このエッセイのチュートリアル
世間一般的には私達の事をLJK(ラスト女子高生)というらしい。
しかし文章において、私は中性的でありたい。JKだからという理由で注目されたくない。
だからこれから一人称は『僕』とする。
もうこれは書いた。
Q:私にとって音楽とは?
A:息をする事と同じくらい生命に関わる。
何故ここまである意味過激ともとれる考えが出来るようになってしまったのか、
これは僕の心の底にある、僕を構築する全ての基礎となる考え方にあると思う。
僕に音楽を教えてくれた中学の時の恩師はこう言う、
『音楽は心だ』
そしてもう1人の中学の恩師は、
『音楽は時間である』
と。
これを胸に刻んだまま中学校3年間を家族よりも多くの時間、部活のメンバーと過ごして卒業した。
高校に入ってからもこの根底にあるものは変わらない。
そもそもこれらの言葉が意味するのは、
『音楽は心だ』
=感情は音に出る
『音楽は時間である』
=音楽はカタチとして残らない、時間とともに存在する
という事だと解釈している。本当は違うかもしれないけれど。
だから僕にとって、生きている時間は音楽、様々な感情も音楽
……つまり人生そのものが音楽なのである。
言い過ぎたかもしれない。
僕の人生の半分は文章でもありそうだ。
誰かの物語を追うことでしか生きていけない、これもまた僕の人生なのだろう。
現代の社会では生きにくい人間だろうと自分でも思う。
でもまぁそれも悪くない。様々な物語や音楽を体験出来そうだ。
ただ、僕は幼い頃からマジメに音楽をやってきた訳ではない。
やり始めたのは小学校の合唱クラブ。
本気で面と向かったのは中学校の吹奏楽部。
今一番辛くて楽しいのが高校の軽音楽部。
だから幼い頃からマジメにやってきた人程の想いは無いのかもしれない。
けどその感情に上下関係はない。
僕は僕。僕の音楽を楽しむだけだ。
音楽が嫌いな人もこう考えるといいかもしれない、
『今あなたが生きるこの人生こそ音楽である。精一杯もがき、あがいて苦しみ、そして精一杯楽しむが良い』
と。
僕は今日もそう思って生きている。
あ、最後に。
言い忘れていましたが、もし恩師の言葉から私の中学が特定出来る人がいたとしても学校名や恩師の名前は出さないようお願いしたいです。
(勿論僕個人を特定して名前を晒すことも無いようにしてほしいですが)
恩師に迷惑をかけたくない。
周りに迷惑をかけたくない。
これらが一番です。
もしこれを守ってくれない人がいるのなら、
僕はカクヨムから身を引こうと思います。
……しばらくしたら別のアカウントで復活するかもしれないが。
以上、高校生のぼやき。偉そうな態度で申し訳ありませんでした。(これからもこんな感じで続きます)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます