第65話 誰かの許し
「彼方です」
志野さんに向けてそう言うと、志野さんは目を見開いて「そうですよね……」と呟いた。
「お久しぶりです。彼方さん」
「志野さんこそ」
「お食事の後、少しお時間取れますか?」
志野さんの言葉に寧々を見ると、寧々はこくり、と頷いてくれた。
「少しなら大丈夫です」
「そうですか。ありがとうございます」
志野さんが離れていく。
私は「食べよっか」と寧々に笑顔を向けて、再度「いただきます」と手を合わせた。
「さっきの人って、悠里さんの?」
「うん、マネージャーだった人」
食事をしながら、寧々が問いかけてくる。
志野さんは母のマネージャーになった新人マネージャーだ。仕事ではしっかりしていた母は新人をつけさせるのにちょうどいいと父が言っていたのを覚えている。
「そっか。でもデート中に別の女と話した罪で今度埋め合わせしてもらわなきゃ」
「えー」
声色と表情で冗談だと分かる寧々の言葉。
寧々のこういう気遣いに、何度も救われてきた。
「この後ちょっぴり志野さんと話すけど大丈夫?」
「親友はこの程度で嫉妬したりしない。するとしたらまだ親友レベルが未熟」
「なにそれ」
ややキメ顔の寧々ににこにこしながら、食事を続ける。
鉄板に乗せられたミートソーススパゲティは確かに絶品で、オムライムも美味しい。
シェアしあって完食した後、少ししたタイミングで志野さんによってテーブルの上の皿を片付けられた後に、奥に入っていき私服に着替えた志野さんがやってくる。
代わりに別の店員さんがカウンターにいて、志野さんが店員さんにぺこぺこと頭を下げながら私たちの席へやってきた。
「友達も一緒でいいですか?」
「もちろんです」
寧々の隣に座り、志野さんが私たちの前に座る。
「では改めてお久しぶりです。彼方さん」
「はい。お久しぶりです」
頭を下げる志野さんに、私も頭を下げ返す。
若干、いやかなり緊張している。
だって、もう10年近く会うことはなかった母のマネージャーと再会している。
母のマネージャーという立場から会う機会は少なくなく、まだ幼い私は、年上の優しいお姉さんというだけで懐いていた。
「そちらは……もしかしてねねさんですか?」
志野さんが突然、隣の寧々の名前を呼ぶもんだから、驚いてしまう。
寧々も同じようで少しだけ目を見開いていた。
「あっ、失礼しました。彼方さんからよくお話を伺っていたものでもしやと思ったのですが」
「彼方、この人、良い人かもしれない。ぜひ彼方が話したという私の話を教えてください」
「寧々?」
やや好奇心に支配された瞳をしている寧々に、セーブがてら脇腹を肘で軽く触れるとびくり、と体が跳ねて、睨まれてしまった。
「仲が良いんですね」
「親友なので」
こういう恥ずかしげもない、というか真正面からこういうことを言えるのは寧々の強みであり、羨ましいところだ。
私にはまだ恥ずかしい。
「昔の彼方さんは、ねねさんのことを憧れって言っていたので少しばかり不安もありましたが、良いご関係を築けているようで嬉しいです」
「憧れ、良い響き」
「あの、恥ずかしいからマジでやめてください……」
さらっと暴露をする志野さんは恥ずかしがる私にからからと口もとに手を当てて笑った。
こういうところは昔の志野さんとまったく同じだ。
「……それで志野さんは何の話を?」
「……まずは謝罪をさせてください」
志野さんは徐に頭を下げると、「あの時、ご両親を守れなくて申し訳ありませんでした」と言った。
彼女の謝罪に思わずため息がもれる。
_____やっぱりこういう話だった。
あれは事故で、誰も悪くはない。
そうやって被害者とその被害者の家族がそう言えてしまえばこの世界から争いはやがて消えるだろう。
だけど被害者も、加害者の家族も、そして被害者の家族だってどこかで自分を責め続けている。
私が、止めていれば。
私が守っていれば。
そんなの結果論にしか過ぎない。
でも、そう思うことは自由で、それを無くしたいなんて思えるはずがない。
私だってずっと自分を責め続けてる1人だ。
だから私は「はい。謝罪を受け入れます」と言った。
寧々からすれば意外な言葉で、そして志野さんにとっても意外な言葉だったソレに、志野さんは顔を上げて私の顔を見た。
「なんで……」
「だって、誰かが許してあげないと。辛いままじゃないですか」
志野さんも私もずっと苦しんだ。
ファンも被害者もその家族も、被害者の家族だって。
私は許してもらった。
誰かにというわけではない、私に関わってくれたたくさんの善意に許された。
だから今度は私の番だ。
志野さんはきっと、私と同じように生きづらい人だ。
『志野は彼方と似ている』
母の言葉は昔は理解できなかった。でも今は確実に理解ができる。
この人は今でも自分を責め続けている。そんな人だ。
私と一緒で、不器用な人だ。
泣き出してしまった志野さんの頭を撫でる。
それはかつて、泣き虫だった私の頭を撫でてくれた志野さんへのお返しだった。
◆◆◆
「お見苦しいところをお見せして申し訳ありません」
目を真っ赤にして、頬も真っ赤にした志野さんが謝る。
奥の席だったのもあって、目立ってはいないし……まあ店員さんやカウンター席に座っていたお婆さんは何事?という目で見ていたが、そこら辺は志野さんが上手いこと説明してくれるだろう。
「……彼方さんに慰められる日がくるとは思いませんでした」
「あはは、昔は逆でしたもんね」
「……本当にありがとうございました。色々楽になれました」
「それは良かったです。志野さんはここでお仕事を?」
「はい。事件の後、怪我で仕事をやめて今は祖母が店長をやっているこの喫茶店で店長代理を務めています」
「……なら家からも近いのでまた来ますね」
「はい。そうしていただけると嬉しいです」
志野さんが笑う。
その笑みは吹っ切れたような、花のような笑みで、見ているこっちとしても嬉しくなるような、そんな笑みだった。
◆◆◆
志野さんと雑談をしていると、そろそろ時間が迫ってきていた。
「じゃあ、そろそろ予定があるので行きますね」
「はい。お時間を取らせてしまい申し訳ありません」
会計のためにレジへ向かうと、カウンター席に座っていたお婆さんが立ち上がり、志野さんに近づいていく。
それをなんとなく目で追っていると、その手が縦に志野さんの頭に振り降ろされた。
「いっっっ!な、なに
「何じゃないよ。お客さんの時間取って、ぴーぴー泣いておいて、何、金取ろうとしてんだい。あんたが奢るんだよ」
おばあちゃん、さっきの志野さんの話を聞く感じだと店長だろう。
……確かによく見れば顔つきが似ている気がする。
突然のバイオレンスに驚きながらも、頑張って声をかける。
「えっと、私は大丈夫なので」
「あんた」
「は、はい!」
お婆さんは私よりも身長が高くて、そして妙な迫力がある。
思わず敬語で返事をした私を一瞥して、口元を緩めて笑みを浮かべた。
「あんたのことはなんとなく誰かは分かってる。だけどこの店ではお客さんと店員で、店員がお客さんの時間を取ってしまった。うちの店ではその責任はきっちり取らなきゃならない。これはうちの店のルールだ」
「あ、はい。わかりました。志野さんごちそうさまです」
その迫力のある言葉に、ピンと背筋を伸ばして志野さんに頭を下げる。
志野さんも諦めたように、「奢ります」と呟く。給料日前なのに、と小さく呟いてまた頭にチョップを入れられていた。
奥から財布を持ってきて、自分の財布からレジへとお金を入れていく志野さんを見ながら「では、そろそろ行きます」と声を掛けると志野さんは顔を上げて「はい!」と元気良い返事が店内に響く。
「またのご来店をお待ちしております!」
そんな、志野さんの元気の良い声を背に、私たちは喫茶店を出た。
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驚くことに2日連続更新です。
次回仲良しASMR回。
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