだよね。別に断る理由はない。


でもこれだけはちゃんとするべきだ。


「分かりました。依頼します。ですが、お金は払わせてください。技術には対価を払うものですし、こういったものの相場を勉強する良い機会でもあるので」


「わかりました。ありがとうございます……!」


「あ、ちなみになんですけどエンコードとかもお願いできたりしますか?今、動画を作っていて、Mixした音源をそれに合わせてほしいんですけど」


「大丈夫です!」


「良かった。では改めておねがいします」


懸念点でもあったからMixしてくれる人が見つかったのは良かった。


「詳細は後日また連絡します!」


「分かりました」


栗花落さんのお話はおしまいらしい。

だけど栗花落さんは少し首を傾げながらチラチラと鷲宮さんのほうを見ている。


「鷲宮さん?」


「なによ」


「いや、別に鷲宮さんがそれでいいなら、いいんですけど」


「どうしたの?」


こういうところで素直に聞けるのが寧々の良いところだ。


こてん、とお疲れな様子で首を傾げる寧々に、鷲宮さんは少しだけたじろいで、ため息とともに鞄から色紙とペンを取り出した。


「あー、えーっとその……良ければでいいのだけど、2人のサインをくれないかしら」


「サイン?」


2人で首を傾げる。

サインといえばあれだ。有名人なんかが書くやつだ。


「えっ、私もですか?」


こくり、と頷かれる。


「わかった。宛名は何がいい?」


「鷲宮さんへ……いややっぱ梅雨ちゃんへでお願い」


ややフリーズ気味の私をスルーして、寧々が色紙を受け取り、ペンでさらさらとサインを書いていく。

しもぎりすずめ、とひらがなで書かれた練られたサインと、梅雨ちゃんへの文字。そして右下にはぷっくらとした丸い雀が描かれている。


完璧なサインだ。


えっ、いつの間にサインを考えてたの?


視線で問いかけると、ぷいっと逸らされる。


恥ずかしいらしい。かわいいね。


「ありがとう」


「うん。飼い主さんも」


「私、サインとかないですよ?」


「なんでも大丈夫です。飼い主さんのサインが欲しいので」


らしい。


私は色紙を受け取り、少し考える。


「宛名は雀と一緒で大丈夫ですか?」


「はい」


梅雨ちゃんへ、と書いて丁寧に飼い主を書く。

自分のサインは持っていないので字を綺麗に書くぐらいしかできない。

雀のように絵を描くこともできないからちょっと無骨だけどこれで良かったのかな。


「ありがとうございます……!」


「ちょっと私の時と反応違いすぎじゃない?」


寧々の不平の声に、栗花落さんがくすくすと笑い、鷲宮さんは恥ずかしそうに顔を逸らした。


「いいでしょ、別に」


「すみません、こんな感じにしか書けなくて」


「大丈夫です……!飼い主さんに貰ったってだけで価値があるので」


「それはそう」


鷲宮さんが両手を前でぐっとして、寧々はしたり顔で頷いた。


やることも終え、晴れ晴れとした気持ちで雑談していると、栗花落さんが腕時計を確認して「あっ、もうこんな時間と呟いた」


栗花落さんの言葉に時計を確認するともう14時前になっている。

随分、話し込んでしまった。


「私たちは用事があるのでそろそろお暇しますね」


「それじゃあ私たちも」


解散の流れになる。

だけどそんな中で、ちょっぴり浮かない顔をしている鷲宮さんが見えた。


口数はそんなに多くないのに、表情で何を考えているかが分かりやすいのは寧々に似ている。

他人から見たら変わっていないように見えるらしいけど、私は見逃さないのだ。


「そういえば」


わざとらしく声を上げて、鷲宮さんに顔を向ける。


「鷲宮さん、私に対しても敬語じゃなくていいですよ」


これはちょっと今日、引っ掛かっていたことだ。


鷲宮さんに敬語は似合わないのもあるしきっと彼女は敬語じゃないほうが話しやすいタイプだろう。

私は敬語の方が話しやすいけど、寧々がそのタイプだから同族の良い匂いはなんとなくわかる。


鷲宮さんは少し顔を赤くして、口をぱくぱくとさせている。

かわいい。


寧々さんは若干、背中側を軽くげしげししてくるが今は無視する。


「じゃあ、その、飼い主さん。また、ね……?」


「そんな口調聞いたことないけど」


「黙りなさい」


寧々の茶々に、耳まで真っ赤にして鋭いツッコミを放つ鷲宮さん。


私に対してもそれでいいんだけどなぁ


「はぁ……じゃあ改めて、2人ともまた会いましょう。次はバーチャルの世界で」


「はい。お疲れ様です」


「そこは飼い主さんも敬語をやめるべきじゃない?」


寧々のツッコミは無視する。

私が敬語じゃないとあんまり話せないタイプなのは一番知っているだろうに。


でもフェアじゃないというのも確かだ。


私は控えめに2人に手を振る。


「えっと、ばいばい」


「はい!ばいばいです!」


栗花落さんの元気な別れの挨拶と何故だか膝をついている鷲宮さん。

そして呆れた表情の寧々。


収拾のつかなそうなややカオスな空間の広まりつつあるなか、栗花落さんの「わりとマジで時間ないので行きましょう!」という鷲宮さんの腕を取っての焦りの声と共に、私たちは別れたのだった。


◆◆◆


鷲宮梅雨 @washimiya_tsuyu_atplus


今日は飼い雀のお二人と逢いました。


これは家宝にする予定の二人の初サイン。

猫神雫や三石まほろを差し置いて最初にサインを貰ったVTuberになりました。対戦よろしくお願いします。


杞憂対策。お二人にツイートンに上げる許可は得ています。


返信


猫神雫 Nekogami_shizuku_atplus


キレそうにゃ


三石 まほろ mahoro_mitsuishi_0


こちら、初コラボ相手です。対戦よろしくお願いします。


千虎 七瀬 chitora_77sedayo_


梅雨ちゃんへ←これお願いしたんですかぁ?


鷲宮梅雨 @washimiya_tsuyu_atplus


@chitora_77sedayo_  今からSFで10先ね。絶対来なさい。


千虎 七瀬 chitora_77sedayo_


@washimiya_tsuyu_atplus なんで私だけ!?


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