第15話

 ―王都、テルジアン家の書斎―

 

 イェスタへの援助を内緒で行おうと決意したルイーズは、父親が家にいる際に、よく籠っている書斎のドアをノックしていた。


「誰だい?」


「ルイーズです。ちょっとご相談したいことが……」


「入りたまえ」


 父親であるロシェは、まだ起きていたようだ。


 ルイーズの父であるロシェは、一代で中堅商会だったテルジアン家を王都でも指折りの大商会にのし上げた人物であり、凶竜学者としても王都で名を知られる学者肌の人物でもあった。


 書斎の中に入ったルイーズは、机に座って魔石を眺めていたロシェの前にあるソファーに座る。


「どうした? お前が夜更けにわたしの書斎にくるとは珍しい。何か頼み事か?」


 ロシェは手にしていた、こぶし大の魔石を布で磨き上げながら、ソファーへ座るルイーズの方へ視線を送ってきた。


 彼は半生を商売に捧げてきた男であり、人が発する欲望の匂いを嗅ぎ分け、必要とする物を提供するという異能を発揮して、商会を大きくしてきたため、人間観察のプロとも言えた。


 そんなロシェが、娘であるルイーズの様子を見ただけで、自分に頼みごとがあるようだと見抜いていた。


「さすが、お父様ですね。話が早い。実は一つ買ってもらいたい物がありまして……」


「お前が、わたしにねだるとは珍しい。普段は自分でやり繰りして買っておるではないか。そんなに希少な物か?」


「ええ。私にとっても命にも代えがたいほど希少です。すべてを投げ売っても手に入れたいと……」


「イェスタ君か?」


 手に持った魔石を磨く手を止めたロシェが、娘の顔色を窺うように喋りかける。


 父親に欲しいものを見抜かれたルイーズは、努めて冷静さを装いながらも顔の火照りが抑えられなかった。


「お父様には叶いませんわ。何でも見抜かれてしまわれる」


「すまんな。職業病と思ってくれ。最近、彼が王都のハンターギルドに現れて、三部の最下位猟団の猟団長に就任したと聞こえてきたので、きっとルイーズが来ると思っていたところだった。で、彼の所属する猟団でも買って欲しいのかね?」


 自らの情報網で捉えた噂だけで、娘の欲しい物を見抜き、自分にねだりに来るであろうことまで、ロシェは見抜いていたようだ。


「……はい。お父様のおっしゃる通りです。このままだと、来季の途中で辺境の狩猟者フロンティア・ハンターは解散してしまいます。それを回避したいのです。せめて、イェスタが猟団長を務めている間だけでも、財務が持つようにしたいのです」


「調べたら、あの猟団の借金は五億ガルドだぞ? 個人がポンと出せる金額ではないと思うが?」


 娘の頼みを聞いたロシェは、手にした魔石を机の上に置くと、そのまま机の上で肘杖を突き、組んだ手の上に顎を乗せていた。


 テルジアン家の運営する商会からしてみれば、五億ガルドという額はそこまで大変な額ではないが、それは、商会規模での話で、個人で出資するに当たっては巨額とも言える額なのだ。

 

 父親の眼が、現役だった頃の商売人の視線となって向けられ、ルイーズは途端に居心地の悪さを感じ始める。


「分かっております。個人では簡単に用意できるお金ではないことは重々理解しております。ですから、お父様にお願いをしに参りました」


「わたしが五億ガルドをポンと出すと思ったのかね?」


 ロシェは、今まで末の娘ということで、ルイーズを甘やかして、自由に生活させてきていたが、最近になり副会頭をしていた息子に商会を譲ったことで、末の娘であるルイーズの身を固めさせようとも思い始めていた。


 そのため、未だにイェスタへの思慕を捨て切れない、ルイーズに対する対処を考えあぐねていたのだ。


「彼にはそれだけの価値があると思ってます。マルセロ猟団長の跡を継ぐのに、ふさわしいのは彼しかいない」


「五億ガルド以上の価値がイェスタ君にあると、ルイーズは言うのかい?」


「はい。彼にはあります」


 組んだ手の上に顔を乗せたまま、瞑目するロシェは無言を貫き、書斎には重い空気が漂い始めた。


「――ルイーズ。ならば担保を出しなさい。さすがにわたしも五億ガルドを出してやることは無理だ」


「担保!?」


「ああ、個人で出せない以上、五億ガルドは商会経由の出資という形にするのがいいだろう? そのための担保だ」


 ロシェは商談ともいうべき厳しさで、娘のルイーズに五億ガルドの出資の担保を出すように求めた。


「お前が、イェスタ君にご執心だということは知っている。だが、彼はわたしが見たところ五億ガルドの出資に見合う男では――」


「分かりました。担保は私自身でどうでしょう。出資された五億ガルドが回収不能だと思われた時点で、私の身を使い、お父様が債権を回収されればよろしいかと。その際、どのような扱いを受けようとも文句は言いませぬ」


「――本当かね? 本当にそれでいいのかね?」


「ええ、よろしいですとも。私はイェスタが、きっとそれ以上の結果をもたらしてくれることを信じておりますから」


 ロシェの娘であるルイーズも、また華麗なる獅子王スプレンディッド・ライオンキングの財務担当者として、何度もスポンサーとの交渉を重ねてきている人物のため、父親の要望していることが薄っすらとであるが理解できていた。


 テルジアン家で唯一、独身である自分の身を固めさせたい一心で、今回の担保の件を持ち出してきたのだとルイーズは思っていた。


 そのため、父親が欲する言葉を五億ガルドの担保として切り出すことで、イェスタの率いる猟団への出資金を賄う気でいるのだ。


「よかろう。ルイーズの見込んだイェスタ君が、来季、三部で最高の狩猟成績をおさめたならば、担保とした言葉をルイーズに返すことにしよう。だが、取れなければ、わたしに従ってもらうぞ。それでいいね?」


 ロシェは瞑目していた目を見開くと、ソファーに座るルイーズに出資金の回収期限を宣告してきた。


 父親の言葉にルイーズも負けじと視線を返して、決意したように頷く。


「ありがとうございます。きっと、彼は結果を残してくれるはずだと、私は信じております」


 ルイーズはそれだけ言うと、一礼してロシェの書斎から出ていった。


 その後、来季に向けてのスポンサー集めをしていたローランドのもとに、テルジアン家とは関係が一切ないと思われる新興商会から、五億ガルドに及ぶ、大規模出資がなされることになった。


 その連絡がもたらされたことで、スポンサー集めに奔走していたローランドは、運営資金の枯渇が回避できる見通しが立ったことに驚喜した。


 そして、新たにスポンサーとなった商会の代表者との面会を行ったが、相手方から提示された『来季、三部最高の狩猟成績達成』という条件に悩むことになる。


 だが、受けなければ途中解散の選択肢しか残されていないことは、ローランドが一番よく知っていたので、藁にもすがる思いで受諾することにした。


 しかし、この新規スポンサーから提示された出資契約条件は、ローランドの一存で猟団長であるイェスタにすら秘匿されることとなり、このことが後に大問題に発展することを、この時は誰も知る由もなかった。

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