6コマ目  せめて袖



 清輝せいきが滑らかに注ぐ。夜空には星がちりばめられている。日が沈んでも、真っ暗とはならない。今はそれが残念に思えてならなかった。公園のベンチに座っているとなれば、街灯の光も届いてしまう。

 糸子いとこ先輩の小説を読んだ後、焦って時計を見れば本当にぎりぎりというところで、私は部屋着に厚手のパーカーを羽織はおるだけでここまで来ていた。肌寒いのに、どこか火照ほてった感覚があった。

 糸子先輩は私より余裕がなかったようで、寝間着の上にノースリーブのロングコートを着ていた。いくら何でも余裕がなさすぎではないかと思わないでもない。私が思っていたよりもっと、駅から遠くに住んでいるとのことではあったのだが。せめてそで

「まさか、呼び出されるとは思ってなかった。明日でよかったんだよ」

 糸子先輩の地元、駅近くにある公園、おそらくは、先輩が私の漫画を読んだのであろう場所に来ていた。先輩と私は並んでベンチに腰かけている。

「ごめんなさい。衝動的に動いてしまって。まだ終電に間に合うと思ったら、つい、走っちゃって」

 夜中に女ふたりでこんなところに来るものでもないが、公園を出てすぐに交番があるし、叫べば聞こえるだろう。警官に見つかったら帰宅させられてしまうだろうから、公園にパトロールに来ないことを祈る。

 先輩の小説、三作目を読んですぐ、私は家を飛び出していて、それと同時に先輩へ連絡を入れた。いてもたってもいられず、ではあったのだが、別な思惑もある。

「それに、今からする話は、昼間の明るい地学室じゃなくて、できるだけ暗い場所でするほうがいいんじゃないでしょうか」

 願いのまま叶うのかどうか、それはわからない。

 けれど、出会って欲しかった。

 闇の中で、ぬいぐるみのもとに少女が訪れる日が、今ここにあって欲しかった。

「読んでもらえたんだね。ありがとう」

 暗がりでも、糸子先輩が微笑んだことがはっきりとわかる。今なら、たとえ明かりがひとつもなくても、ちゃんとわかりそうな気がしてしまう。

 糸子先輩は微笑みを崩さずに、話を続けた。

あやちゃんに読んでもらった小説の続き。あの女の子は……ううん、私は、転校することをやめて、漫研に入って、彩ちゃんと友達になれる日を待ってたんだ」

 先輩の表情に、陰りが混じる。

「でも、実はわからなかった。会えたとして、どうやって、寄り添いたいと言えばいいんだろうって。それで、原作って言っててね。そうすれば、彩ちゃんと同じひとつの作品をつくれる、そう思ったから」

 最初から、私が入学する以前から、糸子先輩の原作は、私の作画ありきだったということだ。

「勝手だよね。本当に、ごめん」

 先輩は俯く。呼び出しておきながら、言葉をうまく返せない自分がいた。確かに、その思い入れは勝手だし、会ったこともない人に押しつけるには重すぎるし、私には私の描きたいものがあるわけだし。

「でも、本当でもあるんだよ。彩ちゃんと一緒に作品づくりができるなら、そんなに嬉しいこと、ないよ」

 先輩が潤んだ声音で言うのを聞く。知ってはいたけど、この人は声帯にも恵まれている。ずるい。

 やっぱり私は甘いと思う。でも、優しい言葉では言えそうにない。罵詈ばり雑言ぞうごんが飛んできても泣くなと言っておいてよかった。

「謝るところ、そこじゃないと思います」

 私が言うなり、先輩はうろたえたような顔つきになった。私は笑顔が見たいのに、こうして困らせてばかりいる。

「だって、結局、自分の原作で書いて欲しいだなんて、真っ赤な嘘じゃないですか。私と友達になりたかっただけ、私と一緒に作品がつくりたかっただけ、そうでしょう? それなのに、変なごまかし方をして」

 先輩は押し黙ってしまったが、それは私の言うことを認めたと捉えることにして、話を続けた。

「一緒にやるっていうなら、原作じゃなくてもいいんですよね。キャラクターを一緒に考えるとか、ベタ塗りを手伝ってもらうとか、そういうのでも」

「そうだね。うん、嘘ついて、ごめん」

 あまりにも申し訳なさそうに言うので、私としては、本当に罵倒してやりたい気分だった。

「先輩、察し悪いですね」

 さすがに、神経のない人にそれを求めるのも酷なんだけど、こういう段取りでもないと、私の気が収まらないのだった。

「私の原稿のベタ塗りとか、消しゴムかけとかトーン貼りとか、手伝ってもらってもいいんですけど、やりますか? それとも嫌ですか?」

「えっ」

 もし、これが漫画だったら、先輩の目は点になっていたはずだ。

「やる! やります! やらせてください!」

 先輩の目はきらきらと光をたたえていただろう。漫画だったら。どうも上下関係が逆転している気配があるのだが、今この瞬間に限ってのことだと思うことにする。先輩を敬っていられるならそれに越したことはない。望み薄だとしか思えない。

「あと、まあ、その、せっかく先輩、たくさん原作書いてたみたいなので、やっぱり、没にするのも惜しいかなって。ネームにしてきてもらえれば、描いてみます」

「ネームって?」

 先輩から、本当にわからないという顔で問われる。予想はできていた。できてはいたけど、やはり漫研部員の口から聞くと衝撃的だ。

「下描きの下描きみたいなものです。後で詳しく教えます。とにかく、先輩の小説はうますぎて逆に描けないですし、私、読むと落ち込むので。だからネームに直してください。そしたら描きますから」

 私がそう言うのを聞けば、糸子先輩は喜色満面なのだ。

 背景はどこかに消えて、きらっきらのトーンを背負って、はしゃいで一メートルくらい跳ねていた。漫画だったら。




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