第3話
「魔女ってこんなにたくさんいたのね」
ユアリアスは肩に乗せたベルノリアスに声をかけた。昨日はほとんど一日中帽子の中に隠れていてもらったベルノリアスだが、今日は隠す必要も、会話を控える必要もない。
ユアリアスたちは、すでに空の中にいた。
右も左も前も後ろも、上や下にまで箒が浮かんでいる。当然、それにまたがっているのは皆、魔女ということになる。
「そうだね。ざっと見た感じでも八十人はいる。魔女だらけだ」
ベルノリアスもまた、一日ぶりに感じる空の風に目を細めていた。
口では大人ぶったことを言っていても、やはりずっと黙っているのは気が疲れたのだろう。
ユアリアスにとって、魔女というのはお婆様のことであり、自分自身のことだった。世界は森の中と、たまに食料を買出しに行く村とで完結していた。
精霊の気配がかすかにしか存在しない、石造りの家が立ち並ぶ町。その町で暮らす大勢の人。見渡すほどに浮かんでいる魔女。
どれもユアリアスの常識の中には存在しないものばかりだった。それは少しばかり怖くもあったが、それ以上に、胸がどきどきした。
「ねえ、ねえ、ユア」
「なあに、ベル。弱気な声を出して」
いつも何かにつけてユアリアスの保護者という顔をしたがるベルノリアスにしては、珍しい声の調子だった。
「もしかして、僕、浮いてるかな」
たしかにユアリアスたちは宙に浮いているが、この場合、そういう意味ではないだろう。周りを見渡しても、蛙の使い魔はベルノリアスだけだ。
他の魔女たちが連れているのは鴉や梟、珍しいところでは鷹などもいるが、要約してしまえば鳥の使い魔しかいない。
先ほどからこちらを向く視線を感じていたのは、ユアリアスだけの気のせいではなかったようだ。
「大丈夫、私だって浮いてるわよ。やっぱり若すぎるみたい。昨日の夜に女将さんが話していた、徒弟制度っていうやつだよね」
「かもね。お婆様はこのことを知っていたのかな。なんだか、僕たちの知っている魔女の常識は全然通じないみたいだ」
ベルノリアスはやはりどこか不安気だ。調子がいいときはどこまでも気が大きくなる癖に、こういうときはとんと頼りにならない。ユアリアスは安心させるように笑って見せた。
「いいじゃない。知らないことがたくさんって、修行を始めたばかりの頃みたいで懐かしいわ。まだまだ学ぶことが山盛りあるのよ。なんだかどきどきしない?」
ユアリアスの言葉に対する反応は、ベルノリアスからではなく、頭の上からあった。昨日も聞いた、ひっひっひという笑い声が降ってくる。
「いいねえ。やっぱりあんたは見所がある。それでこそウィルスカの養い子だよ」
声の方向を振り仰いだユアリアスは、受付にいた親切な老魔女を見た。しかし、その表情には覇気が溢れ、昨日より十も若返って見える。
「お婆さん! もしかして、参加なさるんですか?」
「なさるとも。あんたに会ったらね、あたしも久しぶりに飛びたくなったのさ」
老魔女は、言いながらするりと高度を下げ、ユアリアスのすぐ隣に並んだ。
ただそれだけで、老魔女の卓越した飛行技術が伺えた。これだけ接近しているのに、ユアリアスには老魔女からの魔力の干渉がほとんど感じられない。流動する魔力を宙に浮く最小限に抑え、なおかつ体からも箒からもその魔力を放さないよう制御する技術がなければこんな芸当はできない。
どうやら老魔女も同じことをユアリアスから感じ取ったようだった。ユアリアスと合わせた目が、にっと笑う。
「さあ、そろそろ競技が始まるね」
言葉と共に、老魔女が視線を前方へ投げた。つられて、ユアリアスも前を向く。
視線の先に、係員という腕章をつけた魔女が浮いていた。青空によく映える、大きな橙色の旗を持っている。あれが振られた時が開始の合図だ。
「その前に、昨日の質問に答えておこうかね」
そう言うと、老魔女は箒の柄の先端を基点に、くるりと転回して、ユアリアスと正面から向き合った。なんでもない動きの一つ一つが、洗練された技術を感じさせる。
『我の名は大輪の花、マゴーラスカ。黒い山で満月、マギスベリアの教えを受け、小さな花片、ラスタトルクと契約を交わした。我の朋友、マギウィルスカの子との対話を望む。
――名を持って応えよ』
老魔女、マゴーラスカの口から流れ出た古代語に、ユアリアスの背筋がぴしりと伸びた。
マゴーラスカの表情は真剣で、その肩に乗る鴉、ラスタトルクの視線はユアリアスを射抜くかのようだった。
ユアリアスは声が震えないよう腹に力を込めて、名を返した。
『我の名は起きて見る夢、ユアリアス。惑う森で大魔女、マギウィルスカの子となり、空想の時間、ベルノリアスと誼を交わした。
――名を持って応える。マゴーラスカに教えを請う』
一息で言い切り、ユアリアスはマゴーラスカの目を睨む。肩の上でベルノリアスが頬袋を膨らませて威嚇するのが分かった。
これは正式な魔術勝負の申し入れだ。だが、貴族たちが行う決闘よりは、試験のような意味合いの方が強い。
魔術勝負の形式は二つある。
今しがたマゴーラスカが行った、格上の者から格下の者へ、技術を見せろというものが一つ。
もう一つは、格下の者から格上の者へ、自分の技術を認めろというものだ。
魔女にとっての勝負とは、格付けをするために行うもの。故に、実力の大きく離れた者に挑むのは最大の侮辱となる。
そして格上から格下への魔術勝負の申し入れは、名誉以外の何ものでもない。
ユアリアスは、はっきりと気持ちが高揚するのを自覚した。
「いい目だ。起きて見る夢、ね。ウィルスカも洒落た名前をつけたじゃないか」
ユアリアスが持てる限りの気迫をぶつけたというのに、マゴーラスカは小さく笑って背を向けた。胆力の差が段違いだ。
「失望させるんじゃないよ」
肩越しに残したマゴーラスカの声は、震えが来るほど強い。ユアリアスの視線を受け流して、マゴーラスカは元いた高さまで昇っていった。
安心して力を抜きたがる体を叱りつけて、ユアリアスは緊張を保った。安心するというのは気持ちで負けている証拠だ。そんな姿を見せては、早々にマゴーラスカを失望させてしまうだろう。
そんなユアリアスの肩の上で、ベルノリアスがぽつりと呟いた。
「誰もこっちを見やしないんだね」
それにはユアリアスも気づいていた。十三歳の小娘に、熟練した老魔女が勝負を申し込む。異常とも言えるその光景に驚きの反応を見せた者は、周りに浮いている魔女の中に一人もいなかった。
魔術勝負の作法を理解していないのだ。もしかしたら、古代語さえも。
「マゴーラスカさんがわたしを見て嬉しそうだった理由、ちょっと分かったかも」
「たぶん五分の一も理解できてやしないよ。それはあの人の人生が詰まった感情だ」
「……うん」
ユアリアスは頷き、真っ直ぐ顔を上げた。
ちょうど、係の魔女が、大きく旗を振りかぶったところだった。
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