No.17 男が男の娘を愛する時

 「……いたぞ、男の娘だ」


 塔の周囲を警邏していた男は小さく呟いて身を低くすると、後ろの新人にも伏せろと片手で合図をした。 


「どこです?」


「二時の方向、三キロメートルほど先の岩場の影だ」


 新人の若い男は担いでいたライフルを地面に降ろして目を細める。

 双眼鏡は使わない。

 研ぎ澄まされた男の娘の感覚は、どれだけ離れた小さな反射光でもたちまち感知してしまうからだ。


「いた。あれが、男の娘……」 


 だが、通常の人間を凌駕する『騎士』と呼ばれる彼らも、数キロメートルは十分裸眼で標的を捉えられる距離である。

 膝丈ほどあるサバンナの草木が視界を遮るが、それは相手も同じ。

 今回は男たちの方が先に気付き、一早く草むらの中へ身を隠した。

 

「無防備ですね。男の娘は警戒心が強いと聞いてましたが?」


「つまり今は絶好のチャンスってわけだ。後は頼んだぜ、新人ルーキー


 若い男は頷くと、ライフルを地面にセットして構える。

 遠いが十分に仕留められる距離だ。

 殺気を気取られないよう、心を平静に保ち。

 息を殺し。

 銃口を標的に合わせ、何も考えることなくトリガーを……。


「ふぅ」


 が、男はトリガーを引かず、代わりに一呼吸入れた。


 人類の敵・男の娘……頭では分かってはいても、初めてその姿を見た者は誰しもが「本当は普通の女の子なのでは?」と疑問を持つ。

 可憐な容姿からはとても男とは思えず、訓練を積んだ騎士でもその魔性に捕まってしまう者は少なくない。

 かつて多くの男性たちを虜にし、人類という種を途絶えさせかけた魔力は伊達ではないのだ。


 そして新人騎士――名をカツキという――もまた、目の前の標的に惹き付けられるのを感じた。


 三キロ先の岩場で、どこか心ここにあらずな様子で佇む男の娘。首もとの毛先が風でそよそよと揺れ、薄い胸元がかすかに上下している。

 サバンナの強い陽射しには不似合いなスクール水着姿だが、人体改造によって紫外線をもろともしない男の娘には何の問題もない。むしろ無駄毛一本すらないすらりとした足や、男とはとても思えない曲線を描く体型が丸見えで、カツキの欲情を刺激してくる。

 せめて股間の膨らみを見れば冷静になれるのだが、そこはそれ、男の娘もパレオで隠して隙がない。


「ははっ。新人、大丈……いかんっ、気付かれたぞ!」


 ベテラン騎士が茶化すように声をかけようとして、慌ててカツキの腕を掴んだ。

 その力は強く、カツキは無様に地面を転がってしまう。

 が、おかげでカツキは衝撃波をまとって飛び込んできた男の娘の直撃を受けずに済み、五体バラバラになって即死したベテランと違い、重症を負って気絶したものの命を落とさずに済んだのである。

 


        Ⅱ

 

 

 次にカツキが目を覚ました時、彼は見知らぬ部屋のベッドに寝かされていた。

 妙に生活感のある部屋だ。壁と壁をつないだ紐に多くの洗濯物が干されている。


 と、そこでカツキは信じられないものを見た。

 多くの洗濯物に混じり、隠すように干されている紺色の布地はまさかスクール水着ではあるまいか?


 洗濯物は全て女モノで、最初は奇跡的に救助された後、女性の部屋に寝かされているものだとばかり思っていた。

 が、スクール水着が混ざっているとなると話は全く変わってくる。


 カツキはよく見ようとベッドを降りようとした。

 

「うぐっ!」


 しかし、体全身に激痛が走る。上体を起こすのがやっとだ。


「ほお。あれだけの深手を負って動けるとは、騎士とは言えたいしたものだ」


「誰だッ!?」


 カツキは激痛に耐えながら声がした方へと振り向く。


「やぁ。私はサターン。こう見えても科学者だ」


 白衣を着た長身な女性が部屋の戸口に立っていた。


「もっとも君達は私のことを悪魔サタンと呼んでいるようだがね」


 カツキは驚きに眼を見開いた。

 ドクター・サターン……稀代の天才であり、人類史上最悪のマッドサイエンティスト。彼女が「男の娘たちに力を与える」と宣言し、(人類は男の娘たちを『彼』と呼ぶ。『彼女』と呼ぶのは法律で厳しく禁じられている)に人体改造を施さなければ、騎士が男の娘に後れを取ることなどなかったであろう。


「……あんたが俺を助けたのか?」


「まさか。私はむしろお前を殺すべきだと言った方だよ。だけどね、が……」


 サターンはふっと微笑むと、入っておいでと扉の向こうに声をかける。

 しばしの後、おずおずと入ってきたのは……。


「お前……」


 間違いない、カツキが殺そうとして逆に殺されそうになった、あの男の娘だった。


「あ、あの……お体は大丈夫ですか?」


「なんだと!? ふざけるなっ!」


 カツキが思わずかっとなって怒鳴ると、男の娘はビクっと体を震わせて涙目で「ごめんなさい……」と消え入るような声で謝った。


「おいおい、助けてもらってそれはないんじゃないか?」


「黙れ! お前も知ってるだろ、男の娘の捕虜になった者に未来はない、と」


「まぁね。だから私は殺せと言ったんだ。だが」


 男の娘がサタンの白衣を摘んで、ふるふると頭を横に振った。


「ダメ、です……この人を殺しちゃ……イヤです……」


 男の娘が目を潤ませて抗議する。

 その姿が女の子に見えて、カツキもまた頭をぶんぶんと振った。



        Ⅲ

         


 男の娘は名前をミナトと言った。

 ミナトはとても献身的な男の娘だった。

 まだ体の自由が利かないカツキに変わって服を脱がせ、体を拭き、包帯を巻き直し、排泄すらも手伝った。勿論カツキは嫌がり、時には酷い言葉も浴びせたが、それでもミナトははにかみながら健気に看病をし続ける。そんなミナトにカツキが少しずつ惹かれていくのは仕方のないことだった。


 ある日のこと。


「……そうか、やっぱりの恋人はあそこにいるんだな」


 歩ける程度に傷も癒えたカツキは、サターンと共に外で日光浴をしていた。

 ミナトが隠れ住む村からも、騎士たちが護る塔が見える。

 世界各地に点在する塔は、その地域の権力を司る建物であった。

 が、高層階は凶悪犯の牢獄となっている。

 そこに男の娘の魔性に堕ちた男たちも収監されていた。


「ああ、たちはどれだけ離れていても恋人がどこにいるのか分かる。それどころかある程度近付けば、恋人の心の声が聞こえるのだそうだ」


「なんだって? それじゃあ時々塔に近づいてくるのは襲撃の隙を伺っているのではなく!?」

  

「そう。ただ恋人の心の声を聞きたいだけなんだ」


 サターンの人体改造により、男の娘たちは恐るべき力を持っている。

 が、これまで塔が襲撃されたことは一度もなかった。

 それは騎士たちが完璧な警備体制を敷いているからだとカツキは思っていた。


「彼女たちの力なら恋人を奪還出来るかもしれない。だが、それでは無駄な血が沢山流れてしまう。彼女たちはいまだに信じているのだ。いつの日か世界が自分たちを認めてくれて、恋人が解放される時がくる、と」


 それは希望と呼ぶにはあまりに儚い、蜃気楼ミラージュのようなものだとカツキは思った。


「なぁ、カツキよ。お前、ミナトを貰ってやってはくれないか?」


「はぁ? でもには恋人がいるのだろう?」


「ああ。だが、もうすぐ彼女の恋人は処刑されるそうだ」


「なに? 処刑の情報をどうして知ってる!?」


「彼女たちは恋人の心の声が聞こえる。そして恋人もそのことを知っている。だから会話は出来なくても恋人たちは自分の死が近いのを悟ると、彼女たちに心の中でこう言うんだ」



 ――次の恋人を探して幸せになれ――。



「…………」


「ミナトの恋人も処刑の日取りが決まったと、彼女に別れを告げてきた。そして彼女はお前を助けた。その意味が分かるな?」


「…………」


「確かに彼女たちは子が産めない。だが、私たちは遺伝子を残すためだけに生まれてきたわけではないだろう? 愛する人と人生を共にする。それは相手が異性だろうが、同性だろうが、とても素晴らしいことだと私は思うがね」


「……少し考えさせてくれ」


 カツキは立ち上がると、ひとりで歩き出した。

 男の娘の捕虜となった者はたとえ生きて戻っても、その魔性に汚染されたと監獄塔に収監され処刑される。未来はない。

 とは言え、男の娘の恋人として生きていくのも茨の道だ。

 

 はたして、どうしたものか……。


 カツキは悩んだ。

 だが、その日の夜、ミナトが涙を流しつつ呟いた寝言を聞いて答えが出た。

 

 かくして翌日、カツキはサターンにとある人体改造を依頼。

 その手術が成功し、体力が回復するのを待つこと十日。


 カツキは別れも告げず、ミナトの隠れ家を出ていった。



        Ⅳ



 一ヵ月後、ミナトはあの日の岩場まで来ていた。

 今日処刑される恋人の、最後の声を聞くためだ。


『ミナト、この声を聞いているだろうか?』


「はい……聞いています……」


『もうすぐ私は処刑される。無念だ。だが君と過ごした素晴らしい日々を後悔などしていない』


「ボクも……楽しかった……」


『だから私はこの想い出を胸に黄泉路へ旅立とう。君は別の恋人を作って新たな人生を送りなさい』


「…………」


『私の可愛いミナトなら、きっとまたすぐに素敵な恋人が出来るだろうね』


「……シタン様、ボク、ふられちゃいました……」


 ミナトの瞳から涙が溢れてきた。


 あの日、恋人のシタンから処刑を理由に別れを告げられた時、ミナトはショックのあまり身を隠すのも忘れてしまった。

 そこをカツキに狙われた。撃たれる前に気付いたのは幸運以外のなにものでもない。


 が、それ以上の幸運がミナトに舞い降りた。

 迎撃されて気を失っているカツキを見た瞬間、ミナトは新たな恋に落ちたのだ。

 意識を取り戻したカツキから辛辣な言葉を投げかけられてもその気持ちは変わらなかった。

 世話をするにつれて少しずつカツキの表情が和らぐのを見るのが何よりも幸せだった。


 この人とならまたやっていける……そう思っていた。


「シタン様、ボク、どうしたらいいの?」


 ミナトは問い掛ける。

 だが恋人の心の声は聞こえても、こちらの声を届ける術はない。

 返事がないまま時は過ぎ、そして――。


『ああ、本当にお別れの時が来たようだ』


 非情にも今生の別れがやってきた。


「シタン様っ!」


 恋人の首に縄が食い込む姿を想像して、ミナトは叫ぶ。


『さようなら、ミナト。私は君のことを愛――』


 その時だった。



《ミナト、愛している!!》



 シタンの声をかき消すほど大きな心の声が聞こえてきた。

 そして同時に塔の高層階で爆発が起き、外壁が吹き飛んだ。


 恋人以外の心の声が聞こえてきたこと。

 思わぬ爆発。

 驚きつつもミナトの眼は爆発で煙る塔の内部へフォーカスする。

 何人ものの人間が倒れていた。その中に愛する人物の姿を確認すると、ミナトは背中に収納されている飛行ユニットを素早く展開し、ブースターをフルスロットルにして塔目指して飛んだ。



        Ⅴ



「シタン様っ!」


「ミナト!? ミナトなのかっ!」


 機関銃による雨のような迎撃を掻い潜り、ミナトは爆破された箇所から塔内部への侵入を果たすと恋人の元へと駆け寄った。

 辺りの様子が爆発の凄まじさを物語るが、幸運なことにシタンは無傷で、周りで倒れている人間たちも気絶しているだけで死んではいないようだった。


「彼が……彼が助けてくれたんだ」


「彼?」


「ああ。一ヶ月ほど前に収監された騎士だ」


「あ」


 それだけでミナトは全てを察した。

 どうして彼がアジトを出て行ったのか。

 どうして先ほどシタン以外の心の声が聞こえてきたのか。


「彼は今日、私と一緒に殺される予定だった。ところが突然暴れ出して周りの騎士たちを次々と気絶させ、そして壁際に立つと私に離れるよう指示してこう言ったんだ」



 ――あの子を……を頼みます――。



 その後どうなったのかは結果を見ての通りだ。サターンが体内に仕込んだ指向性爆弾は塔の壁を吹き飛ばすほど強力で、肉片すら残らなかった。


 ミナトは泣きたかった。

 もうひとりの恋人の為にせめてこの場で涙の餞を贈りたかった。


「いたぞ、男の娘だ!」


 だが追っ手の騎士たちがそれを許さない。ミナトはシタンと抱き合ったまま再度飛行ユニットを展開すると、ブースターに火を入れ、そして。

 

(ボクも愛してましたよ、カツキ様)


 その想いだけを残して、空高くへ舞い上がっていく。

 螺旋を描いて空を翔るふたりを後押しするように、一陣の風が吹いた。

 


                           おわり。

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