No.33 エンディングまでは抱かせない

「……やっちまった……」


 手の中にあるのはくしゃくしゃに丸められた数枚のティッシュ。

 急速に熱を失っていくそれに吐き出されたのは、誤魔化しようのない欲望の塊。

 その日、俺は伊吹薫いぶきかおるで自慰をした。




────



 最初にそのサイトを使ったのは完全に出来心だった。

 高校の英語教諭として勤めだして8年。最初に赴任することになったのが女子高だったのがある意味では運の尽きだったのかもしれない。

 赴任当初は高校生なんてガキ臭くてとても性的には見られないと思っていたはずなのに、一学年に数人は必ずいる妙に蠱惑的な雰囲気を持った生徒たちを相手にしているうちに、気が付いたら悶々とした気持ちを日々持て余すようになってしまった。

 この8年、交際相手もいたことはいた。だが部活の顧問やら授業の準備やら教育系のセミナーやらくだらない学内政治やらに忙殺されているうちに、自然消滅するか別れを告げられることばかりだった。

 自分ももう30を越えている。ただでさえ年齢的にもアウトなのに、高校教諭が自分の勤める女子高の生徒に手など出したら社会的に即死おわりであることは火を見るよりも明らかだ。

 それをわかっていても、行き場のない性欲は日々確実に勢いを増し、数年前まで乳臭いガキとしか考えていなかったはずの生徒たちをその矛先に選ぼうとしきりに囁いてくる。

 あるいは、その限界を悟ったからなのかもしれない。

 俺は初めて出会い系サイトを利用した。

 どうせ手を出すのなら、全く関係のないところの、二度と会うことのない相手を。

 それが何の解決にもなっていない選択肢だということを、俺は理解しながらも目を反らした。

 会う相手はできる限り慎重に、細心の注意を払って選び、これまでもこれからも絶対に自分と関わりのない相手になるよう気を使った。そのせいで、これはと思える相手を見つけるだけで数か月分の月給に近い金額を使っていたが、その頃にはもう何も気にならなくなっていた。

 そうしてようやく会うまでに至ったのが、かおるだった。



────



 かおるは透き通るような白い肌とボーイッシュなさらさらの黒い髪を持った大変な美少女で、女子高でもあまり見ないボクっ子で、笑うと人懐っこい八重歯が可愛くて、会った直後からやたらとスキンシップが激しくて、自分の知らない話題には惜しげもなく好奇心を示し、15,6の子供とは思えないほど会話の引き出しが多く、些細なことでよく笑い、人を真正面から褒めることに躊躇がなく、何を食べてもそれはそれは美味そうに食べ、会って3時間も経った頃にはもうずいぶん前から頻繁に会って遊んでいたような気にさせる、とにもかくにもいい女だった。

 いい女と、見紛うばかりの、男の子だった。


『ホテル? んー……まだだめ。それにボク、男の子だけど?』


 昼頃に落ち合って、年甲斐もなく自分の半分しか生きていない子供とのデートを満喫して、そろそろいい時間かというところでさりげなくホテル街へ向かい、援助交際をする中年がよく使う極めて迂遠でいてそれ以上ないほどに直截的な誘い文句をかけたところ、返ってきたのがこの言葉だった。

 そのときの俺の衝撃たるや、筆舌に尽くしがたい。

 否、俺はその言葉を欠片も信じることができなかった。

 かおるはちょうど彼女くらいの……かのじょくらいの年頃の、やや垢抜けた女の子が身に着ける明らかに女性用の服装をしていたし、何よりもかおるはその服が異様なまでに似合っていたからだ。

 確かに胸のない子だなとは思っていたが、日本人でこの年頃だと発育が遅めの子なら十分にあり得る話であったし、男だと言われてじっくりと見直しても女の子にしか見えなかった。もっと言えば、薄暗くなったホテル街の入り口を背にわずかに首を傾げてこちらを伺うその顔からは、依然として年不相応な色気が感じ取れていた。

 そんな俺の考えが顔に出ていたのか、かおるは急に歳相応のいたずらな表情を浮かべると、やにわに俺の手を取って自らのスカートの中へと引き入れた。

 もはや言うまでもないかと思うが、

 そこから先はあまり覚えていない。

 気が付いたら俺は自宅のベッドに腰かけていて、手に持ったスマートフォンの画面にはかおるからの『また会おーね』というメッセージが表示されていた。



────



 そこで新しい相手を探せばよかったのだ。

 むしろなぜ探さなかったのか、いまだによくわからない。

 嘘だ。本当はわかっている。

 かのじょとの時間は、あまりにも楽しかったのだ。

 これまで幾度か付き合った女性たちとのデートとは比較にもならないほど、楽しかったのだ。

 それは、かのじょが男だからだったのかもしれない。あるいは、間違いなく男であるのに、どうしようもなくかのじょが少女だったからなのかもしれない。

 とにかく俺は、かおるが男とわかったあとも会うことをやめなかった。やめることが、できなかった。


 少なくとも最初の数回は、初回と同じように昼頃に落ち合って、とりたてて話すほどでもないよくあるデートを楽しみ、夕方ごろに一緒にご飯を食べて解散した。

 ホテルに誘うことはしなかった。俺はそれでいいと思っていたし(いま思えば「それでいい」などと思うこと自体がズレていると気付くべきだったが)、気持ち的にもそれで十分に満ち足りていた。

 身体は相変わらず欲求不満気味だったが、事務的に自慰をして発散させるだけで事足りた。

 それが変わったのは、一体いつからだっただろうか。

 いつからか俺は、かおるを男とわかりながらも、かのじょを抱きたいと強く思うようになっていた。

 自分で自分の欲求が理解できず戸惑った。

 自分が変わらず女性を性的対象としていることを何度も確認したし、いわゆる男性の同性愛者向けのポルノでは性欲が掻き立てられないことも確かめた。

 それでも、俺はかおるを抱きたかった。

 自分の中の冷静な部分が、社会的な部分が、理性的な部分が、声高におかしいと叫んでいたが、気付いた時にはどうしようもなくかおるのことが抱きたくて仕方なかった。

 その衝動を抑えるために、俺はその日、初めてかおるで自慰をした。

 罪悪感、虚無感、爽快感、開放感。

 そのいずれもが、これまで味わったことのない規模で訪れた。

 その瞬間、おそらく俺は、何か大事な一線を越えてしまった。



────



 かおるで自慰をした日から、俺は別れ際にかおるをホテルに誘うようになった。

 初めて(正確には二度目だが) かおるをホテルに誘ったとき、かおるは一瞬だけキョトンとしたが、すぐにひどくあだっぽい笑みを浮かべて『まだだめ』と答えた。

 そこで俺は、かおるを男と知らずに初めてホテルに誘ったときも、かおるが自分の性別よりも先に『だめ』と言っていたことを思い出した。

 だめということは、いいということ。そう解釈した俺を止めるものは、もはや何もなかった。

 俺は日を追うごとに積極的に、そして露骨に、かおるを求めるようになった。

 予定を半ば無理にやりくりしてかおると会う頻度を増やし、毎週かおると会うのがもはや恒例になったころ、俺はかおるを自宅に呼ぶようになった。

 それは手近なめぼしいデートスポットをあらかた行きつくしてしまったせいでもあったし、何度かおるをホテルに誘っても嫣然と笑って『まだだめ』と言うばかりで一度も身体を許してくれなかったせいでもある。

 ありていに言えば、自宅に呼べばなし崩しにコトに及べるのではないかという下心があったのだ。

 そしておそらく、かおるもそのことは十分にわかっていた。

 それを承知で、かおるは俺の家に来た。

 それでいて毎回、絶対に身体を許すことはなく帰っていった。

 かおるはある種異常なほどに、行為を避けるのが上手かった。

 俺は欲求不満を募らせながらも、かおるとのそんな駆け引きをどこか楽しんでもいた。

 かおるといる時間は相変わらず楽しかった。

 同性のようでもあり、異性のようでもあり、年齢相応のようでもあり、ときには年上のようですらあるかのじょとの時間は、常に新しい刺激と面白さに満ちていた。


 かおるはよく携帯ゲーム機を持ってきて、同じゲームを延々とプレイしていた。

 それも、いわゆるロールプレイングゲームの最終ボス直前のデータを使って、何度も何度もエンディングを見るのが好きなようだった。

 よくある周回要素を楽しむわけでもなく、ただひたすらに同じエンディングを繰り返し見続けるかおるに、何が楽しいのか聞いてみたこともある。


『ボク、エンディングが好きなんだよね』


 かおるは心底楽し気に、後ろから見ているだけの俺ですら見飽きたスタッフロールの流れるゲーム画面を見つめながらそう言った。



────



 かおるが俺との性交渉に了承したのは、かおると出会って一年が経つ頃だった。

 いつものように自宅に呼び、いつものように俺と話しながらゲームをするかおるを眺め、適当なタイミングで誘いをかけた。

 かおるはいつものように『んー……』と言葉をためてから、いつもとは違って、しかしまるでこともなげに、『いいよ、しよっか』と言ってゲーム機をサイドテーブルに置いた。




 警察が踏み込んできたのは、行為を始めてすぐのことだった。

 彼らは数人で事態を飲み込めずにいる俺をかおるから引きはがし、未成年者略取がどうの、児童買春罪がどうのとやかましく騒いでいた。

 気が付くと窓の外には数台のパトカーがランプを回して止まっていて、俺はいつの間に入ってきたのか何人もの警察官たちに追い立てられるように部屋の外へと連れ出された。

 すべてはあっという間の出来事で、そのときの経緯も詳細もはっきりとは覚えていない。しかしたった一つ、いつまでもはっきりと思い出せることがある。

 連行される俺を見つめる、かおるの表情。


 かおるは、見飽きたエンディングを見る目で心底楽し気に俺を眺めていた。

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