第24話「それから」
第二十四話「それから」
ーー十月五日
俺は、少しばかりの荷物を纏めると、それを入れたスポーツバッグを担いだ。
W県立医科大学付属病院、俺の二週間ほどの入院生活が終わりを告げる日は、澄み切った高い空の秋らしい日であった。
「もう、全部用意できたの?」
個室病棟の入り口で待っていた少女が俺に声をかける。
「ああ、そんなに荷物も無いしな」
俺はそう答えると、最後に机の上に置いてある眼鏡を手に取って、装着した。
「じゃあ行きましょうか」
そう言って俺の前を歩き出す少女は、俺が入院中も足繁く通っていた。
それは彼女らしく無い健気な行動だが、彼女らしいといえば彼女らしいとも言える。
ポニーテールの少女、
淡いグレーのブレザーに膝丈の清楚なプリーツスカート、彼女には珍しくスカートという出で立ちだが、これは彼女の通う学校の制服だ。
俺の入院中、彼女はよくこの姿で見舞ってくれていた……いつも学校帰りに寄ってくれてたってことだろうか?
「ねえ、退院祝いに、ちょっとどこか寄ってく?」
少し歩いた俺達は、俺の通う臨海西高等学校の通学路沿いにある、喫茶ドラクロワの前で立ち止まる。
「……そうだな」
俺はなんとなくそう答えると、あの事件の始まりとなった、喫茶店の看板をチラリと見ていた。
あれから二週間と二日、外傷はたいしたことが無かった俺だが、極度の疲労と一応の検査と言うことでW県立医科大学に入院した。
俺自身は、もっと早く退院する予定であったが、結局、今日までかかってしまった。
その間、
俺は学校では、特に交友関係が無いので当然だろうし、
俺から言い出した決別であるし、俺が
なんと言っても相手はこの国の支配者なのだから。
「……」
そして、正直、俺は長年の目的を達成した事で、その喪失感に少し抜け殻の様な状態であった。
「はがね?
少しの間、ぼーっとしたまま佇む俺に、
「あ、ああ、すまない、じゃあ入るか」
ーー!
慌ててそう答えた俺の腕を、突然ガシリと誰かが掴んで引き留めていた。
「じゃあ入るか……じゃない!
そこには、前髪をキッチリと眉毛の所でそろえたショートバングの髪型、あどけなさの残る顔立ちで、客観的に見て可愛らしい部類に入るはずだが、目つきの悪い三白眼ぎみの瞳のおかげで無愛想な印象を受ける少女が、小さい体で俺の腕を掴み、偉そうに仁王立ちに立っていた。
「!」
俺はその人物に驚く。
「
固まる俺を
「お……お嬢様……?」
そうして彼女の言葉にあったその単語をオウム返しに口にする俺。
はぁ、とあからさまに呆れた態度を取った
「おまえの、あの……ちょっとだけ素敵なマンションでお嬢様がお待ちだ、寄り道なんてこの私が許さない!」
その言葉に俺の隣で様子を見ていた
「ああ、おまえは来なくていいぞ、鬼女」
そしてそのポニーテールの少女相手に、挑発的に言葉を付け足す
妙な緊迫感の中、俺は暫し考えていた。
「ああ、……ちょっと
俺は、そう言って喧嘩腰の目つきの悪い少女の腕を引っ張り、道の端の方へ連れて行く。
「……」
ポニーテールの少女は白い目でそれを見送った。
道の
「うおっ!遠目からカッコイイなーって感じだったけど、近くで見るとモデル級じゃん」
喫茶ドラクロワの前で佇んでいた
「……」
無視を決め込むポニーテールの少女の前に、ぐるりと回り込む声の主。
その男は、髪を金髪に染めた、いかにも軽い男で、興味津々の瞳で彼女を見ていた。。
「ねーねー暇なの彼女?、えっと、何子ちゃんかなーー?名前教えてよ」
馴れ馴れしく話しかける金髪男。
「うわっ!邪険にされてるよ、俺!なんてな、そんなにツンツンしないでさー」
全くめげる様子もなく、ニヤニヤしながら彼は話を続ける。
「俺の名前はたなーー」
「
金髪の軽い男が頼んでもいないのに名乗ろうとしたとき、俺はそこに戻っていた。
「ん!」
「あ!」
俺と金髪男の目が合う。
「あの時のちゃら男くんか?」
「あーーーあんたは、命の恩人、
そう叫んで、俺の手を取ろうとした。
ーードス!
その直後、
「わっ!」
ヨロヨロとよろめいて前のめりに倒れる金髪男。
ーーカランコロン!
「
突然、喫茶ドラクロワからわらわらと出現する
「邪魔!」
「はっ!」
いい返事で応えた黒服部隊は、四つん這いになった、ちゃら男くんを拘束して、連行していく。
「わーー!何なんだ!あんたら!ほ、
ーーバタン!
ーーブロロローーーー!
黒塗りの車に押し込まれて去って行く金髪男。
「……なんか分からんが達者でな、たなーーーーちゃら男くん」
俺は何故だか目頭が熱くなっていた。
「
金髪男を感慨深く見送る俺を
「あ、ああ、そうだった……
「ええ、わかったわ、行きましょうか」
「……え!」
俺がそこまで言いかけた時、即座に
思わず素っ頓狂な声を上げる俺。
「
平然とそう確認する
「あー
取りあえずどうしようも無い俺は、
「お嬢様は、貴様一人のおつもりだ!」
「
うわっ!面倒臭くなった俺の投げやりな態度に、二人の女が、申し合わせたようなタイミングで、同時に抗議してくる。
てか、もの凄く怖い眼で睨んでるんだけど……
「えっと……ごめんなさい……みんなでいきましょう……」
自宅に戻るだけの俺は、何故か平身低頭で二人を招待していた。
臨海市の港区域にあるリゾート施設”マリンパレス”。
休日になると家族連れやカップルで賑わうアミューズメントパークで、その敷地内には、遊園施設のみならず、海産物の卸売り市場や、天然温泉施設まで揃った、他府県まで聞こえる人気施設だ。
また、オーシャンビューのリゾートホテルが並ぶ一角には、一流ホテルのそれに匹敵する、リゾートマンションが聳え立つ。
全室ぐるりと百三十度、海が見える事と高度なセキュリティを誇る高級リゾートマンション。
俺の住居はその最上階にある。
「どうなっているんだ……これは……」
俺は、自宅に帰って直ぐに、玄関口で呆然と立ち尽くしていた。
「ん、帰ったのか
玄関口で俺の姿に気づいた長身の男は、そう言って運んでいた段ボールを一旦下ろす。
「
人目を引く長身、肩まであるしなやかな黒髪を無造作にかきあげて後頭部で括った髪型、切れ長の瞳と鼻筋の通った彫刻のような容姿の男。
その男が汗をかきながら首にタオルを掛け、段ボールに入った荷物をせっせと俺の部屋に搬入していた所に、俺は帰宅したのだ。
「ああ、引っ越しの手伝いをしているのだが」
俺は、友の見たまんまの答えに頭を抱える。
「あ、
俺の後ろにいた目つきの悪い少女、
ってか、だれだおまえ?
「だから!何なんだ
俺が目つきの悪い?今は悪くない?兎に角、
「帰ってきたの?……
俺の一番聞き覚えのある声が、部屋の奥から聞こえた。
「!」
艶のある美しく長い黒髪を後ろで束ね、透き通った透明感のある肌と整った輪郭、可憐で気品のある桜色の唇、高貴さと清楚さを兼ね備えた比類ない容姿の少女。
そして、その美貌の極めつけは、澄んだ濡羽色の瞳の波間に時折ゆれるように顕現する黄金鏡の煌めき。
神々しいまでに神秘的な双眸があまりにも印象的な少女。
白いニットにジーンズというラフなスタイルの上から家庭的なエプロンを掛けている少女は、お嬢様然とした彼女とは正反対ともいえる格好だが、それはそれでよく似合っていた。
「み、
玄関口での状況から予測していたこととはいえ、二週間ぶりに会う彼女に、俺は固まっていた。
「お帰りなさい
何事も無いように挨拶をする彼女。
「あ、ああ、ただいま、何てこと無い……その……」
俺は流されて答えるとそのまま少し口ごもった。
「えっと……それ凄く似合ってるよ、そんな格好も可愛いな」
ーードカッ!
思わず頬を染めて感想を述べる男に、後ろからポニーテールの少女の蹴りが入った。
「可愛いな、ニコッ……じゃないでしょ!
そう言いながら、ずいっと俺を押しのけて、
俺もスカートで蹴りは無いと思うぞ……
「鬼の……」
そして、その濡れ羽色の瞳は、ゆっくりと
「……なにか?
自分の
「別に、それより貴方こそ、なぜ?」
逆に質問する黒髪の少女。
いや、怖すぎるだろ!これじゃあ、あの公園でのリターンマッチが始まりそうな雰囲気だ。
ーー緊迫する俺宅の玄関口。
「まぁまて、
俺はそう言いながら二人の間に割って入った。
「……わかったわ……
自分の部屋に入るのに他人に促される情けない男、
リビングの中央、良く磨かれたフローリングの上に鎮座する大きめなソファーに腰掛ける面々。
その正面に俺、そしてその横に
「……」
スカラップ型の裾に繊細な刺繍の施された膝丈の黒のフレアドレスと同色のストッキング。
少しクラシカルで露出控えめのコーデであるが、上品で清楚な彼女によく似合う姿だ。
「えっと
従者に案内させて、本人は随分待たせたかと思うと、こういう状況だ。
「……」
俺の問いかけにジロリと睨んだ後、彼女は言う。
「それは隣の
は?何のことだ?着替えたのは
俺は意味が解らないと言った顔で隣の
そんな俺の顔を眺め、
「さあ?私の場合は
そう言って意味深な笑みでスカートの裾を摘まむポニーテールの少女。
「お、おいっ!誰が?」
「言ったでしょ?ドラクロワで……」
慌てる俺に、彼女は即座に返す。
!……言った……確かに、あの喫茶店で……
いや、しかしあれは!
「……そうなの……」
「いや、まて
だが、咄嗟に言い逃れしようとする俺の言葉を待たずに、
「解ってるわ
「!」
再び睨み合う美少女二人。
おいおい……勘弁してくれ……
ーーガタガタ、ドタドタ……
俺がいわれの無いプレッシャーで胃を痛めていたとき、その後ろを忙しなく動き回る男の影がひとつ。
「る、
そう問いかける俺に
「俺は部外者だし、もう少しで片付きそうだから、作業を続けよう、気にするな」
そう言って黙々と働く長身の男。
いや片付けてどうする!と突っ込みそうになる俺だが、真面目な
ってか助けてくれよ……
「えーこほん、兎に角、話を本題に戻そう!」
強引に話題を変えることを試みる俺……
「……」
「……」
二人分の視線がイタイ。
「いや、そもそも本題はこっちだろ?」
俺はくじけずに続けた。
「……
俺の真剣な瞳が通じたのか、少し考えた後、
「……それは見れば分かる……」
俺は見たまんまの解答につっこむと、続きを待った。
「……」
「……」
ーーおわりかい!
思わずそう叫びたくなる気持ちを抑えて、俺は続ける。
「そ、それだけか?」
「?それだけだけど」
なにか?と言いたげな
「ちょっとおかしいでしょ!その状況!」
貴方は関係ないでしょとばかりに
「いや、
なんだか同じ事の繰り返しで前に進まない二人の状況に、俺は堪りかねて、具体的な問題点を直接的に聞いてみる。
「それは……大丈夫よ、大丈夫な方法があるから」
「そうなのか?」
あまりにアッサリ答える
「ちがうでしょ!論点が!」
隣からまたまた鋭く突っ込む
「?」
その突っ込みに、キョトンとした表情の二人。
「だーかーらー、あなた達、同棲でもするつもりなの!」
苛立たしげに、
「そ、そうだった!
今更はっとなった俺は、再び
「……あなたは言ったわ……大事な思い出、それは色あせない、だけど、この先、色んな経験をしていくことで今の心は大きくなっていくって」
「……」
そうだ……俺は言った。
今は心の中を占める目一杯の想いも、全体が大きくなることによって、それが全てじゃ無くなる、それはつまり、今の想いそのものが無くなるわけでも、ましてや価値の無いものになるわけでも無いと。
想い自体は変わることが無いけど、分母が大きくなることで、その辛さにも耐えられる……いつか、よい思い出と思えるようになると……
「でも……でも、わたしは……分母も」
「分母?」
俺達のやり取りを知らない
「分母もあなたと!今後の時間もあなたと大きくしていきたい!」
「!」
自身無げに話し出した
正直驚いた、俺は驚いて言葉が出ない。
俺が識る
竜士族の見本となるような人物、竜士族の為に、全く隙の無い立派な当主になろうと日夜努力し、それを目標としていた人物。
それが彼女の理想であったはず、だから俺は、
きっと彼女も悩んだのだろう。
あれから悩んで悩んで、それでも押さえることが出来ない本当の心に気づいたのだろうか?
……そしてここに来ることを決断した、それは多分、三年前の
そして、俺……
「だから…………」
再び口ごもりつつも続けようとする
だが俺は黙っている、……俺は求めない、求めることができない。
「……」
黙ったままの俺。
俺の想いは明確だ。
彼女のため、
俺がわきまえる分相応、それが結局彼女を苦しめていると解っていても……
「わたし、行くところが無いのよ、その……
沈黙に耐えきれなかったのか、彼女は慌ててそう主張する。
しどろもどろになりながら、必死でそう訴える彼女は、普段の
正直、実際のところはそんなことは絶対に無いはずであり、当主代理である彼女、実質当主とも言える彼女は、
そして、それは、竜士族であった俺のみならず、おなじ士族の
「ぷっ!」
突然噴き出す俺。
なんだろう?……なんだか俺は……可笑しくなった。
キャラクターに無い彼女が?
いや、きっと俺自身に対してだろう。
「そうか、じゃあ仕方ないな……
自分の不甲斐なさに可笑しくなりながらも、それを棚に上げて、
「う……」
自分で言ってしまったこととはいえ、
「……」
そして、
第二十四話「それから」END
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます