第38話

 ―王都郊外、市民墓地―


 重苦しく垂れこめた雨雲が上空に広がり、霧雨のような雨粒を墓地に集う人々の上に降り注いでいた。


 王都の城壁外の設置されている市民ための墓地には、大勢の黒い服を着た者たちが数多く参列し、亡くなった者を弔うために狩猟と繁栄のヴリトラムを称える聖句を唱えていた。


「ルイーズ……ワシも急な話で驚いているぞ。ロシェ殿が急逝されるとは……壮健そうに見えたが」


 大勢の参列者を伴った葬式の主催者はテルジアン商会の会頭ハビエルであり、亡くなった者は彼の父であるロシェ・テルジアンであった。


「私も気を付けておりましたが、兄のクーデターのあの日から、急に体調を崩されていまして……。それでも、気丈に振る舞い、私にキッチリと仕事をしてこいと言われておりました……ですが、こんなことになるのなら……」


「最近、仕事が手に付かない様子であったから、何かあったとは察しておったが、ロシェ殿がそこまで追い込まれていたのか」


「はい、兄ハビエルは周到でした。あの日父より、商会の運営権をもぎ取ると、人事の刷新を行って、父の腹心たちを即座に解雇し、代わりに自分の子飼い職員を後任に当てて、鮮やかに権力移譲を完遂されてしまいました。父上は、商会内の手足を失い、一気に求心力を失っておりました」


 ルイーズは、この一ヶ月間、テルジアン家内で行われた家庭内闘争の様子を包み隠さずにマルセロに吐露していた。


 父子相克は、子であるハビエルが圧倒的勝利をおさめ、ロシェは実権を失い、その心労により身体の調子を崩していたのだ。


 そこに、この急逝である。


 商会の内外にいる口さがない者からは、実権を握ったハビエルが父親を毒殺したという噂がまことしやかに広められていた。


 だが、ルイーズも父の急激な体調悪化を眼にしており、その噂が頭の片隅から離れずにいたのだ。


(ハビエル兄さんは、そこまで父上を憎んでいたなんて……)


 元々、厳しく育てられたハビエルと父ロシェの間は、上手いこといっていたとは、ルイーズも思っていなかったが、これほどの増悪を胸の内に秘めていたのかと戦慄する思いであった。


「それに加えて、この急逝か……皆が勘繰るのは仕方ないな」


「ですが、兄はテルジアン商会で絶対的な権限を手に入れました。それにテルジアン家の新当主でもあります。そして、父の近くにいた私にも、兄からの圧力がかかりました。南部の大貴族の正室として婚約の話が急速に進んでおります。抗う手段は私には残されておりません」


 当主となったハビエルは、父ロシェの近くにいて、自分の後ろ暗いことを知っているルイーズの処理を独断で進めていた。


 南部の貴族の正室として家から出してしまえば、父との権力闘争での後ろ暗い部分を探られずに済むと思っているため、この婚約は本人のあずかり知らぬ所でトントン拍子で進んでおり、輿入れの日取りまで決まりかけていたのだ。


「馬鹿な。まだ、うちの猟団に所属している職員であろう。勝手に辞められては困るぞ」


「兄もマルセロ猟団長の動向を見守っているようです。ですが、家の問題だと切り出されてしまえば、私は従わざるを得ない。それに、イェスタの猟団に出資した五億ガルドの資金に関しても取引材料に使われてしまえば、私に拒否する選択肢はないのです……」


 ルイーズは、ぎゅっと自分の両肘を手で抱え込むと、カタカタと身体を震わせていた。


 マルセロもルイーズがイェスタの猟団に資金援助したことを薄々と察していたが、それが彼女自身の首を絞める結果になっていることを知り、驚きを隠せずにいた。


「そうなのか……。わしも薄々察しておったが、その金の出所はロシェ殿ではなかったのか?」


「父上から出資してもらいましたが、兄はそれを逆手に取って、父上から商会の実権を取り上げるネタに使われてしまったのです。すべては、私の軽率な行動が原因なのです……」


 長いまつ毛を涙で濡らしたルイーズは、これまでに仕事で見せていた快活な女性の姿とはかけ離れた、弱く儚げな女性でしかなかった。


「そうか……。とりあえず、ハビエル殿には猟団の職員であるお前を勝手に嫁に出すなと釘を刺しておこう。いつまで、持つかは分からないが多少は効果があるはずだ」


「ありがとうございます。ですが、家長権限で私は外出禁止とされてしまいました。今日は父の葬儀ということで外に出してもらえているのです」


「なんだと!?」


「声が大きいです。すでに手遅れなのです。私は大人しく嫁に行きます。だから、イェスタにはこのことを伝えないでください。きっと、あの人は無茶をしちゃうから……。私はそっとあの人の前から消えればいい。それにもう五年も会っていないのだから、当にあの人の中から私は消えているはずなので……」

 

「ルイーズ、それはないぞ。あの馬鹿がお前以外の他の女に気を許すものか。お前も知ってるが、あいつは気配に敏感過ぎて気を許した奴以外、同じ部屋に入れないやつだぞ。だから、お前以外はなど……」


 子供の時から一緒に生活し、息子のように思っているイェスタの性格を熟知しているため、ルイーズ以外の女性に興味を持つとはマルセロには思えなかった。


「ルイーズ。早まるな……」


「ですが、万策尽きております」


「わしに任せておけ。お前は何としても婚約の話を引き延ばせ」


「マルセロ猟団長……」


 マルセロは降り注ぐ雨に濡れ、力なく震えているルイーズの肩を抱くと、この事態を収拾するために自ら動くことに決めていた。


 その後、ロシェの葬儀はとりとめてトラブルもなく、淡々と進行し、参列した人はロシェとの別れを終えると、鉛色の空からは、霧雨から変わった大粒の雨が降り出し始めていた。

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