第30話
―王都のテルジアン家、書斎―
イェスタたちが狩猟を成功させて、プリムローズの酒場で酒宴を楽しんでいた同時刻。
王都のテルジアン家の書斎では、重苦しい空気が室内を覆っていった。
この重苦しい空気を醸し出しているのは、ルイーズの兄でテルジアン商会の現会頭ハビエル・テルジアン、その人であった。
細身の体と、怜悧な目元は父であるロシェ譲りで、歳は三〇代。
すでに妻子を得て、男として脂の乗り切った時期であるが、引き継いだ商会では、父であり、偉大な前会頭であるロシェの影響力が色濃く残っているため、日々、ストレスを溜めていた。
そして、また今、ハビエルのストレスの原因となる父ロシェが行った個人融資が発覚していた。
「父上、この五億ガルドの使途不明金は一体どういった類の資金なのか、私に分かるように説明して頂きたい。この資金は私の決裁を得ず、父上の腹心の職員が独断で決裁しておりましたぞ」
室内には、五億ガルドの融資先であるルイーズも一緒に呼び出されていた。
ハビエルは使途不明だと言っているが、資金の流れた先をすでに掴んでおり、融資先であるルイーズに対しても詰問しようと呼び出しをかけていたのであった。
「ほぅ。コレクションの購入には目を瞑るのに、わたしの融資には目くじらを立てるのか?」
息子であるハビエルに見つからぬよう、商会内に残る元部下たちに緻密な処理をさせ、ルイーズへ用立てた資金を見つけられたことは、ロシェにとっては驚きを感じることであった。
引退して息子に代を譲ったとはいえ、商会内では未だに影響力は残っていると思い、色々と裏で工作をしていたが、ルイーズの一件の発覚により、ロシェは自身の影響力が思った以上に低下していることに気が付かされていたのだ。
ロシェは表面上、平静を装っているが、侮っていた息子による自身の影響力排除に危機感を覚えていた。
「父上、商会は私に譲られたのですから、経営に関しては私にお任せください。これまで、コレクションの購入費用は目を瞑ってきましたが、今回の使途不明金に関しては、私もいささか腹に据えかねる行為でしたので、父上にきちんと説明をしてもらいたく、参上した次第です」
ハビエルは礼儀正しく喋っているが、顔にはわずかに怒りの表情が浮かんでおり、人の機微に鋭いロシェは、息子が深い怒りを押しつつんでこの場にいることを察していた。
「ならば、なぜこの場にルイーズがおるのだ? わたしを窘めるのであれば、ルイーズは関係ないであろう?」
「父上……ハビエル兄さんには、すべて発覚しております。五億ガルドの融資先が私であることも……そして、そのお金が新興商会を介して、
ハビエルの隣で、憔悴しきった顔をしているルイーズが、自白するように使途不明金の使い道を暴露していた。
ここに来る前にハビエルに呼び出され、徹底的にやりこめられ、観念しての同行であるとロシェはすぐに悟った。
「そうか……。ならば、説明の必要もあるまい? 今回の件に関してはわたしの個人資産から商会に補填するようにしたまえ。それで、問題はなかろう?」
ロシェはすぐに頭を働かせて、今回の件を最小の傷で収めるための案をすぐさまハビエルに提示していた。
だが、ハビエルはロシェの提示した案を拒否するように首を振る。
「父上は常に私におっしゃられているではないですか、『約束を違えた相手を信用するな』と。今回の件は私の頭越しに行われたことで、父上が引退される際に約束された『商会経営はお前に任せる』との言葉を違えておられます」
常々、父であるロシェが引退しているにも関わらず、自分の頭越しに話を進めることに、いら立ちを感じていたハビエルは、今回の件を契機に父親の商会への影響力を削減しようと考えていた。
「経営はお前に任せておるではないか。お前の頭越しに決まる案件は、私の個人的繋がりで決まっておるものだ。商会にとっても必要な仕事なのだぞ」
「それも理解しておりますが、少々、その頻度が高すぎるのです。それに、私が把握できない資金の流れを作られるのも、職員に対して申し開きができないので自重して頂きたい」
「ハビエル兄さん……それは、父上に対して言い過ぎでは?」
父子の対立の根深さを察したルイーズが、間に入り、二人の仲を取り持とうとする。
だが、ハビエルはルイーズのそんな言葉も苛立たしく感じていた。
「ルイーズ! お前はだまっていろ。これは私と父上の話だ。お前もテルジアン家の者なら、自身の身の振り方をキチンと考えておけ」
「ハビエル兄さん……」
長男であるハビエルはテルジアン家唯一の男子であり、すでに半ば家を継いだ形であるため、ハビエルがその気になれば、ルイーズの身はどこかの大貴族に妻妾として売られる可能性も宿しているのだ。
「ハビエル。わたしは商会の会頭職はお前に譲ったが、テルジアン家の家長であることを止めたつもりはない。ルイーズの件はわたしはキチンと処理をするので、口を挟むな」
「く、父上はいつもルイーズに甘い。よろしいでしょう。ルイーズの身柄は父上にお任せします。ですが、商会の方は今後、必ず私に話を通してから動いてもらいたい。それが、できないのであれば、商会の名誉顧問を辞任していただきたい。これは、私個人の願いではなく、テルジアン商会全体の総意だと受け止めてください」
ハビエルは勤めて冷静さを装おうとしているが、長年の間溜まった鬱積は、彼の腹の中で大きく炎を上げて燃え盛り、その増悪の炎は危機迫る顔となって父であるロシェと対面していた。
そんな息子の顔から、増悪の深さを知ったロシェは、しばらく口を閉ざし、黙考する。
「……分かった。ハビエルの忠告に従おう。だが、この件でルイーズには非はないので、これ以上の追求をせぬように」
「父上……」
「承知しました。今後は商会の運営に口を出されるときは私をお通じくださいますよう、お願い申し上げます」
ハビエルは、長年頭を抑えつけていた父であるロシェから、経営の自由をもぎ取ったことで、満足を感じさせる顔に変化していた。
「ハビエル、お前も成長したな……。それでこそ、テルジアン家の人間だ」
「これでも、父上の息子ですからな。それでは、私はこれで失礼させてもらいます」
勝利を確信したハビエルは、恭しく一礼をすると、書斎から立ち去っていった。
室内に残ったロシェとルイーズの間に気まずい沈黙が流れていく。
「父上……私のため、すみません……」
「アレはわたしに似すぎておるからな。よもや、これほど早く動くとは見誤っていたのは、わたしの眼も衰えたということだ」
ロシェは、書斎の机の上に置かれた魔石を手に取ると、何事もなかったように磨き始めた。
その姿は、一代で大商会を築き上げた男の物とは思えぬ、寂しげな姿である。
「ルイーズ……お前はこの家を出た方がいいかもしれん。アレは、きっとお前を高く売り飛ばす気でいる。わたしが健在なうちに家を出た方がいいかもしれんな。イェスタ君のところに行きたいのだろう?」
「ですが……父上をこのまま、放っては……。それにマルセロ猟団長にも身の振り方を相談しなければならないので、早急には……」
「今回の件で、わたしの力は大幅に弱まる。マルセロ殿とよく話し合ってくれ。わたしもお前の身を固めさせようと思っていたが、こういった事態に陥っては、お前が政略結婚の道具として使われる可能性も高い。それはわたしの意に反することなのだ。ならば、いっそイェスタ君にくれてやった方がわたしの気も紛れるという物だ」
「そんなことをすれば、父上は本当に商会での実権失ってしまわれます」
「構わんよ。こうなっては本当に余生を過ごすしかない。お前は家に縛られない人生を送りなさい」
「いえ、私は父上をお守りいたします」
自分の願い出た事で、父親が商会での力を失う羽目に陥ったことを心苦しく思い、このままの状態でイェスタの下へ走るのは、とても選べる選択肢ではなかった。
この日起きた、テルジアン商会内のクーデターにも等しい、ハビエルへの権力移譲は、この後、ルイーズを巻き込み、大きな問題へ発展していくことになるが、今はまだ誰も知らない。
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