2コマ目  なんか普通



 小学校に入る時に買ってもらった学習机はいまだに現役で、漫画を描く際にも使う、言わば相棒なのであるが、その相棒の席上で、私は見事に頭を抱えている。

 抱えたかと思えばぱっと頭を上げ、書棚から、文化祭で発行した漫研の冊子をひったくるように抜き取る。ページをぱらぱらとめくり、気づけば睨む。これでもかと睨む。こんな目つきをしていたら男女問わず人は逃げていく。そのくらいは、いくら私でもわかる。

 開いていたページにあるのは、他でもない、私が描いた漫画だ。

 もちろん真剣に描いたし、自分で自作の出来に満足したからこそ載せたには違いない。が、客観的な目線で見れば、もちろん何もかも違ってくる。要するに――

「下手だろ、私……」

 漫画のていではある。しかし、それが精一杯というのであれば、思わず独り言も漏れる。

 卑下というのではなく、自虐のつもりもないのだが、まだまだ私は発展途上の半ばにある。例えば私の愛読する雑誌のいずれか、つまりは商業誌に、この作品が載っていたとしよう。編集部の良識と品性が疑われ、雑誌の品格を損なうに違いない。

 のみならず、手元の冊子をぱらぱらとめくれば、もっとうまくて面白い漫画にすぐ出会えるわけで。実際に人気アンケートの結果でも、中位より上に食い込んだことなどないわけで。

 今さらになって気づいたけど、うちの漫研、相当レベルが高いのでは? 商業誌に載っていても違和感のない人、ふたりも数えられるんだけど。そのうちひとりは――奥付おくづけにきちんと明記されている――糸子先輩と同じクラスなんだけど。

 つまり、なんで私?

 震える肩さえ目にとめなければ、きっと私は、糸子いとこ先輩のお願いを受け流し、あっさりと断ったはずだ。けれど見てしまった。だからつい、『考えておきます』という返事をしてしまった。

 その時は、時間をおいてからちゃんと断りを入れる心算だった。

 しかし、糸子先輩から、『考えてくれるだけでも嬉しい』と、安堵混じりの笑顔で言われるに至り、胸算用むなざんようは何もかも吹き飛んだ。

 糸子先輩がまともな受け答えをして、虚をかれたというのがひとつ、糸子先輩がそうやって微笑めば、同性の私でも心臓が止まりそうになるというのがひとつ。

 現状、糸子先輩は本気で私を誘っているのだと、そう判断するよりなく、ゆえに頭を抱える。同じ部にいて、共作のひとつふたつしてもおかしくはない。が、プロレベルの同級生を無視するようにして、私に話が来るというのがわからない。断られた後だというならまだしも、最初から私を狙い打ちだというふうで。

「おねえ

 廊下から呼びかけとともにノックがあった。弟だ。

「風呂、空いたから入ってよ」

 客観性という点で悪くない、私はそう思い、冊子を片手にドアを開けた。少し驚いたふうに、やや面倒くさげに、パジャマ姿となった弟の目線がこちらへ向く。

 この弟は、日頃から、姉というものを尊重しないのだが、今回ばかりは都合がいい。私の漫画、さっき睨んでいた見開きを、突き出すようにして弟の前に掲げた。

「お姉ちゃんの漫画について、忌憚きたんのない意見を聞かせて」

 言えば、弟は戸惑いの表情になる。少し考えるそぶりをしてから、逆に質問が返ってきた。

「キタンって何?」

 そもそも通じていなかったらしい。来年受験のはずなのだが、これでは姉として心配になってくる。私は国語教師ではないので、文句はつけず、言い直すことにした。

「うまいか下手か、ぶっちゃけどう思う?」

 弟はひとつ納得してから、私の漫画を見やる。見開き、二ページ分、合計十一コマ、右上から左下までざっと目を向けてから、結局は投げやりに言った。

「んー、なんか普通」

 私から意見を求めたうえでの、弟の率直な所感なのではあるが、これなら、デッサンがおかしいとか、パースが崩壊してるとか言われたほうが、よっぽどましだった。


 私は防水の携帯を好んで使う。風呂場に持ち込みたいがためだ。今日も、私は湯船に浸かりつつ、携帯をいじっている。水没を心配して、浴槽から外へ手を出す格好になっている。

 ネットにひたろうというのでなく、携帯を用いて、自作の構想をまとめるためだった。メモとして書いた文章は、アプリを通じて共有され、自分のパソコンでも確認、編集ができる。体を洗う段になれば、携帯は脱衣所にある洗濯機の上に置かれる。

 ただ、今日に限って言えば、私はただ画面を見つめるだけで、一文字さえ書き込まれるではなかった。

 入浴剤を入れたお湯の中で、体がじわじわと火照っていくのを知るだけ。だんだんと、目つきが険しくなっていくのを自覚する。視線の先にあるものは違えど、こうしてまた睨みつけてしまっている。

 もし、先輩からの話を受ければ、こんなふうに話のアイデアを練る機会も減るのだろうか。ふと、考えがいってしまい、果ては糸子先輩の微笑みを思い出し、ちっとも集中できない。

 マナーモードにしていた携帯が震える。チャットアプリからの通知だった。送信者として糸子先輩の名前があって、私は思わずびくりと震え、水面がわずかに波立つ。

 メッセージにあったのは、よかったら読んでほしい、という旨と、ウェブのアドレス、そしてパスワードだった。先輩が書いているという小説を、私が読めるようにしてくれたということか。共作への返事を保留しているならばこそ、ここはきちんと返信をしなくては、そう思ってみてもすぐに指は止まった。

 パスワードが、『AYA-LOVE-ITOKO』であることに気づき、返信の意志は根こそぎ消え失せた。ものの見事に挫折した。よくわかった。悟った。糸子先輩は神経が図太いんじゃなくて、そもそも神経がないのだ。

 無神経にいちいち反応をくれてやるものか。




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