No.15 美少女男の娘とあたしのコスプレ喫茶勤めの日々

 あたしの名前は杉宮美香。ミカと呼んでほしい。年は十代後半。東京の片隅でマンション暮らしをしている。

 両親は地方だ。ならば一人暮らしかと想像されるだろう。

 生憎一人暮らしではなく、恋人と同棲中だ。もっとも、恋人と呼んでいいのかあたしも少し迷っているのだが。


 ある一日の朝。季節は春真っ盛り。春眠暁を覚えずということわざがあるが、そのことわざは今のあたしにピッタリ当てはまっている。

 要するにすげー眠い。春の日差しが窓を突き抜けてあたしの瞼を焼くが、あたしはむにゃむにゃ言ってまどろんでいた。

 カーテンが開けられているのは奴が早起きしたからであろう。まぶしいが眠気は飛んでいかない。


「ミカ。もうそろそろ起きないとダメだよ」


 部屋の向こうからかわいらしい声がした。誰が聞いても美少女の声だと思うに違いない。

 実際奴は『美少女』だ。

 あたしは目をこすって枕元の時計を見た。八時半。


「まだ朝じゃない……」


 あたしは学生じゃない。フリーターだ。そして仕事の開始時間まではまだ少しある。

 それでも奴はあたしの反論を意に介さない。


「時間に余裕のあるうちに起きる癖付けないとダメだよ、さ、起きて。布団剥ぐからね」


 奴は宣言通り、あたしの身体を包んでいた掛布団を引っぺがした。ああ、眠いのに。

 あたしは渋々体を起こし、同居人の顔を見た。


 黒髪ロングの超美少女がそこに立っている。

 肌はシミ一つなく、抜けるように白い。

 顔立ちの整っていることと言ったら、高級人形くらいしか例えるものがない。

 あたしは自分のことをまあまあの美少女だと思っているが、ランク付けをすれば「上の下」辺りだ。

 そして目の前のこいつは間違いなく「上の上」ランクである。


 こいつの名前は鞍馬薫、通称カオル。

 こんな美少女に朝起こされるなんて、男の人の読む漫画の世界みたいだよね。



 でもこいつ男だけど。



 ん? 理解できなかった? じゃあもう一度言いましょう。



 この黒髪ロングのどっからどう見ても美少女なカオルちゃんは、男であります。



 股間には大きくなったり小さくなったりするあれ、おちんちんが付いているのです。

 信じられない? まあ無理もありません。同棲しているあたしだって時々錯覚しそうになるんですもの。

 まあそれはさておき。


「朝ごはんだよ。ミカが食べないと食器が片付かないんだよ」

「お母さんみたいなことを言いやがって……まあいつもありがと」


 軽く毒づくが、朝食を作ってくれたことに感謝しないわけにはいかない。家事をやってくれているのはほとんどカオルだ。まったくしっかり者だぜ。

 あたしはテーブルに置かれた朝食を片付けた。

 その後、顔を洗って軽く薄化粧。カオルは食器洗いとコードレス掃除機での掃除をしてから、あたしと同じく薄化粧。

 十時過ぎになる。もうすぐ仕事時間。

 さて、戦闘服に着替えるか。


 あたしとカオルは同じ部屋のクローゼットを開けた。中に入っているのは、簡単に言えばコスプレ衣装である。

 あたしたちは並んで自分の服を着た。あたしは新番組のバトル物アニメのヒロインの衣装。カオルは少し前に流行ったアニメのゴスロリ衣装。基本的にこいつはゴスロリ系しか着ない。

 着替え終わるとちょうどいい時間になった。あたしたちはマンションの部屋を出て、玄関に鍵をかけた。


 ◇◆◇


 あたしたちが勤めている店はコスプレ喫茶『エイドス』という。詳しい地名は明かせないがそこそこ賑わっている繁華街の中の一軒だ。

 控え室で着替えるのが面倒なのであたしたちは家でコスプレをして街中を行く。地方なら目立ちまくるだろうが、東京なら多少変な恰好でいたって何も言われない。

 裏口から店内に入った。もう出勤している同僚がいる。店長のハルコさんもいる。あたしたちはそれぞれに挨拶をしてポジションに着いた。

 開店の時間である。


 『エイドス』はそこそこ流行っているお店だ。店員の数もそれなりにいるが、客がそれ以上だから仕事を回すのは結構な反射神経がいる。

 常連さんと一見さんとで対応を変えなくてはいけないのも面倒なところだ。ま、好きなコスプレしてアニソン聴きながら仕事できるところなんて他にそうそうないんだけど。

 カオルも店員の一人として、笑顔を絶やさず接客している。あまりの美少女っぷりにちょっかいかけられまくりなのが毎度のことである。

 だーれもあいつが男だなんて思わないだろうな。あたし以外に知っているのは店長だけだよ。


 ちなみに『エイドス』の常連さんは度合いにもよるが、大体四十人くらいいる。

 その中で一番店員人気が高いのが、佐伯さんだ。


 佐伯さんは昼の十二時半、計ったように正確に『エイドス』のドアを開く。


「どうも、今日も来ました」


 しわのないスーツを着た、引き締まった体つきの色男である。年は三十代前半といったあたりか。

 イケメンであることに加えて、態度が極めて紳士的である。そしてユーモアのセンスもある。

 こういう人ばかりだったら客商売は天国だろうな、そういうタイプの人格者だ。最高の常連さんである。


「いらっしゃいませ! お待ちしておりました!」


 そして、最高の常連さんを相手にするのは、最高の美少女の領分である。つまりはカオルだ。


「今日も可愛いよ、カオルちゃん」


 佐伯さんは軽く微笑んでテーブル席に着く。カオルが微笑み返しておしゃべりに興じる。

 あたしはカオルの顔を見た。佐伯さんと喋っているときはいつも楽しそうだ。

 やがてカオルは注文を受け、調理場へと伝えた。佐伯さんが注文したのは『エイドス』で一番豪華なセットメニューである。お金を落としてくれるという点から見ても手放したくない常連さんだ。


 佐伯さんに注文が届く。カオルは彼につきっきりでおしゃべりを続ける。あいつの瞳はもうなんというか、恋する乙女であった。

 佐伯さんはおしゃべりに興じながらセットメニューを平らげ、きっちり来店から一時間後の十三時半に席を立った。


「ごちそうさまでした。またよろしく」


 佐伯さんは勘定を済ませ、玄関に向かう。

 カオルがそばに寄り添い、腕をからませた。


「また来てくださいね? カオル、待ってますから」自分のことを名前で呼ぶ。ぶりっこである。他の人間の前ではそんなことしません。

「ああ、楽しみにしているよ、カオルちゃん」

「約束ですよ」


 そしてカオルの奴は、佐伯さんのほっぺたにちゅっ、とキスをした。

 さすがに佐伯さんも狼狽する。


「カオルちゃん、僕みたいなおじさんにそういうことをすると誤解されるよ」

「誤解って何ですか? カオルは佐伯さんとなら誤解されてもいいです」


 攻めるじゃねえかカオルちゃんよう。


「参ったね。本気になりそうだから勘弁しておくれよ。また明日ね」


 佐伯さんは困り顔のまま、『エイドス』を出ていった。


「おいおい、俺たちにもああいうことしてくれんのー!?」


 客の一人が軽くふざけた調子で怒鳴る。まあ無理もないやな。


「すみませえん、あの子はちょっと特別で……」


 あたしはカオルのフォローに回ることになった。貸し一つだかんな!


 ◇◆◇


 休憩時間が来た。あたしたちは控え室で軽い食事をとって飲み物を飲んだ。


「ああ、佐伯さん、素敵だよねえ」


 カオルがとろんとした顔で呟く。


「何さ、本当に惚れているの?」と、あたしは訊く。

「うん。佐伯さんになら抱かれたい」

「……あんた男じゃん」

「ぼくは心は女の子なんだよ」

「じゃああたしとえっちなことするのはいいの?」時々しているのだ。

「ミカは友達でしょ。特別だよ」

「そうなんだ。どこで線引きすればいいのやら」

「人間の性癖って複雑だよね」

「そうだねえ」


 益体のない会話。


 ◇◆◇


『エイドス』は七時を過ぎると喫茶店からバーに少しずつ切り替わる。九時ごろには完全なバーになる。それまでの「あわい」の時間が終わるまでがあたしたちの仕事だ。

 それくらいの時間帯になると、質の悪いオヤジどももやってくる。

 どこかで軽く飲んできたのか、一見さんのヤクザっぽい中年男性の三人組。


「おい! 姉ちゃんたち! 酒だ!」


 店員たちが軽く表情を引き締めて仕事に当たる。カオルがビールをトレイに乗せてオヤジどものテーブルに行く。

 ビールを配り終えたところで、一礼して立ち去ろうとしたその時、


 がしっ、とオヤジの一人がカオルの腕をつかんだ。


「まあ待てよ姉ちゃん、おじさんたちの相手してくれよ」


 カオルは苦い顔をして、「あの、困ります」と抵抗する。

 親父はカオルのスカートをつまんだ。


「長いスカート履いているなあ。綺麗な脚しているだろ? もっと見せびらかさなきゃサービスにはならないぜ、へへ」


 オヤジはカオルの脚を荒い手つきで撫でまわした。カオルに鳥肌が走るのがあたしにもわかる。

 スカートをまくり上げた。カオルの下着が見える。トランクス。


「……あれ? なんで男物の下着を……」


 ばしいん!


 カオルがトレイをオヤジの脳天にたたきつけた。


「な、なにしやが……」

「お客様!」


 その場に雷喝が響いた。怒鳴ったのは店長である。


「うちはそういう店ではありません。女の子に直接手を出すならお帰り願います」


 オヤジどもは肩をしぼませた。カオルから手を放す。

 カオルは泣きそうな顔をしながら、テーブルから離れた。


「ミカ。カオルをトイレで介抱してやって」

「分かりました」


 あたしは店長に言われた通り、カオルをトイレに連れて行った。



 トイレに入ると、カオルは軽くしゃくりあげて泣き出した。


「よしよし、泣くんじゃない」


 好きな男に手を出されれば嬉しいが、乱暴なだけの男に迫られればぞっとする。女なんてそういう生き物だ。……カオルは男だけど。


「ごめん……ありがとう……」


 カオルはしばらくすると気を取り直したのか、目じりに残った涙を拭いた。

 それから、ぽつり、と呟いた。


「……最初に会った時も、ぼくは泣いていたよね」

「……そうだったね」


 あたしはカオルと最初に会った時のことを思い出した。


 ◇◆◇


 雨の日だった。一人で暮らしていたマンションに帰る途中だった。雨音に混じって泣き声が聞こえた。

 普段なら放っておいたかもしれない。東京で泣いている人間に構っていたら日が暮れる。だがあたしはその時、どうしても気になった。

 シャッターの締まった個人商店の軒先で、雨をしのいでベンチに座って泣いていたのがカオルだった。


「……どうかしたの?」


 あたしの声に、カオルは顔を上げた。

 その時のカオルは髪も首のあたりまでしかなく、美少女というより美少年だった。


 そこから先は身の上話になった。ありふれた話だ。親が不仲で、子供であるカオルにも当たるような親で、居場所がなくなって逃げ出した。

 カオルはもともと顔も性格も女の子であり、そういうところが特に父親に否定されていたらしい。

 話を聞くにつれ、あたしは目の前の相手に強く惹かれていく力に逆らえなくなった。

 あたしも親に期待されていた学校をやめ、フリーターとして根無し草の生活をしていたところだった。


「うちに来る?」


 その言葉はこぼれるようにあたしの口から出てきたのだった。


 ◇◆◇


 乱暴をしたオヤジたちは居づらくなったようで、店を出ていた。あたしたちは仕事を済ませて『エイドス』を出た。

 家に帰る。


 あたしたちは交代でシャワーを浴びた。あたしが浴室を出ると、カオルはもう布団に入っていた。


「もう寝るの?」

「うん、早く寝てさっきのこと忘れたい」

「そっか、じゃああたしも練るよ」


 あたしは部屋の電気を消した。カオルの隣に敷かれた布団に入る。

 暗闇。


「……ねえ、ミカ」

「何?」

「ぼくたち、どうなるんだろうね」

「どうなるって?」

「年を取ったら、どうなるんだろう」

「……」


 それは考えたくない問題だった。

 あたしはただのフリーターで、カオルは美少女だけど男の子で。


「あと二十年もすれば、ぼくはただのおっさんだよ。女っぽいだけの」

「そんなこと言ったら、あたしだってただのおばさんだよ」

「将来どうなるんだろうね……」


 ため息のようなかすれ声。

 あたしは横に転がり、カオルの布団に入った。


「カオル」あたしは彼を抱きしめる。

「……ミカ」

「大丈夫。あたしはいつも一緒だよ」

「……」彼もあたしを抱きしめ返した。

 彼の体にはほとんど筋肉がなく、柔らかい。

 あたしたちはこんな時、いつもこうする。


 あたしたちは、交わった。


 カオルとえっちをすると、いつも複雑な後味がする。


 ◇◆◇


 翌朝。


「ほら、もう朝だよ」

「もう少し寝かせてよ」

「ダメだよー」


 またいつもの一日が始まる。

 あたしとカオルの蜜月ががいつまで続くのか、神様しか知らないだろう。

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