No.32 女装者達の現実
最初に明記しておくがこれはお話では無い。
エッセイとも違う。注意喚起でも無い。これを読む事で女装や男の娘萌えをやめろ、と言いたい訳でも無い。
ただ女装を見てきた一人として誰かに伝えたいだけだ。
私が女装を始めたのは18歳だった。あれは女装とも言えないかもしれない。文化祭の部活動の出し物に、セーラー服を着た。髪は長い方だったし、一応スネ毛も剃ったりもした。
良くある文化祭の一場面でしか無かった。
その後も何度か女装したが、単にコミケ等でアニメコスプレをする際、女キャラでもしてみようかというノリだった。
だが性癖としては女装好きだったので、自宅でそんな恰好をして自慰行為に励んだりしていた。
当時はネットも今程普及してない時代で「2ちゃんねる」と言えば「テレビの?」と返されるような時代だった。
知識も無い私はムースもジェルもつけないままスネ毛を剃り真っ赤に腫らしたり、夏のコミケに普通に化粧して行き、汗でドロドロに溶けてしまったりした。
そんな事を繰り返す内、楽しくなり「他に女装してる人と知り合いたいな」という思いが強まった。
二十歳も過ぎた頃にはネットも普及しており、なんと女装子専用SNSなるものまであった。そこで私はある男性と知り合う。仮にパラディンさんとしよう。彼は女装しか愛せないという性癖の持ち主だった。
女装界隈には女装、純男、純女という性別に(?)分かれる。即ち女装する男と、女装しない女装好きの男と、女装好きな女、だ(厳密には違うが)
パラディンさんに誘われオフ会へ行った。初めてのオフ会はそれはそれは楽しかった。
ベテランの女装子さんにメイクして貰ったり、一緒に女になりきった写真を撮ったり。
女装して皆で買い物へ行った。当然、色んな人から目についた。でも別に平気だった。赤信号皆で渡れば怖く無い、という訳では無いが仲間がいる心強さはやはりあった。
オフ会には色んな人が来た。
オタクっぽい暗い子や、リア充っぽい人、エグザエルみたいなギャル男まで居た。
純男さんは大抵カメ子だ。私達女装子を写真に撮る。エッチなポーズを要求されるのが心地よかった。性的な眼で見られるのも快感だった。
オフ会場所はパラディンさんが借りたマンションの一室だった。
そこは、いつ行っても誰かしら女装メンバーが居た。中には最早住んでる人も居た。女装子たちの溜まり場となっていたのだ。
メンバーの中には若い子が多かったが、おじさんも居た。四十も超えているのでは、と思うおじさんがボサボサのウィッグを被って皺のある顔にファンデを塗りたくる。
正直に言って気持ち悪かった。勿論それが良くない感情だというのも分かっていた。だから笑顔で対応したしお世辞も言ったけど、心の中では見下していた。
私の心境の変化と同時に、界隈の歪さにも気づき始めていた。
ある日、いつものように女装の集まりへ行くと顔なじみの人達が何やら話している。取り分け若い一人の子が息まいて怒っていた。
彼(彼女)曰く、彼氏の紹介で行ったコスプレイベントでひどい目に合わされた、という。
それは「自分は性同一性障害なのに女子更衣室が使えなかった」というものだった。正直、自分は聞きながら唖然とした。それが当然の権利だと言わんばかりの……いや、そう言っていたからだ。
彼氏さんの「男子更衣室が嫌だったら特別にトイレで着替える?」という提案に、ブチキレて彼氏をボコボコに殴りつけて帰って来たらしい。それを「自分の尊厳を守った」とばかりに誇らしげに語るのだ。
さすがに彼女に同調する者はその場には居なかった。
だが、この論争は女装SNSでは結構盛んに行われており「あなたは男子トイレ派? 女子トイレ派?」というスレッドが賑わいを見せていた。
「我々は病気なのだから当然の権利だ」と言う者も居れば「社会に生きるなら最低限の節度は守るべき」という人など様々。
そして目立つのは”ビジュアル面”に対する醜い争いだった。
「私のように完女(完璧に女性に見える女装の意)なら許されるけど、レベルの低い奴らは女子トイレ使わないで欲しい」
という書き込みを何度も見た。
段々とオフ会でもそういう感情が分かるようになってきた。
自分が如何に「女性に見られたか」と手を変え品を変え発表しあう。ナンパされた、とか女性にメイクの相談された、とか中には痴漢され相手を訴えているという人も居た。
客観的にもそれらはどれもこれも鼻で笑ってしまうような嘘くさい内容だった。
そして、同じ女装子のそういった書き込みを見て、自分が客観視する事が出来た。何を望んでいるのか気付いた。
自分は男という存在を卑下し、”女”として優位に立ちたがっていた。
私は女装の集まりにやって来る純女が嫌いだ。
言わないだけでそう感じる人は多いと思う。
だって喉から手が出る程欲っする”女”は彼女たちは生まれながら持っているから。
そして大抵、私たちは彼女たちに強い劣等感を抱き、彼女たちは無自覚に優越感に浸る。
「女の人同士のドロドロした関係苦手なんだよね」
と笑った女性が居た。悔しくてたまらなかった。こんな状態でも女性というのは姫の如くチヤホヤされた(女装者には女性好きも多い。特に昨今、大抵女装するだけで性対象は女性という人が多い)
ここに至り、私はようやく大抵の女装子に共通するおかしな欲望に気付いた。
私たちは”女”に成りたい訳では無く”かわいい、きれいな女”になりたがっていた。
その欲望は当たり前かもしれない。外見が良くなりたいのは当然だ。
しかし何故男として不細工な自分たちが、それより難しい女としての美人になれるのか。
故に大抵の場合それは叶わない。
綺麗に着飾っても殆ど皆”女の恰好をしている男”にしかなれないからだ。
ビックリするような綺麗な女装子さんをネットで見かけ、実際に会ったら普通のオカマであった、という事も何度かある。
彼女たちはこの加工に加工した、美しい写真を自分だと思い込んでいるのだろう。
だが、はっきり言って殆どの女装者は醜い。気持ちが悪い。
どう言い繕うとこれは女装者自身らも自覚している。時折「女装が好き」という人が居ようと世間の評価は分かっている。我々だって馬鹿じゃないのだ。
別にそこに関して「我々を美しいと認めろ!」などと言うのは、何よりも情けない事だとも知ってる。
だけど綺麗になりたい、可愛くなりたいという欲望は消えずギャップに苛まれる。
その結果、女同士より反吐が出るドロドロとした関係に陥る。
いやビジュアル面に対する関係というのはそうなるものなのかもしれない。
「安い化粧品使ってる」
「ダイエットしなきゃ」
「メイクもっと上達した方が良い」
ウンザリしていた。
「すっぴんでどれだけ女性に見えるか合戦」がSNS内で盛り上がった時、私は女装SNSを退会した。
このままではどうやっても不幸になると気づき女装を辞めた。
幸運にも私はやめる事が出来た。勿論性癖としては残っており「一生女になる事はできない」という事実に寂しくなる時もある。だけど……。
退会する直前に見た写真がある。
還暦に近い女装者の裸の写真だ。
歳を取り、醜くなっていく姿に耐えられなかったのか無理なダイエットや今更ながらのホルモン注射を繰り返した人だった。
あばら骨が浮き、手足はガリガリな状態。
それを「今日話した女性に、あなたみたいに痩せたいと言われてしまいました。良く言われるんですよね」と日記に書いていた。
干し柿のように垂れ下がった腫瘍にしか見えない乳房。極太のミミズのような陰茎。ハゲが目立つボサボサの長髪。ホルモン注射の影響だろう。
理想と現実のギャップに酷いストレスを受け、精神病を患っていた。
強い薬をいくつも飲み、内臓疾患一歩手前だと日記に綴っている。
もう長くないらしい。
そしてそれは珍しくも無い女装者の未来だった。
パラディンさんとはもう連絡を取っていない。だけど彼の言葉が忘れられない。
「また知り合いが自殺した。歳を取ると皆、自殺しちゃう」
恋人を得られる確率はゲイより低いだろう。友達も皆、どんどん女装を辞めていく。
辞められれば良い。だが長く続けた自分の価値観は容易に変えられない。そうで無くともどうしても辞められない人も居るだろう。
「引退します!」という日記も良く見た。そのまま辞めた人も居る。
だけど一年経たず結局また女装を初めてしまう人も多い。
辞めたいの辞められない女装者も多いのだ。
女装者は好きだ。だが今は殆ど二次元のみだけだ。
彼女たちは皆可愛い。綺麗。
それは現実では決して叶えられないものだ。
私はそれらを否定しない。
ただ見ていると現実の女装者たちを思い出し、時折言い知れぬ気持ちになってしまう。
どこか吐き出せる場所が欲しかったのかもしれない。
こんな陰鬱とした散文を読んでいただきありがとうございました。
どうか女装者たちをこれからも愛してください。
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