No.16 ハジメテのドキドキ

 その人のことを初めて知ったのは、とあるファッション雑誌の表紙だった。


「こんなに可愛い子が男の子のはずがない……だが男だ」


 キャッチコピーは確か、そんな感じだった。

 胸のあたりまで伸びた長い黒髪。

 愛らしさの象徴ともいえる、大きなたれ目。

 瞳の色は、茶色。

 着ているのは、藍色の花柄ワンピース。

 街ですれ違ったら、100人中100人が「女性」と答えるレベルの美しさは、とても男性の持つものとは思えない。

 だが、男だ。

 それ以来、僕は彼——いっそ「彼女」と呼ぼう——に夢中になった。




「へぇ、そう。で? 何?」


 次の休日、僕は幼馴染のさくらに呼ばれていた。

 そのついでに、雑誌を片手に「彼女」のことを滔々と語った。

 昔から冷たいこの幼馴染さまは、今日も変わらず冷たい視線をガンガンに僕に送り付ける。


「それで、さ……」

「何をもじもじしてんだかねぇアンタは。いいよ、当ててみる。女装したいんでしょ。今更笑ったりしないから、良いよ別に」


 雑誌を胸の前で抱えながら、小さく頷く。


「アタシのお下がりあると思うから、ちょっと待ってて。それから、さ」

「何?」

「今のアンタ、めちゃくちゃ可愛い。昔からだけど、いっぺん試しに女装させてみたいって、紗季さきと話してたのよ」

「え!?」


 もう一人の幼馴染にして、子供時代の「思い人」の名前を出された僕は唖然とした。


「だって、アタシより背低いしさぁ」

「それはさくらの方が身長高いからだよ!」


 さくらの身長は172cm、たいして僕は160にも満たない。

 遊園地のジェットコースターに中学生になっても乗れず、身長制限が下がってようやく出口待機のループから脱出できたほどだ。


「あと、結構肌キレイよね、顔もイイ感じだし」


 完全に品定めだ。

 僕のフェイスラインを両手でなでる妖艶な表情は、まるで魔女。


「あ、服持ってくるの忘れてたわ」


 そう言って、僕を残して部屋を出た。




 3分後。

 さくらが衣装ケースを丸々1個抱えて戻ってきた。


「なに、その量」

「いやー、色々試してみたくって」


 当初は単なる僕の変身願望だったのが、いつの間に彼女の欲望を満たすだけになってしまっている。そんな気がした。


「いいじゃん、ウィンウィンってやつよ」


 そうかな?


「とりあえず、そこ立って」


 部屋の隅にあった姿見の前に立つと、後ろからさくらが服をとっかえひっかえ僕に合わせる。


「こっちかな、いやこれもアリか……待って、これはコーデ的にアウトでしょ。あ、ところで好きな色は……オレンジか」


 知ってるならどうして聞いたのさ。

 最後に残ったのは、オレンジのミニスカートと、白色の長袖ブラウス。

 それから水色のニット。

 雑誌で覚えた知識がそこそこあったので、さくらの呟く単語がそれとなく理解できた。


「着替えは、手伝わんけどいいよね?」

「うん」

「じゃ、廊下で待ってるから」


 再び僕は1人になった。

 早速着ていたシャツに手をかける。




「どう、女の子の服を着た感想は?」

「なんか、足が寒い……」


 春になって温かくなったと思っていたのは、ズボンのおかげだったらしい。


「これ、はいて」


 渡されたのは黒のニーハイ。

 立ったまま、早速履いた。


「それで足元は大丈夫だから。あと、ちょっといい?」

「え?……ひゃっ!?」

「可愛く悲鳴上げちゃって、もうすっかり心も女の子になったねぇ」


 なぜかさくらは、僕の着ていたブラウスを裾からまくり、胸のあたりまで上げた。

 そして巻き尺でサイズを測る。


「うわ、ほっそ。てか憎いわ」

「な、なに?」

「はい、おしまい」


 やや乱暴に元の位置に下ろされる。

 あまりの素早さに、恥じらいという感覚がなかった。


「次はメイクやるから、椅子座って」




 更に30分後。

 再び姿見の前に立つと、そこに映っていたのは。

 可愛らしいセミロングの女の子が驚く表情だった。


「えっ……」


 僕の口と、鏡の向こうの少女の唇がシンクロする。


「改めて、女の子になった感想はいかが?」


 スカートの裾を、つまんでみる。

 とうとうさくら魔女の手に落ちた僕は、彼女の魔力で女の子になってしまっていた。


「すごい……可愛い……これが、僕……」

「おめでとう! しょうねん は びしょうじょ にしんかした!」

「ポケモンじゃないんですけど!?」

「はいはい。それじゃ、行くよ」


 そして、さくらは僕の腕を引っ張った。


「行くって、どこに」

「買い物。せっかくだからアタシが買ってあげる」

「って、ええっ————!? いきなり実戦ですか?!」


 色々と段階をすっ飛ばし過ぎではないだろうか。


「大丈夫、それならイケる。誰も気づかないって」




 歩いて行った先は駅。

 電車で隣のショッピングセンターに行くという。


「歩く時の歩幅は狭く、あと股は開かないこと。周りをきょろきょろ見たりしないで、堂々と。いい?」

「う、うん」


 初めての女装、初めての女装外出、初めての女装で買い物。

 初めて尽くしなのに、自分の中に少しだけ高揚感があった。

 何かが解き放たれるような、そんな感覚。

 出る前にさくらが言っていた通り、誰も僕を見て違和感を覚えた顔をしていないようだった。


「案外、大丈夫でしょ? 人って意外とそういうのズボラなのよ」


 電車に乗っても、注目度は全く変わらない。やはり無関心。

 人通りのある隣駅でも同じ。ターミナルに人があふれかえっているというのもあるとは思うけど。

 さくらは変わらず、一直線に目的地を目指す。

 ショッピングセンターに入ると、エスカレーターで2階へ。

 そして、なぜかレディースファッションの売り場を通り過ぎた。


「さくら、もう通り過ぎたけど?」

「目的地はそっちじゃないから」




 そして、その「目的地」は予想外のラスボスだった。


「こ、ここって……」


 何体ものマネキンが、パステルカラーの衣に包まれている。

 しかしその素体は、ほどんど肌色。

 天井から下がる英字の看板を読むと——。


「ちゅ、tutu-annaチュチュアンナ……!」


 まさかまさかのランジェリーショップだった。

 僕は相変わらず手を握られたまま、店内の奥へと移動していく。

 そしてブラをいくつか手に取り、探していた。


「65……65……あるはず。ねぇ、オレンジの次に好きな色は?」

「うーん……水色、かな」

「オッケー」


 売り場を移動しようすると、更に驚くことに店員がやってきた。

 僕と一瞬目が合うが、不信感を抱く様子はない。


「お客様、何かお探しですか?」

「サックス系で、B65ってありますか?」

「でしたら、ご案内いたします。試着の方はされますか?」

「はい」



 そして。


「とりあえず好きなもの探してみてちょーだいな。ここいるから試着も手伝ってあげる」


 まさかの放牧宣言である。


「いいの……? ていうか、試着って……?」

「着けてみなきゃ合うかどうかわかんないでしょ」


 ごもっともです。でも、僕は男なんですけど……。

 というかこのあり得ないの更に上を行く状況では性別なんて無意味かもしれない。

 仕方なく頭のスイッチを「女の子モード」に切り替える。




 正直、色々悩む。

 あれもいいな、これ可愛いかも。あっちはちょっとセクシーすぎ?

 女の子の買い物が長くなるのも、解るような気がした。

 というか、今の僕は女の子だ。

 当たり前のことに、疑問なんて持ってどうする。

 1時間ほど探した結果、3セットを手にしてさくらの元へ戻った。


「それだけで大丈夫? もうちょっと候補増やしてもいいよ?」

「とりあえず、ってことで」

「じゃあ、試着しますか」


 いつの間にか、さくらはバスタオルを持っていた。

 渡されながら尋ねる。


「何、それ」

「試着の時、体が見えないようにするの」

「なるほど」

「ブラの調整はしてあげるから。どうせできないでしょ、今更恥じらうな乙女よ」

「えっ、あ、うん……」


 試着室に入ると、さくらがカーテンを閉めた。

 その向こうから、アドバイスをくれる。


「汗とか気になったら、そこの備品好きに使って大丈夫だから」


 なるほど。スプレーやらおしぼりってそういうことか。


「ホック、多分難しいから先に前で留めると楽よ」

「ありがとう」


 言われた通り、上下2段3列のホックを胸の前で留める。

 どの列を使えばいいのか分からないので、なんとなく一番外を選ぶ。

 180度回し、肩ひもを通す。

 流石にショーツは穿けなかったが、スカートの中が少し痛くなってきた。

 こんな時でも男の部分はあくまで男なのだと、我ながら呆れた。


「終わったよー」

「バスタオル着けた?」

「うん」

「入るよ」


 カーテンが少しだけ開けられ、隙間からさくらが入ってきた。

 スペースはやや広かったので、2人でも窮屈さを感じることはない。


「じゃ、ちょっと手冷たいけど」


 左の肩甲骨あたりにさくらの両手が触れる。

 ストラップを少し上げたのか、感覚が肩の方へ移動する。

 それが終わると、右も同じようにひもを調節していく。

 なのに、なぜかドキドキした。




 調整が終わると、さくらの手が離れた。

 しかしひんやりとした感覚はまだ消えない。


「カップの上から人差し指入れてみて。緩かったりきつかったりしない?」

「大丈夫」

「ワイヤーは?」

「そんなにきつくない」

「じゃ、最後。ちょっと体動かしてみて、ズレたりしないかチェックね」


 言われた通り、体を捻ったりしてみる。

 変にズレる様子はない。


「大丈夫みたい」

「それは買いね」


 あと2つも、さくらが「プレゼント」ということで買ってくれるという。


「お疲れ様。お店の外で休んでていいよ」

「うん、ありがと」




 サプライズはまだまだ続いた。

 ロゴ入りの買い物袋を渡されつつ、さくらがとんでもないことを言ってのけた。


「そうそう、アンタの分も会員登録しておいたから」

「えっ!?」

「名前は『萩村優香ゆうか』でしといた。ポイント付くし」


 僕の本名は優輝ゆうき。1文字違いってことか……。


「今度からは、ここで買い物しなさいよ。安いしちょうどいいでしょ」


 ただただ、ため息をつくしかなかった。




 3か月後、僕はまたさくらと出かけることになった。行き先は遊園地。

 今度はさくらの友達も一緒だという。

 起きたと同時に、彼女から電話が入った。


「もしもし、? 起きた?」

「うん、今起きたとこ」

「ちゃんと準備はした?」

「着替えたらすぐ出るよ」


 そして僕は、棚から服を引っ張り出す。

 今まで持っていた男物メンズは、すっかり女物レディースになっていた。

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