第14話 寧々と彼方(後編)

_____始まりはなんだっただろうか。

たぶん、小学校六年生の頃、寧々があんまり笑わなくなったことに気づいたことだ。


寧々の家は、両親と兄と姉の5人家族。

両親は有名私立大学を卒業していて、兄や姉もまた高い偏差値の男子高、女子高へと通っている。

勉学への意識が高い家系だったから寧々も昔から塾に通っていた。


そして中学受験という単語がちらほらと飛び交いだした辺りから、寧々の様子がおかしくなっていった。


愛想笑いをよく浮かべるようになった。

遊ぶこともなくなり、難しい参考書を見ていることが多くなった。

そうなっていくと、寧々から離れていく人も増えていき、やがて未だに寧々に金魚のフンみたいにくっついているのは、私だけになった。


「寧々ちゃん、そろそろ暗くなるよ」

「うん」

「帰らないの?」

「うん、先に帰ってれば」


学校から徒歩数分のところにある図書館の自習室。

18時まで空いているその場所で、寧々はひたすら参考書と向かい合っている。


「じゅ、塾とかは大丈夫なの?いつもこの時間は塾行ってたよね?」

「……彼方には関係ないでしょ」

「……どうしたの?寧々ちゃんらしくないよ」


___バンッ!

自習室に響く音に、びくりと肩を震わせる。

机に手をつき、立ち上がった寧々ちゃんは怖い顔で私を睨んでいた。


「私らしさって何!?何したって私の勝手でしょ!嫌ならどっか行きなよ!」


声を荒げ、肩で息をする寧々ちゃんに、何も声が出せないでいると、静寂が支配した部屋に18時を知らせるチャイムが鳴り響く。


「帰ろ。寧々ちゃん」

いつもとは違い、今日は手を差し出すことはしない。

扉を開けて、待っている私に寧々ちゃんは俯いたまま、近づいてくる。

いつもより歩幅を小さく、何を話すこともなく、今日は寂しげな手袋に包まれた手をぶらぶらとさせながら帰路に着く。

半歩後ろに、寧々ちゃんがいることを度々確認しながら口をパクパクとさせて何を話そうかと考えてみる。

だけど何も知らない私に、何も話すことはなく、静寂だけが過ぎていった。


「……彼方」

「何?」

「もう明日から着いてこなくていいよ。一人で大丈夫だから」

「何が?」


一人で大丈夫なら、いつもの寧々ちゃんなら、私は既に一人で本を読みながら家に帰っている。

少しだけだけど、その付き合いのなかで、寧々ちゃんが一人が寂しいタイプの子であることはよく分かっていた。

だから寧々ちゃんは多くの友人を作って、いつもその輪の中にいる。

だけど一度誰かと離れてしまうと、その表情に陰りが差すことには、たぶん私しか気づいていない。


そう、ずっと寧々ちゃんを見ていた私しか気づいていない。


「っだから!迷惑なんだって!」

立ち止まり、両手を握りしめて、俯いたまま叫ぶ寧々ちゃんに、何も返さない。


そんな寧々ちゃんが一人でいようとしている。


____頼まれたってほっといてやるもんか


「……寧々ちゃんは何も言わないよね」

「は?」

「嫌なこととか、やってほしいこととか何も言わないで、ただ一歩引いてみてるだけ。それで誰かに分かってもらおうとか前々から思ってたけど自分勝手なんじゃない?」


心臓の音が五月蠅い。


湧き上がってくるのは罪悪感と、それと同じぐらいの達成感。


言ってやったぞという気持ちが今、目の前の寧々ちゃんのことを疎かにしてしまっていた。


____ッドン。

強く肩を押される。


急激に変わっていく景色のなかで、怒りと悲しみがごちゃ混ぜになった寧々ちゃんの表情が印象に残る。


水色のランドセルから教科書が飛び出し、暗く人通りの少ない路地に私は仰向けで倒れていた。


やがて首筋にあてられるのは、ふわふわした手袋の感触。

あんまり力のこもっていない手が首にあてられている。

首を絞められているとも思えない少しの圧迫感。


たぶん首絞められているんだよね……?


その事実を受け入れるための時間が少しかかった。


私に馬乗りになった寧々ちゃんの表情はあまり見えない。

寧々ちゃんの柔らかい髪が、頬をくすぐる。


やがて降ってきたのは、冬に似つかわしくない温かい雨。

頬を伝い、落ちてくる雨は、少ししょっぱかった。


「わかんないよ!私はどうすればいいの!?お母さんもお前は才能ないからって、バカだからって!塾も辞めさせられた!ピアノも、全部!だから!……だから、見返してやろうって、勉強してもわかんないことばっかで……学校の先生に聞いてもこれは中学生の問題だからやらなくていいって……、わかんないよ……私はどうすればいいの……」


寧々ちゃんの頬を撫でる。


初めて、寧々ちゃんにちゃんと触れられたような気がして……、心臓がさっきとは違うリズムを刻みだす。



「……よくわかんないけど寧々ちゃんは真面目すぎると思う。私っていっつも難しい顔してて何考えてるかわからないって言われるけど、いっつも寧々ちゃんと今日は何して遊ぼうとか好きな本の妄想とか、そんなことしか考えてないんだ。だからさ、もっと軽くさ、寧々ちゃんもいっぱい楽しいことだけ考えてみない?」

「……楽しいこと」


ゆっくりと寧々ちゃんが体を起こす。


首の違和感が消えて、はっきりの寧々ちゃんの顔が見えるようになった。


「ゲーム」

「あー、寧々ちゃんゲーム上手いもんね。もしかしたら、ぷろげーまー?にもなれるかも」

「あと、彼方と一緒にいたい」

「……そっか」


心がぽかぽかする。

そう思ってくれるのは……嬉しいな。


「彼方は」

「ん?」

「彼方はどこの中学に行くの?」

「寧々ちゃんは……どこがいい?」

「遠いとこ、彼方しか知ってる人がいないとこ」

「じゃあ、南とかどう?」


南中って確か電車で一駅ぐらいのところだ。

小学校にも時々電車で行くしあんまり遠い感じはしないけど、みんなはきっと近くの西中へ行くと思う。

誰もいないことはないかもだけど、いてもたぶん数人。


「じゃあ南中に行こっか」

「うん」


やっと笑ってくれた。

久々に見た本心からの笑みに、安心する。


そしてようやく思い出したように寧々ちゃんが青い顔をする。


「あ、く、首!ごめん!」

「大丈夫だよ ふふっ、寧々って力ないね」


あっ、寧々ちゃんは寧々って呼ばれるのが嫌いなんだった!


確か、ねね!と呼び止められているか名前を呼ばれているか分からないからみんなに寧々ちゃんって呼んでってお願いしてたような気がする。


「あっ、ごめん 寧々って呼んじゃって」

「いいよ。彼方にならいい。呼び捨てで」

「そう?じゃあ寧々って呼ぶね」

「うん!」


寧々と一緒に、ランドセルから散らばった教科書を詰め込んで、白い息を吐きだす。


「んー、明日からどうしようっか」

「勉強はもういいの?」

「うん、南は受験しないでいいし、彼方と遊びたい」

「じゃあ、外は寒いし私の家で遊ぶ?」

「いいの!?」

「いいよ、お母さんたちも寧々のこと好きだから」

「ありがと!」


幸せそうに、鼻の頭を真っ赤にした寧々が笑う。


昔は絶対に届かないと思っていた雪の上を走り回るウサギは、雪から頑張って顔をのぞかせた草に笑いかけてくれた。


なんて、これならいつか食べられちゃうかも。


差し出された手をぎゅっと掴む。

出来るなら、これからもこの手を離さないでいたい、なんて欲張りだろうか?



_____________________________________


「だいぶ端折ったけど、大ゲンカしてすっきりしたしそっからはお互い言いたいことは直ぐに言うようになったから些細な言い合いはあったけど喧嘩までは発展しなかったかも」

「そうチュンね」


『理想の友人関係じゃん』

『夫婦が長続きする理由みたいなことやってて草』


「さて次の質問はっと……ってもうこんな経ってたチュン」


雀の声に、時計を見ると一時間半が経過していた。


「思ったより長いこと話してたチュンね。みんなは楽しめたチュンか?」


『楽しかった!』

『最高だったが?』


「楽しんでもらえたら嬉しいチュン。また飼い主さんの気が向いたときにコラボするかもだからよろしくチュン」


『毎秒してください』

『お二人の家の壁になりたい』

『おつ~』


「じゃあみんなお疲れチュン!」


『おつ~』

『楽しかった!』


___プチッ。


放送の停止ボタンを押して、寧々が小さく息を吐いた。それが達成感が入り混じったものであることは寧々の表情を見ればわかる。


「寧々」

「なに?」

「今、やりたいことやれてる?」

「うん、やれてるよ。ゲームとvtuberとあと……彼方と一緒にいること」


子どもの時は純粋に嬉しかったけど、今、面と向かって言われるとちょっと恥ずかしいな。


でも


「嬉しい」


今日ぐらいは子どもに戻って純粋に喜ぼう。


___ボンッ

急に寧々の顔が真っ赤に染まる。


しばらく口をもごもごとさせて、やがて小さく俯いた。


「彼方」

「なに?」

「これからもいっしょに頑張ろうね」

「うん!」


できるなら、これからも。

そう、これからも寧々の笑顔が失われずに好きなことを続けられることを、一番の親友として願う。


                -一章完-


____________________


一章終了です。

次回から二章に入ります。

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