第36話

 ―洞穴近くの森―


 イェスタが真っ青な空に昇った信号弾を確認してから、しばらくの時間が過ぎていた。


 今、イェスタが待機している場所は、罠のある洞穴の前方|一〇〇バルメの位置であり、ヴォルフが誘引を成功させた際に、立ち止まった後続を音で脅かし、追い込んで落とす役目を果たすため、罠の前に待機していた。


 未だ周りは、鳥のさえずりと木々が風でこすれ合う音だけがしており、狩猟の前の静かな時間が流れていた。


 しかし、その静寂を破る音が、神経を研ぎ澄ましていたイェスタの耳に飛び込んでくる――


「ノエル! 来たぞ! 準備しろ! 下の連中にも声かけとけ」


 バキバキと生木の折れる音が近づいていることに気が付いたイェスタが、洞穴の上で隠れて待機しているノエルに向かって、対象が近づいてきてることを告げていた。


「了解! レク! ヨランデ! 準備!」


 ノエルが洞穴に控える二人に対象が接近してきていることを伝える。


 その様子を確認したイェスタは、いつでも攻撃と【轟音玉】を仕掛けられるように準備を進めていた。


(ヴォルフ、怪我しないように慌てず慎重に誘導してこいよ)


 弟子となったことと、自分が助けた例の子供であることを知ったイェスタは、ヴォルフを危険な目に合わすことに不安もあったが、すべては彼の成長のためと思い、考え得るだけの安全対策を施して、囮の役目に送り出していた。


 その際、自分の師匠であるマルセロも、自分と同じような気持ちで、狩場に送り出していたのかと思うと、師匠の投げ掛けてきていた厳しい言葉が、急に温かな慈愛に満ちた言葉だったのだと思えていた。


 けれど、自分はその師匠の思いを踏みにじり、あまつさえ、師匠の名を汚すような醜態を晒していたかと思うと、二度と師匠の前に立つことは出来ないのだと、イェスタは思っていたのだ。


(マルセロ師匠……俺はやっぱりダメ弟子でした。でも、自分の弟子だけはきっちりと一人前の狩猟者ハンターにしてやります。それが、俺に狩猟者ハンターとしての生き方を教えてくれたマルセロ師匠に対する最大限の礼になると思うんで……)


 ヴォルフという弟子を得たことで、自分の過去の行状を客観的に省みたイェスタは、師匠であるマルセロに対して悔恨の思いが湧き上がっていた。


 そんな思いを抱きつつ、ヴォルフが無事到着するのを、待ち望んでいたイェスタの眼に、尖角凶竜ゼインロングの群れを素早い回避で翻弄しつつ、罠に誘導するヴォルフの姿が飛び込んできた。


(きた! ヴォルフのやつは怪我してねえな)


 すぐに弟子であるヴォルフの無事を確認したイェスタは、飛び出して援護したくなる気持ちを必死で抑えつつ、ヴォルフが囮の役目を完遂するのを見守る。


 ギリギリと歯噛みしたくなるほどの、もどかしい時間が過ぎ去り、ヴォルフが懸命に連れてきた尖角凶竜ゼインロングの先頭がようやく罠の仕掛けてある部分に脚をかけていた。


 ヨランデには、二~三頭が乗った時点で底が抜けるように作れと指示してあったが、予想以上に頑丈に作られていたようで、ヴォルフが連れてきていた五頭全部が罠の上に乗っても底が抜ける様子がなかった。


(ちぃ、頑丈に作りすぎだ。仕方ねぇ。あの上で尖角凶竜ゼインロングを暴れさせねえと)


 イェスタは落とし穴が不発に終わったのを見た瞬間、手にしていた【轟音玉】を強く握り、罠の上にいるゼインロングたちに向けて放り投げ、同時に足元にいるヴォルフに向かって走り出していた。


「ヴォルフ!! こっちだ!!」


 ヴォルフも落とし穴が不発に終わったことに気が付いており、イェスタが声をかけると、即座に反応して駆け出していった。


 ドウゥンという腹に響く爆発音が響き渡ると、音に驚いたゼインロングが驚き、落とし穴の罠の上で駆け出そうと地面に強く足を踏ん張った――


 その時、メキメキという不規則な音が聞こえたかと思うと、それまであった地面が真っ二つに折れて、消え去っていく。


(しまった! 間に合わねえ!)


 計画ではヴォルフは落とし穴を駆け抜けて、ノエルの所に合流する予定であったが、落とし穴が不発に終わり、計画変更したため、罠の範囲を抜け出す前にゼインロングたちと地下に落ちそうになってしまっていた。


「イェスタ師匠!!」


 無くなった地面に開いた黒い穴が、必死に駆け出していたヴォルフをゼインロングとともに呑み込んでいく。


「ヴォルフ!! 諦めるな! こっちに手を伸ばせ!!」


 落ちていくヴォルフに向かって、必死に駆け寄っていくイェスタが、落とし穴の偽装が無くなった洞穴に思いっきりダイブしていった。


 大量の埃が舞い上がり、重量物が地面にぶつかる音が複数回に渡って洞穴の中へ反響していく。


 ノエルは目の前で起きたことがショッキング過ぎて、言葉を失っていた。


 イェスタとヴォルフが落とし穴の崩落に巻き込まれて、ゼインロングたちとともに地下に姿を消してしまったように見えたのである。


「イ、イェスタ猟団長!! ヴォルフ! 大丈夫なの!? いたら返事して!」


 地下から舞い上がった埃のせいで視界が遮られ、二人の姿が確認できずにいた。


「どうしたノエル。トラブルか?」


 地下に居たヨランデが焦ったノエルの声を聴いて、トラブルが発生したと思い、聞き返してきていた。


「ああ、ええっと。イェスタ猟団長とヴォルフが崩落に巻き込まれたの」


「なんだって!? こっちからも姿は確認できないぞ」


「慎重にやれって言った本人が巻き込まれるとは……埃がまだ収まってないけど、二人を捜索する――」


 レクがイェスタたちを捜索しようと罠に近づこうとしたら、上空から声がかかる。


「馬鹿野郎。俺はヘマしねえぞ。三人とも持ち場で待機してろ!! ヴォルフも無事だ!!」


 下から舞い上がった埃が少しずつ晴れていくと、腰に縄を巻いたイェスタがヴォルフの手をガッチリと掴んで、中に浮かんでぶら下がっていた。


 どうやらイェスタは、洞穴に飛び込む前から、腰に縄を付けて待機してようで、万が一に備えた準備は欠かしていないようであった。


「イェスタ師匠……ありがとうございます……死ぬかと思った」


「猟団長だと言ったはずだ。まだ狩猟中だぞ! それに俺の狩猟計画で死人は出すつもりはねぇぞ!」


「あ、はい。そうでした。イェスタ師匠が常に言っている『全てに備えよ』でしたね。僕はまだ、その言葉の本当の意味分かってなかった。僕はあの時点でどうすればよかったんでしょうか……」


 自分だけでなく、師匠であるイェスタまで危険に巻き込んだことをヴォルフが気にしてしょげているが、イェスタ自身、計画が変更になったことで、自分の目論見が甘かったことを反省していた。


「とりあえず、反省会は俺も含めて後だ。今は下に落ちたあいつらを全力でトドメ刺すのが先決だぞ」


「そ、そうでした」


「レクとヨランデは攻撃開始! 大分、弱ってるはずだから、慎重に様子を見極めて、好きに狩れ!」


「承知したよ。落ちた奴等は任せてくれ」


「分かった。オラもレクをサポートしていく」


 地下に陣取っていた二人は、落下して自慢の武器である足を怪我し、毒に侵された尖角凶竜ゼインロングのトドメを刺しに動き始める。


 ベテラン二人であるため、確実に弱った奴を優先して狩り、頭数を減らしてくれるはずであった。


「ノエル! お前は悪いが、俺とヴォルフを回収してくれ! こっからはさすがに自力じゃ上がれん」


 地上と地下の中間地点にぶら下がったイェスタが、地上にいるノエルに回収を依頼する。


 命綱こそつけているが、普通の縄であるため、長時間ぶら下がるのは、危険と考え、イェスタはノエルに回収を早くした方がいいと判断したようだ。


「はい! 今から引き上げますから! もうちょっとだけ待ってて」


 慌てて、イェスタのいた方に移動し始めたノエルを見たことで、イェスタとヴォルフの二人はホッと息を吐いていた。

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