第29話

 ―プリムローズの酒場―


 ガレシュタットの街中にあるプリムローズの酒場は、多くの客が集まり、人々が楽しそうな顔で、酒を浴びるように飲み、騒ぎ合っていた。


 今宵は、討伐遠征から帰還したイェスタたちが主役の祝勝会が開かれており、開幕週に中型凶竜である睡冠凶竜インドスクスを二頭も狩ったことで、三季連続の最下位を詰っていた住民たちの見る眼も激変していた。


 昨季、辺境の狩猟者フロンティア・ハンターが狩った中型凶竜は五頭であるが、難度の低めである種類が多くを占めていたのだ。


 だが、今回は中型凶竜でも難度の高い睡冠凶竜インドスクスを二頭も狩ったことで、街の人が辺境の狩猟者フロンティア・ハンターの実力を再評価していた。


 現金なものだと言いたいところだが、都市に所属する猟団が出す狩猟成果が、都市開発に直結することを皆が知っているため、住民たちは猟団の成果に敏感に反応を示すのである。


 所属の猟団が活躍できず、開発資金が先細れば、城壁の修復すらままならず、王国から廃棄都市命令を受ければ、それは凶竜の闊歩するこの世界では死刑宣告に等しいことになる。


 なので、住民たちは自らの生活を守るために猟団を必死に応援するのだ。


 だから、猟団が大きな成果を上げた時は、街をあげてのお祭り騒ぎにもなるし、狩猟者の栄誉ハンターズ・オナーが自分たちの所属都市の猟団から出れば、歓喜に沸くパレードすら行われるのである。


 そんなお祭り騒ぎの中で、レクは一人カウンターでプリローズ相手にくだを巻いていた。


「それにしても、二頭ともノエルに成果を持って行かれるとは……ボクもまだまだ詰めが甘いか……」


 二頭目の成果を自分で得ようと、頑張ったレクであったが、その日、絶好調になっていたノエルの矢が二頭目の脳髄も綺麗に撃ち抜いて絶命させたため、睡冠凶竜インドスクスの狩猟成果は二頭ともノエルに判定が下っていたのだ。


「まぁ、そう言うな。レクは皆があっと驚く大物狩りビッグ・ゲーム・ハンティングをやってくれるんだろ? 俺はそう思ってるぞ」


 カウンター席で酒を飲んで、くだを巻いていたレクの背後に、久しぶりに酒を飲んで上機嫌なイェスタが立っていた。


 周りでは、猟団の狩猟成功を喜んでいる客たちが、大声を上げて酒を楽しんでおり、その喧騒は耳に痛いほどの声の大きさになっている。


「え? なんだって? みんなの声が大きくて聞こえないよ」


「レクなら大物狩りビッグ・ゲーム・ハンティングをやれるってことだ」


「ああ、言われなくてもそうするつもり。次はボクが成果を得るつもりさ。調子も戻りつつあるからね」


「尖角凶竜ゼインロングはレクに期待してるからな」


 イェスタはレクの肩を軽く叩くと、喧騒が渦巻く酒場の隅で、ポツンと酒を飲んでいるヴォルフを見つけ近づいていく。


「ヴォルフ! 飲んでるか?」


「え!? あっ!? 飲んでますよ」


 何やら思案していたようで、イェスタから急に声を掛けられたヴォルフは、手にしていた物を慌てて懐にしまおうとする。


 しかし、慌てていたため、ヴォルフの手にしていた物が床へと転がり落ちていった。


「ん? ヴォルフ、何か落としたぞ――」


 イェスタはヴォルフが床に落としたのを眼にした物を見た瞬間、動きが固まっていた。


 イェスタの眼に入った物は、かつて自分が手足を失う原因となった子供に与えたガル・ラーシャンの鱗のお守りであったからだ。


「お、おま、お前これをどこで!?」


「ああ!? すみません! すみません!! 言おうと思ってたんですけど、言いそびれてまして……僕は、あの時イェスタ猟団長に助けてもらった子供です……はい……その節はお世話になりました」


「ちょ、ま、待て!」


 イェスタは改めてヴォルフの顔をマジマジと見ていく。


 茶色い髪と黒くクリっとした目をしている気弱な青年は、確かにあの時に助けた少年の面影を残していた。


 目の前にいるヴォルフは、イェスタ自身がトップエースから凋落する遠因となった子供だと知ったイェスタが複雑な表情を浮かべている。


 彼があの場にいなければ、イェスタは未だに華麗なる獅子王スプレンディッド・ライオンキングのメンバーであり続けた可能性が高かったが、それはすでに架空の話であった。


「すみません……僕がいなければ……イェスタ猟団長は――」


「そうか……お前があの時の子供だったのか……狩猟と繁栄の神ヴリトラム様も残酷なことをしてくれるな」


「本当にすみません。あの後、保護された僕は保護施設で生活して、ハンター訓練校に入ったんです。僕の中でイェスタ猟団長は憧れの狩猟者ハンターです」


「そうか……。これは、本当に狩猟と繁栄の神ヴリトラム様からの思し召しかもしれんな」


 イェスタは酒を持ったまま、ガルラ―シャンのお守りを拾うと、ヴォルフの席の前に腰を掛ける。


「俺もお前と同じく凶竜に家族を皆殺しにされて、師匠であるマルセロに子供のように育ててもらって狩猟者ハンターになった。結構、俺とお前は似た者同士だな」


「あ、あの!! もしイェスタ猟団長がよろしければ、猟団長をされている間だけでも『師匠』と呼ばせてもらっていいですかっ!! 僕はイェスタ猟団長みたいな狩猟者ハンターになりたいんですっ!」


 普段は物静かなヴォルフが、イェスタに対して、大きな声で弟子入りを志願していた。


「お、おま、お前なぁ。俺は人に教えられるほどの実力はもうないぞ。精々、自分が発見した狩猟法を教えてやれるくらいだ」


「いえ、イェスタ猟団長は全然気づいてないかもしれませんけど、猟団長の的確な指摘で、ヨランデさんもノエルさんも僕も成長を実感できてるんです。きっと、僕はイェスタ猟団長に教えてもらえば、もっと成長できるはずなんです」


「成長できてるのは、お前等の元々の素質だよ。ローランドのおっさんはいい目を持っていた。けど、それを気付かせてやれる力がなかっただけで、俺はそのアドバイスをしてやってるだけだ。俺よりもっと優れた狩猟者ハンターは幾らでもいるし、師匠とする人物は慎重に選ばねえと」


「僕の師匠はイェスタ猟団長以外考えられません。お願いです。任期中だけでもいいんで、僕の『師匠』になってください!! お願いします」


 ヴォルフが半分泣き出しそうな顔で、イェスタに師匠になってくれるように懇願してきた。


 狩猟者ハンター間における師弟関係は、経験によって培った知識、技能などを伝授する関係上、親子よりも深い絆であり、師匠は弟子について一切の生殺与奪権を持っていると言っても過言ではない力関係なのであった。


 イェスタの場合も師匠であるマルセロが猟団追放を申し渡したため、師弟関係を知っていた猟団のメンバーたちは、誰一人としてマルセロに、イェスタ追放を再考するように進言できなかったことも師弟関係の厳しさを現わす一例であったのだ。


「俺みたいなポンコツを師匠として仰いだら、お前の狩猟者ハンター人生は終わったも同然だぞ。悪い事は言わねぇから、考え直せ」


「嫌です。僕の師匠はイェスタ猟団長にやって欲しいんです」


 尚も引き下がらないヴォルフに対し、イェスタの中にこみ上げる不可思議な感情が発生していた。


 この猟団を率いるようになり、数ヵ月であるが、その短い期間の中でも人を成長させることに喜びを見出す自分自身がいたのだ。


 一狩猟者ハンターとして、またフリーハンターとして活動していた時には、まったく感じ取れなかった感覚だが、辺境の狩猟者フロンティア・ハンターの猟団長になり、メンバーが徐々に成長していく姿を実感したことで、自らの中に新たな欲が湧き上がるのが感じられるようになっていた。


 その感情は、『メンバーを狩猟者ハンターとして一人前にしてやりたい』という欲求であり、メンバーが応えて成長を見せてくれた時は、どんな高難度の凶竜を倒した時よりも嬉しい気持ちを感じていたのだ。


「…………本当に俺を師匠にするつもりか?」


「はい、嫌だと言われても、僕はイェスタ猟団長を師匠として付き従います」


 ――喧騒が冷めやらぬ酒場の中で、イェスタとヴォルフの二人の間にだけ、無音の世界が形成されたように雑音が掻き消えていく。


 自らの欲求に気付いたイェスタは、ヴォルフを弟子として扱うべきか、逡巡を繰り返し、やがて決意したように手にしていた酒杯をヴォルフの前に突き出す。


 意表を突かれたヴォルフは目を点にして、イェスタの方を見ていた。


「ヴォルフ、酒杯を出せ。師弟の契りの酒だ」


「は、はい」


 イェスタはテーブルに置かれていたワインを両方の酒杯に注ぐと、自分の酒杯とヴォルフの酒杯を交換するように促す。


 戸惑っていたヴォルフであったが、イェスタが師匠になってくれると理解したことで、笑顔を弾ませて、差し出された酒杯と自らの酒杯を取り替えた。


「こ、これから、僕の師匠としてお願いします!!」


「おう、俺の弟子になったことを後悔するなよ」


 酒杯を取り替え、それぞれが注がれた酒を飲み下していった。


 この時より、後に史上最強の狩猟者ハンターと呼ばれるようになるヴォルフ・シュバイガーは、師匠であり、全てにおいて影響を受けたイェスタに正式に弟子入りすることになった。


 師匠であるイェスタの持つ五季連続の狩猟者の栄誉ハンターズ・オナーの連続受賞を超える記録を作るのは、なお十年ほどの時間を要するが、辺境にて結ばれた師弟の絆は生涯変わらずに続けられていった。

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