No.10 如何様な、踊り子舞う。

 ————ステップ、ステップ、ここでターン


「彼」は踊り子ダンサーであり、暗殺者アサシンである。

 中性的な見た目は其の儘役立つ。幼い儘成長の止まった身体は何処を見ても、格好をしていれば目の前の欲望に見抜かれる事はない。故に「彼」は少女を詐称する。目の前の全くもって醜い物だ。恰幅のいい、いや醜悪な、ぶくぶくと太った男達が痩せ細った男を椅子に、その薄汚い財力で手に入れた女を侍らせている、いや、全く醜いものだ。真面まともな金持ちはこのような来ない。此処に来るのは悪しき手を使った外道、悪人程度のものである。だから「彼」は醜いと言ったのだ。


 但し「彼」の本業も主だって口に出せる物で無く。この時世、踊り子の立場が悪いのは無論であり、ましてや暗殺者など仕事と言えるかすら微妙と言える。其れが生業ではあるが故に、碌でも無い人間であるのは「彼」もまた、そのベクトルこそ違えど同じであった。いや、「彼」は実に不要な人間であろう。人を殺す事に合理性は無い。女装で油断させてまで人を殺す理由は、少なくとも本人には無いのだ。いや、強いて言うなら金か。「彼」は大金を持ち将来、穏やかに遠くで暮らすのが夢であった。その低過ぎる身長、少女の如く幼い身体を蔑むもののいない場所へ。その金も集まりつつある。穏やかに農業を、だ。故に。今はその身体すらを恥じながらも、悔しく思いつつも利用する。「彼」は、踊る為の力と人を殺す能力のみを蓄えながら心の内で毒を吐くのだ。


 が、しかしだ。運命、もっと人間が操作出来るレベルで言うならば、予定とはいとも簡単に狂うものである。


 毎度の様に薄い踊り子の姿に着替え、唯一物を隠せるであろうゆったりとした腰周り、服の内側には短剣ナイフ、そして愛用の銃、ほとんど銃身の無い、掌に収まるサイズの物を身体に密着させ忍ばせる。比較的軽く、非常に小さいそれは踊る上で他のものほど邪魔にならず、隠しやすくもあった。こんな場所だ、殺人、人を殺すほうの仕事が無くとも護身用に武器は持っている。いつ襲われて正体が露わになるとも知らない。自分の為に武装するのだ。「彼」も含め、此処にいる人間の誰が死んでも、困るのは悪人だけである。


 何時もの様に舞台ステージに立ち、完璧に跳ねて舞う。手を上に挙げ足を膝に添えくるりと回る。「彼」にとっては腑が煮え立つ事であろうが、彼には蠱惑的な魅力がある。透き通る肌色はなおも情愛を逆立てる。そんな目で見るモノを前に、「彼」は透明なスカートを摘み上げてまるで其処が野原であるかの如く跳ね回るのだ。


 但し、その日は違っていたのだ。膨らんだ豚に連れられた少女を「彼」は初めて見た。美しい筈のブロンドの髪は荒れており、大きい目は疲れからかギョロリと気味の悪い物と化し、それなりに値が張るだろうと見たドレスは裾が破れ黒ずみ見るも無残なものへ変質している。そんな彼女は、じぃ、と「彼」が踊るのを覗き込んでいた。「彼」は少女が、没落して親に売り飛ばされた貴族の娘か何かだろうと考察する。年若い、その挙動を見るに「彼」の外見のみを見て年齢を判断してもそれより年若いであろう、十二程だろうか、と言うものだ。大方豚が連れてきたという辺りだろう。哀しきかな、「彼」は少女を哀れんでも助けはしない。だから、だ。その少女が楽屋にさも当たり前であるかのように居た事に驚愕したのだ。


「……ええ、と。お嬢様、こんな所で何をされておられるので」

「私、あなたを気に入ったわ」

「それはどうも、有難く」

 勤めて丁寧に。成長が声変りの前に止まったお陰で自然に男とも女ともつかぬ幼い声を出せるから、だ。

「で、です。如何して此処に。貴方の、もうお帰りになりましたよ」

「あの豚? 保護者とは片腹痛いですわね。今日は別の用です」

「ふむ」

「貴方、ですわね。あの豚、殺してくださいません?」

「はてさて、何の事か」

「ナイフの切っ先、見えてますわよ。そういうのは良く見ましたから」

「彼」は銃を抜くことを考える。あの薄暗い舞台で、あの距離から見破られるとは予想外だった。腰回り、唯一透けていない服を着ている場所の裏に隠していたのがバレたのだ。口封じとは楽なことである。が、この不憫な幼子に何のメリットも無く鉛玉を撃ち込むのじゃ「彼」としては非常に無駄である。

「……お代は如何程」

「残念ながら金銭の用意は出来ません。その代わり、私の身体で」

「……命知らずが」

「ちゃんと純潔ですよ。それにあの豚の所にいるより、の貴方の所の方が安心です」

「…………」

「彼」は先程から腰に当てていた手を下ろす。目敏いと思った自分が馬鹿らしいのだ。

 ————いや、1人くらい小間使いを付けるのも悪くない。些かお金は必要になるが、まあ誤差だ。

「いいだろう、受ける」

「ありがとうございます」


 こうして、「彼」の人生は————


 〜〜〜〜〜


 決行の日、「彼」はぼそり、と呟く。

「……欲望の塊の様な男に近づくには女であるように見せかけるのが便利だ……いや、私は、最低だな、男の傲慢だな……」

 踊り子としての格好では無く、念の為買っておいた町娘の服装を。忌々しい事に実によく似合って。何処に出しても恥ずかしくない町娘、だ。

「……さて。豚はあれか」

 少女を連れ歩いているので、間違いは無い。暗がりでしか見ていなかったが、やはりどれだけ華美な服を着ていても醜悪なものは醜悪だ。

 スカートの内側にすぅ、と空気が通り抜ける。普段の、踊り子としての服では麻痺している羞恥心が蘇る。

 噂の声が聞こえるのが腹立たしい。自分を男だと見抜かない聴衆が腹立たしい。「彼」は豚に近づく。

「すみません、何某氏の御屋敷は何処でしょうか。田舎で死んだ父にそのお方を頼れと言われたのですが……」

「ほう、何某氏か。実は私も今から其処へ行く所なのだ。ついてくるが良い」

 豚は「彼」を舐める様な視線で観察した後、さも当然であるかの様に言う。隣の少女の顔が、嘘だと言っていた。

「有難く……」

「いやいや、構わぬよ……」


 やがて、豚の屋敷に着く。無論の事何某氏の家には着かない。

「此処であるよ」

「……ありがとうございます」

「ささ、入り給え……」

 扉が————閉じる。服の裏から銃を抜き、豚に向け————

「仕事だッ! 死ね……ッ!」

 脳天めがけて発砲。が、豚は思いもよらぬ反応速度を発揮し、首を曲げて回避。

「暗殺者ッ!? よもや私を……」

「如何にも。真逆仕留められぬとは」

 豚も腰から銃を抜き、「彼」にその口を向ける。残弾は5発。睨み合ったこの状況で、防音設備も何もないこの屋敷から、少女を連れて逃げねばならない。豚が呟く。

「……はは、面白い。豪胆な女も面白い。女の殺し屋なぞ初めてだ。ましてや幼い、町娘の暗殺者など、聞いたことが無い。引ん剝いて吊るし上げて奴隷にしてやろう」

「はっ、呆れたな。1つ訂正があるのは置いておいて……よもやこの状況ですら欲が折れぬとは、呆れるが面白い。私の噂を聞かないのは……私が狙った人間を全て殺しているからだよ」

「ふむ、恐ろしい。だが、貴様が余裕なのも今までだ。出て来い、傷はつけるなよ」

 暗がりから、4人の男が現れる。それぞれがバラバラな銃と剣を持って四方から襲いかかるのだ。

 小柄な身体を生かして普段の、自らの腰の高さまで頭を沈め飛んでくる弾を避けつつ地面を蹴ってナイフで斬りかかる。男にそれを避けられ、仕返しカウンターが飛んでくる前に。舞う様に腕の下を潜り抜けて首の横に鉛玉を撃ち込む。近くにあった柱を蹴り2人目に飛び掛かってナイフで喉笛を搔き切り、そして心臓を一突き。そのナイフを引き抜き3人目に投げつけ、それを回避する軌道を予測して射撃、4人目の弾丸をで避けて、近づき至近距離から弾丸を見舞う。


「後ろっ」

 少女の声。はっと振り返るとこちらに銃を向けているのは豚。

「……しくじったか!?」

「麻酔銃だよ。貴様は遊べそうだからなァ」

 目を瞑る。「彼」は覚悟し、余計な、馬鹿な依頼を受けた自分を後悔する。が、痛みは無い。少女が、豚の腕を弾き飛ばしていた。

「今ですっ!」

 ————ターン。

「お、おのれェッ! いや……まさか貴様、その顔……影の掛かり方……いや、真逆まさか貴様あの踊り子か!?」

 漸く豚がその事実に気がつく。「彼」がくるりと回って引き金を引く。 その弾丸は引き込まれる様に標的の脳天へ、散らして吹き飛ばす。


御名答ザッツ・ライト————そして私は、男だ! 残念だったな、クソ野郎! 男だよ!」


 死体が転がる中そう宣言した私に、少女が信じられないと言う目を向けるのであった。「彼」は少女に訂正を加える。


「私のこれは、仕事としての女装、だ」

「……いえ、良い出来ですね」


「彼」らは、2人のは、銃声を聞きつけた人間がくる前に逃げだす。2つの影が走り去っていくのを目撃した人間も、それが何とは気が付かず。それを、「彼」らを知る人は、其の内この街に居なくなるのだろう。忘れ去られるのだろう。


 2人が幸せになるか否か、最早誰も興味を持たない。

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