4コマ目  見つけたよ



 わかってる。

 解は明らかで、導き出すことはたやすかった。

 私では力不足ですから描けません、と、丁寧に断りを入れればそれでよかった。糸子いとこ先輩は落ち込むだろう、けど、涙があふれるようなことにはならなかったはずだ。先輩にはどんな悪意もなかったはずなんだ。そのくらい、十分に察していたのに。

 どれほど深く物思いにふけってしまっていたのか。影が視界に入るまで、私は人が来たことに気づかなかった。

 私の影の右側、重なるかどうかのところに伸びる、もうひとつの影がある。

 影がふたつ並ぶ。あるいは、寄り添うように。

 私の目線は、またも床に落ちていたらしい。影を見た瞬間に、ああ、これは糸子先輩だ、と、そう思ったのは何ゆえのことか。夕陽によって伸びきったシルエット、それが誰のものかなんて、わかりようがないのに。

 確信のままに顔を上げて隣を見やれば、やはりそこには、風に揺らされる長い髪を、たおやかに手で押さえる糸子先輩の姿があった。今日の風は少し気まぐれで、だいたいは向かい風だが、時折、ふっと方向を変える。

 するっと、ふわっと、先輩の栗色の髪が、いたずらめいた風に乱される。瞬間と瞬間の合間、風の気まぐれによって生まれ、一瞬にも満たないで消えてしまう美を見る。きっと、私の力ではうまく切り取れない。描きたいのに。

 私の望みなどつゆ知らず、糸子先輩は落ち着いた様子で口を開いた。

「私、自分の願いを言うばっかりで、自分勝手だったね」

「どうしてここに? 風にあたりに来たんですか? 風邪ひきますよ」

 先輩の瞳、まぶたまつげは、涙の跡をありありと残していたけれど、それでも、口元には自然な微笑みが戻っていた。やっぱり、そうしていると綺麗だな、なんて、この場には不似合いなことを思う。

「ううん。違う。あやちゃんを探して学校中を歩いてたんだよ。彩ちゃん、優しいから、泣いている私を置いて、ひとりで帰ったりできないだろうなって、そう思って」

「優しいって、どこからそんなでたらめが」

「でも、ほら、探したら、こうして見つけたよ」

 否定したくとも、実際に私は帰らなかった。好き好んで屋上で立ち尽くしていた理由も、すぐに浮かばない。ひとりになりたかったのはある、落ち込んでいる時にあえて寒さに震えたいかとなると、そういう趣味はない。

 私はしっかりと先輩に目を向ける。少し、睨みつけるふうになる。

「先輩の考える私が優しいのはわかりましたけど、なんでわざわざ探すんです?」

「謝りたかったから」

 向き直って、先輩もまた、私に瞳を据えた。

 わかりますか。

 先輩、わかりませんか。

 あなたに、そうやって見つめられる私の気持ちが。

 染めているはずなのに艶のある髪、乱れたことで淫靡に映えるまつげ、その桜唇おうしんは言葉を発するたびに色めく、絡み合い組み上げられた美が崩れてしまいそうで、首元にはとても触れたいと思えなくて。

 美の結晶のような指で、涙を押さえましたか。

 こうしていると、嫉妬が抑えられないんです。あなたにあって、私にはないものが多すぎる。

 天上にいるかのような才能。あなたは見下ろす気はないのかもしれないけど、どうぞ下を見てください。霞むほど遠くにある地学室で、私が漫画を描いています。中学の卒業文集に書いた、『漫画家になりたい』という夢を叶えるため、律儀に地学室に通っている私がそこにいます。

 あなたが前を、横を、あるいは後ろを、四方のどこに目をやっても、私の姿はないんです。

 どうぞ下を見てください。

 でも、自分の思いとは正反対に、私は真っ向から先輩を見つめ返してしまう。先輩は真剣な面持ちで、今までこんな表情は見たことがなかった。ふっと、やっぱり誰よりも美しいと、そう思ってしまえば、私はもう見つめるだけ。ずるい。

 目を向けていたくないのに、目をそらすことを、あなたが許さない。

 私の口調は、どこか文句のみるようになった。

「状況、わかってますか。糸子先輩を泣かせたの、私じゃないですか」

「ううん。ごめんなさい」

 先輩は頭を下げる。長い髪が乱れ、風に遊ばれる。

「自分の気持ちで頭がいっぱいで、彩ちゃんのことを、ちゃんと考えられてなかった。彩ちゃんを怒らせたのは、私のせいだよ。だから、ごめんなさい」

 言ってから、先輩は顔を上げて、瞳が再び私を捉える。

 どうして今が夕照せきしょうの頃であるのだろう。先輩は、夕映えを味方につけて引き立つではない、むしろ薄暮の光でようやく釣り合うと、光のほうが、それでやっと追いつくと、そんなふうなのだ。これ以上、思い知りたくはないのに。

「けんか両成敗ってことで、いいでしょう。そういうことなら」

「でも、そういうわけにもいかないの。私、実は、ひとつずるいことをしてた。彩ちゃんに対して、失礼なことを」

 あなたは何もかもずるい、そう言いそうになって、喉元でどうにかこらえた。

「彩ちゃんに渡した三つの小説、もし順番に読んでくれているなら、まだ何も見てないと思うんだけど、三作目、漫画の原作ってわけじゃないの。でも読んでもらいたかったから、それを伏せて、紛れ込ませて。卑怯だね」

 糸子先輩の言う通り、私は三つの作品を順番に読み進めていた。二作目の途中で読むのをやめたから、三作目は一文字も読んでいない。

「漫画の原作でないなら、いったい何だって言うんです?」

「私小説、というのもおこがましいかな。ただの体験談」

 先輩の視線が私から外れ、ふっと夕空を向く。ここではない遠くを見るような顔つきもまた、初めて見て、どこか、優越感が湧かないでもなかった。たちが悪い。誰もが見られるではないと、それで満足もできない。それを超えて、だって――

 ――悔しい。

 描きたいのに。こんなにも。

 気まぐれな風が気を利かせる。いくらか力を弱め、先輩の髪を、ふわりと後ろへ揺らし、浮かせる。光と風が先輩に追いつく。

 めったに人に見せないであろう表情は、もろさを含む。嫉妬の埋め合わせがこの光景を見ることであるならば、悪くないようにも思えてしまう。

 先輩は私に視線を戻し、再び頭を下げた。

「あの、こんなこと言うの、本当にどうかしてるとは思うんだけど、彩ちゃんに、ふたつのお願いがあるの」

 黙っていれば損得の収支が合うものを、口を開けばこれだ。赤字。

「先輩、はっきり言いますけど、どういう神経してるんですか」

 うっかり尋ねてしまうものの、聞くまでもなかった。先輩には神経がない。

「ひとつは、彩ちゃんがまだ読んでない、三つ目の作品を読んでほしいってことと、もうひとつは、それを読んでから、明日また学校で話がしたいってこと」

 反省してみても、今後の改善につなげられないというのはよくわかった。

「まあ、いただいた原稿を読まないでいるのは、いささか不誠実だと、私としても思います。でも、明日、私がどんな罵詈ばり雑言ぞうごんを発しても、絶対に泣かないでくださいね」

 律儀者で甘く、ほだされやすい。世が戦国時代なら、私は真っ先にたおれているはずだ。




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