No.5 お嫁さんになって下さい!
小さな鳥の声に、意識が浮上する。
瞼を開ければカーテンの隙間から漏れた光が、暖かく朝の訪れを伝える。
まだ気怠い体を起こし、体温が残るベットから名残惜しさを感じながらも降りる。カーテンを開けて光を浴び、欠伸と小さな伸びをして洗面所へ向かったまだあどけなさの残る少年は、少し早足だった。
ーーー
ああやっと今日だ。
ずっと楽しみにしていた。
冷たい水に浸していた顔を拭いて、鏡台の前へ座ると、洗顔後のまだ少し湿り気の残る前髪をヘアピンで止めて、化粧水と乳液。それからフェイスパックを10分程順番に塗り込んだ。
パックの間に、寝癖がついた髪を梳かしてヘアオイルをしっかりと浸透させてからヘアアイロン。
パックを外して、余った化粧水を首までつけて…よし、ここからは気を入れる。
下地クリームは丁寧に。ムラがあるとファンデーションがうまく乗らなくなる。
シミやくすみはコンシーラーで隠して
ファンデーションをはたいて、これでOK。
アイライン、アイブロウはブラウンで。元々大きめな目を、優しく穏やかな印象に。
アイシャドウは、この日のために新調した、パールが華やかだけど、派手すぎないお気に入りのもの。
ホワイトパール、キャラメル、ミルクチョコ、順番に色を乗せて境界をぼかせば…、よし。いい感じ。
マスカラとビューラーも念入りに繰り返す。
そうだな、チークはうーん…ローズピンクを薄くのせようか。
最後の仕上げのルージュは、服を着てから決めよう。
部屋着を脱ぎ捨てて、純白のブラウスを羽織る。
綿だからシワがつきやすいけれど、昨日から心を込めてアイロンを当てておいた。
ボタンを一つ一つとめる度、胸が高鳴る。
ふんわりとした丸いフォルムのパフスリーブは肩幅を隠す為。
多めのフリルに生地と同じ色の繊細なレースをあしらった姫袖は、腕を動かすたびふわりと揺れて手の筋っぽさなんて、見えなくなる。
白いタイツに足を通し同じく白のドロワーズを履いて、紺のスカートを身につけたらハードチュール、ソフトチュールの2つのパニエを中に着込む。すると、2段になっている紺の膝丈全円スカートがふんわり広がる。裾についた白いフリルがこれまた可愛い。
男っぽい身体付きは随分と違って見える。
知らずに頬が上がる。心がまた跳ねる。
次に手に取ったのは、スカートと合わせた紺のアンダーコルセット、とっておきのアイテム。コルセットの編み上げの白いリボンをしっかり握って引き絞る。一番好きな時間。
平坦な腰にくびれが出来る。
頑張れば頑張る程、僕は私に変われる。
リボンを結んで背面へ編み上げを回すと少しだけ息を吐く。
少し息苦しい。これくらいが、理想。
胸元はどうしよう。リボン?ジャボ?それともネックレスにしようかな。
フリルのついた丸襟なら、どれでも合いそうだけど……。
あ、そうだ。スカートに合う紺のカメオがあったはず。それと、ジャボもリボンも組み合わせてしまおう。
それなら胸元が華やかだから首の太さも誤魔化せそう。
ヘッドドレスは頭のサイズを隠せるハーフボンネット。これも、紺の布地に白いフリルとレースが映えてとても可愛い。リボンはうなじの辺りで結べば、邪魔にならない。
最後の仕上げ、ルージュはクリームピンクにしよう。
さぁ、完成。
鏡の前に立って、確認。
白いブラウスと紺のスカートは、僕のエクリュの肌に良く似合う。
紺のハーフボンネットも、肩まである自慢のバターブロンドを引き立ててくれる。
うん、アイメイクも上手くいってる。
深いネイビーブルーの瞳にちゃんと似合ってる。
そろそろ約束の時間が近づく。
鞄を持って、玄関へ。
用意しておいた、装いに合わせた先の丸い紺のヒールパンプスを履く。
これも、脚を細く見せる効果がある。
白いスクールバックの形をしたリュックを背負って、軽く地面を蹴って立ち上がる。
家を出る前に、深呼吸。
最後にもう一度、玄関の鏡で自分を確認。
大丈夫。僕は可愛い。絶対に。
君は、褒めてくれるかな?
ーーー
風に草木がざわめく。
静かな木漏れ日が優しく包む待ち合わせの公園は、いつも通り人気が少なくランニングで通る人がたまにいる程度。それが、ここを選ぶ理由の1つでもある。
「お待たせ。」
ひらひらと、フリルを風に遊ばせながら現れた久々に見るその姿。
この公園の風景にも溶け込みまるで絵画のようだと思いながらも、会ってすぐ褒めるのも軽々しく聞こえそうで、口から出るのはまず文句。
「遅いよ。」
「ごめんね、久々だから張り切っちゃった。」
「まぁ、5分前に来た所だからいいけど。」
「えっ何それ謝る必要無かった。」
そんな軽いお喋りをしながら、すぐ側のベンチへ腰掛けるよう促し、自分もその隣へ腰をかける。簡素だけどしっかりした木製のベンチ、制作者もこんなに可愛い子が座ってくれるなら本望だろうと笑みがこぼれる。
「今日のも可愛いね」
「ありがとう。お気に入りのコーデなんだ。」
「それ、前にも着てたブラウス?」
「よくわかったね?これ、便利なんだよ。」
「へぇ、いいね。」
君のコーディネートはいつもちゃんと見ている。
季節と自分の気分に合わせて、お洋服もメイクも沢山工夫している。だから、毎回会った時の写真もまとめてある。
綺麗な姿は努力の証拠だから。
「その靴も、この間買ってたものだよね。」
「お、よく見てる。」
「それはどーも。」
人を見る事にも長けているね、なんて褒めれば褒めるほど、嬉しそうにして。笑うと更に君の魅力が増すことを知っている。
「今日は、どこへ行こうか?」
キラキラとした目が、きっと楽しみにしていてくれたことを感じさせて嬉しくなってしまう。
静かにゆったり癒される水族館?それともアトラクションでスリルやロマンを味わえる遊園地?いっそ、お買い物巡りでもいいかな?
色々考え過ぎて纏まらなくて、それで今日まで何も決められなかったんだけど。
しばらく考えて、それならと口を開いた。
「行きたいところを決めてくれる?」
「うーん、それなら…先月出来たスイーツのお店行こうよ。」
「じゃあそこで。」
思ったよりすんなり決定した行き先へ向かおうとする君より先にベンチから立ち上がり手を差し出す。
「お手をどうぞ、お姫様」
その一言に少し呆気にとられた後、ニッコリと笑って、「ありがとう」と返すその顔はあまりに可憐で、自分だけが知っていればいいと独占欲が顔を出した。
ーーー
お店に向かう途中、小さなブティックの一軒に思わずふらりと立ち寄る。
「これ…可愛い…。」
引き寄せられふと手に取ったのは、グレーのリボンにワインレッドのレースをあしらったカチューシャ
「欲しいの?」
柔らかな声で訪ねられて、素直に悩む理由を口にする。
「えっ、と…すごく可愛いんだけど、合わせられる服がないかなって。」
「それなら、合う服を買えばいいよ。」
あっという間もなく、貸してと同時に手からカチューシャを取られると、数歩離れてカチューシャを掲げて片目をつむる。その仕草に首を傾げていると
「うん、やっぱり。良く似合うよ。買おう。」
そう言うと、さっさと会計へと行ってしまった。
呆然と見てる内に、さっきのアレはボンネットを外さないで似合うか見てくれてたのかと気が付いた。
「ありがとう、まさか買わしちゃうなんて…」
「いいのいいの。可愛い子に似合うなら喜んで貢ぐよ。」
気にする事ないという風に言ってのけるその態度に、やはり自分より大人なんだと思うと同時になんだか寂しくて、早く大人になりたいと呟いた。
すると、突然こちらを向いて強い口調で
「君は誰より可愛いよ」と。
「えっ、何いきなり」
「可愛いよ。綺麗。君は君でしょ。今のままでいいよ。大人になんて背伸びしてまで近づかなくて良いから。今のまま焦らず大きくなればいい。こんなに可愛くて綺麗な人、滅多にいないんだから。急がなくても、充分魅力的だよ。」
突然矢継ぎ早の褒め言葉に驚いた表情から頬が緩んでいくのがわかる。恥ずかしいような、嬉しいような。
「へへ、やっぱり?」
そう返すと、ほくそ笑んだその顔にどこか胸がキュンとして鼓動が速くなった気がした。
「そういえば、コルセットしているんだった。」
「見ればわかる。」
目の前に置かれたケーキは4分の1ほど残されている。
対照的に、奥の皿は既に下げられて、飲み物のコーヒーもすっかり中身が無くなっていた。
「……しまったなぁ。ここのケーキ、美味しかったのに入らないなんて…残したくないな…。」
けれどこれ以上食べられないのに居座るのも、それに付き合わせるのも申し訳ないと、落ち込みながらフォークをケーキの横に置くと、
「仕方ないなぁ…」
とだけ言ってこちらのお皿を手に取り、残りのケーキを食べ切った姿に少し驚いた。
「あれ?甘すぎるもの苦手じゃなかったっけ?」
「好きじゃないよ。でも、残すのはもっと好きじゃない。」
ケーキの甘みが残ったからか、コーヒーに口をつけようとして無い事を思い出し、僕の紅茶を少し無断で飲んだけど、今はそれは不問。
「……うん。ありがとう。」
僕の為に、あまり得意じゃないケーキを食べてくれた事が嬉しかった。
まぁ、ここのは美味しい。と付け加えるのがまた余計に嬉しくて。
ーーー
陽が傾いてすっかり夕暮れ。
あと30分もすれば、この眩しい夕陽は隠れて夜になる。
結局、今日は街中で何をするでもなく、いつもの待ち合わせと、別れの場所である最初の公園に戻って来たのだった。
朝より更に誰も来ない時間帯。まるで世界に自分達しかいないようにすら錯覚する静けさ。
幸せな時間が終わる、切なさが膨らむ。
「今日、本当に楽しかったね。」
「そうだな。次はいつになるか…。」
「君の休みが取れ次第、かな。」
「やっぱりそうなるかぁ。」
陽が沈むにつれて影が細く伸びる。別れの時間がどんどん近付くことを否応無しに感じてしまう。
「楽しい時間って早すぎじゃない?」
はぁー、とため息をついて頭を乱暴に掻くのはイラついてる時の癖だと最近知った。
「あ、ごめんね。日程合わないの責めてるとかじゃないからね。」
「謝んないでいいよ。融通効かない職場が悪いんだし。あーでもこうなったらもういっそ独立してやろうかな…そしたら自分でルール作れるし…そうだ絶対週2日休に……」
ぶつぶつと呟く顔をしばらく見つめていると、ふとこちらを見られて視線がぶつかる。
なんとなく、
合った目をどちらも離さない。
意外と、その目の翡翠の色彩は薄いんだなとか。夕陽と混ざると、茅色になるんだなとか。
そう考えていると、唐突に体を引き寄せられたと思ったら、顎を手で上げられ唇を重ねられた。
もちろんびっくりしたけどそれ以上に目の前の顔、状況を認識するにつれてとても鼓動が速くなる。恥ずかしさから目を閉じ、そして決して嫌じゃない。むしろ嬉しい、幸せといった感情に包まれる。
ああ、そうか、僕この人のこと好きだったんだ。
口を離すと同時に、目を開ければ泣きそうな顔。
「ごめ…」
謝られる前に、僕の方からもう一度口付けた。
優しく触れるだけのキスをして、もう一度顔を見るとさっきは自分からした癖に真っ赤になっている。
「い、いいの?」
これまでとは違う、大人っぽさを感じる余裕ではなく、可愛いと思える表情でこちらを伺う姿に思わず独り占めしたいなんて思ったりして。一呼吸置いて、手を握って話し出した。
「お姉さん。僕、あなたの事が好きです。物を買ってくれたり、可愛いって言ってくれるからじゃなくて、僕をそのまま、僕として理解して受け止めてくれた、お姉さんが好きです。僕のお嫁さんになって下さい。」
しばらく黙った後、それじゃあ君はこんな10歳も上のおばさんと生きる羽目になるじゃないかとやっぱり泣き出すお姉さんは、僕とお揃いの髪型で。
「たった10年です。僕が18の時、お姉さんまだ20代ですから大丈夫です。それに、」
濡れ羽色の髪を、優しく撫でてからもう一度、優しくキスをした。
「お姉さんだって僕の事、大好きでしょう?」
誰より可愛い僕を、あげますから。
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