無許可子会社

 巽興業に通告して立ち入り検査を実施した。県連盟役員という立場の会社だったので県庁の小糸に連絡して立ち会ってもらうことにした。許可取消しの権限は県にあったので犬咬市が単独で立ち入ったことが後でわかるとまずかった。

 「伊刈さんほんとに巽に立ち入りですか」小糸は耳を疑う様子で電話口に出た。

 「なんかあるのか。別に役員だからって遠慮する理由はないだろう」

 「そうじゃないですよ。森村社長が現職の県議だってこと知らないんですか」

 「選挙に出たのは知ってるけど落選しただろう」

 「当選者が選挙違反で失格したから次点繰上げ当選したんですよ」

 「なんだそれ」

 もともとあまり県議会に興味がなかった伊刈はうっかりしていた。県内では土砂採取業者が政治家になるのは珍しいことではなかった。産廃業者の当選は初めてだった。しかも森村社長は帰化しているとはいえもともと日本人ではなかった。

 「もう検査に行くと通告しちゃったし、いまさら中止はできないよ」

 「わかりました。とにかく連絡してくれてよかったですよ」

 「おまえが来るのか」

 「たぶん、そうなりますね」

 巽興業は焼却炉と安定型最終処分場を組み合わせた県内でも有数の総合処理施設だった。山間にある処分場は周囲の景観を壊さないように道路際に生えていた杉や樅の巨木を伐採せずに保存し、進入路を長く取ることで県道から施設が全く見えないようになっていた。そのため入口だけを見たらゴルフ場と間違うほどだった。実はゴルフ場開発くずれの土地を競売で安く入手してクラブハウスの予定地として造成された平地に焼却炉を建てただけであり、意図して景観に配慮した開発をしたわけではなかった。処分場には似つかわしくない景観配慮設計が今や大きなセールスポイントになっていた。

 伊刈は最終処分場から先に検査した。県庁の立会人は小糸主査と上司の二俣副主幹の二人だった。最終処分場は百万立方メートル級で、さらに倍になる拡張計画もあった。このクラスになると当然のように事務所前のゲートに大型のトラックスケールを備え、搬入される産廃を容積と重量の両面から管理していた。広大な処分場の縁に立つなり伊刈は一直線にどこかを目指して歩き始めた。

 「班長、どうしたんですか?」後を追いながら遠鐘が聞いた。長嶋と喜多も後から追ってきた。

 「あそこ周囲よりちょっと盛り上がっているだろう」伊刈が言った。

 「はい」遠鐘が答えた。

 「どうしてだと思う?」

 「さあ。地層だったら盛り上がってるとこは水分が多かったりしますが」

 「さすが地質学者だな。処分場も同じだよ。さっきカラスが飛び立っただろう。きっとカラスの好きなものがあるんだ」

 「生ゴミですか」

 「たとえば食品が付着したプラスチックとかね」

 「当たってたらすごいですね」

 伊刈が目指した場所は処分場のど真ん中だった。

 「これだな。スーパーの食品トレイだ。これに生ゴミがついてたからカラスが来たんだ。盛り上がって見えたのは踏み固めた後でリバウンドしたせいだ」

 「すごいビンゴでしたね。木くずもちょっと気になりますね」遠鐘が目をしばだたいた。

 「まあこの程度なら問題というほどじゃないね。でも今日はこれが目的じゃないから」伊刈と遠鐘の会話を案内役の沼田工場長が渋い顔で聞いていた。

 「もうここは満杯ですね。拡張計画はどこまで進みましたか?」伊刈は埋立物の問題には触れずに沼田に聞いた。

 「やっと事前協議が終わって申請書を受け付けていただいた段階です。向こうへ広げます」

 「ここなら無限に広げられますね」

 「許可さえいただければです。年々事前協議が難しくなるものですから」

 「地元住民が反対してるんですか」

 「幸いこの地域には住民がそもそもほとんどいません。海沿いの住民がこっちの方まで来て反対しております。ゴミならなんでも反対で最終処分場も不法投棄現場も同列ですから始末に終えません」

 「最終処分場の点検は終わりです。焼却炉はどこですか」

 「坂の上です。歩いては遠いので車で移動してください」

 沼田工場長の先導で車は急な坂道を登って焼却炉へと向かった。木立に囲まれた自然の中にぽっかりと焼却場が拓かれていた。

 「本格的なストーカー炉ですね」遠鐘が言った。ストーカー炉は大型焼却炉ではもっともコストパフォーマンスが高く自治体の清掃工場では百トン~三百トン級のストーカー炉をよく見かける。ストーカーとは火格子のことで可動式ストーカー炉では炉床が階段になっていて各階段が引き出しのように前後に動き焼却物を少しずつ奥へと送り出していくことで連続焼却させる。大型の連続炉にはほかにロータリーキルン(回転炉)や溶融炉があるが価格が高い。

 「もうこれも古くなりました。こっちも更新を計画中です」

 「社長は設備投資に熱心なのですか」

 「ええとてもこだわる方です。機械が好きなんですね」

 「焼却炉の灰を見せてもらえますか」

 「わかりました」沼田工場長は焼却炉の裏に周りドラム缶に詰めて保管していた焼却灰を示した。

 「ちょっと黒いですか」遠鐘が指摘した。

 「水をかけて消しておりますので黒くなってしまいます」

 「まだ燃えているうちに水をかけてしまうんですか」

 「全部燃えきるのを待っていたら一昼夜たっても出せません」

 沼田が隠さすに答えた。

 ストーカー炉の検査を終えて事務棟に入ると辻専務が待っていた。森村社長は不在で営業本部を兼ねた都内の本社にいるということだった。会議室に陣取って伊刈一流の帳簿検査が始まった。辻は書類管理には自信があるのか決算書、総勘定元帳、領収書など、請われるままにどんな書類でも原本で提示した。マニフェスト情報はすべてコンピュータに入力されていて積み上げ計算をする手間がなかった。書類管理の面では模範的な業者だった。それでも数千枚あるマニフェストの中で入力漏れが三枚発見された。

 「売上高と処理能力は見事にバランスしていますね。ですが逆に言うともういっぱいいっぱいって感じです。これ以上業績を伸ばすには施設を拡張するしかありませんね。それで中間でも最終でも新規設備の申請をされているんですね」

 「それが会計書類からわかるのですか」辻は感心したように言った。

 「喜多さん帳簿はどんな感じだったかな」

 「マニフェスト代という記載があったんですがなんのことでしょう」

 「専務さんマニフェスト代とはなんですか」

 「ああこれですか。これはたぶんマニフェストの用紙を譲ってやったのでしょう。マニフェストは百枚綴りで売っておりまして一枚二枚という単位で買えませんから小口の業者には不便なんです」

 「しかし五千円というのは用紙代としては高くはないですか。何枚分なんでしょうか」

 「それはちょっとこの帳簿からはわかりかねます」辻は渋い顔をした。

 「スタンプ代というのもあります」喜多がまた指摘した。

 「専務さんスタンプ代とはなんですか。スタンプを売ったんですか」

 「これはですねえ」辻専務は口ごもった。

 「いわゆる判子代ですよね」

 「いやそんなことはないです」

 「判子代ってなんすか」長嶋が小声で聞いた。

 「マニフェストにスタンプだけ押してあげたんでしょう」

 「そんなことは絶対にないです」辻は額の汗をぬぐった。

 「遠鐘さんは何かなかったですか」伊刈は黙々とマニフェストの点検を続けている遠鐘に声をかけた。

 「不二重電のマニフェストは内容的にここでは処理できない廃棄物じゃないでしょうか」

 「鋭いなあ。ちょっと見せて」伊刈は遠鐘が付箋したマニフェストを拾い上げた。「専務さんどうですか」

 「お調べしてお答えいたします」

 「それまで待てません。今、不二重電に電話してみます」伊刈は辻専務の目の前でマニフェストに書かれた番号に電話した。

 「ああなるほどそれに間違いないですか。あとでもう一度ちゃんと確認してもらえますか」

 不二重電の担当者は、巽興業と取引関係がないと電話口で言明した。

 「専務さん、このマニフェストは実態がないかもしれませんよ」

 「そんなことはありえません」

 「不二重電関係の契約書とマニフェストを全部揃えてください」

 「お調べしてお届けします」

 「今すぐにお願いします」

 「はあそうですか」

 「不二重電から受託した化学系廃棄物はこちらでは処理できないでしょうから、どこかに再委託されていますよね。その書類もお願いします」

 「わかりました」

 辻は三十分ほど席を外して書類を持って戻ってきた。伊刈は書類を受け取るとすぐに書類に書かれた委託先の処分場に電話をかけた。だが電話はつながらなかった。

 「この会社に心当たりありますか」

 辻は無言で首を振った。書類に書かれた会社がそもそも存在していないことに伊刈に気付かれやしないかと気が気ではなかった。

 「専務、実態のない会社との架空取引ってことになると廃棄物処理法違反だけじゃなく」

 「なんでしょうか」辻の顔が曇った。

 「架空取引だとしたら脱税か、もしくは経理担当者の横領ですよ。いま確認していただいただけでも取引の総額は九百万円ですね」

 「そんなめっそうもない。当社に限って絶対にそんなことはございませんので」帳簿管理に自信があったはずの辻専務は想像を遥かに超えた伊刈の厳しい検査にたじたじだった。伊刈は指摘した問題について社内調査して報告するように辻専務に指示して検査を終えた。

 翌日、辻専務が青ざめた顔で環境事務所の伊刈を訪ねてきた。辻は指摘された不二重電の書類がすべて架空だったことを認め、その総額は一千万円に上ると説明した。

 「脱税ということですか」伊刈は単刀直入に指摘した。

 「当時の経理担当が辞めてしまったのでなんとも」辻は苦渋の表情で退職した職員に責任転嫁した。

 「それじゃ横領ってことですね。どっちにせよ修正申告はしたほうがいいでしょうね」伊刈は済ました顔で辻を見下ろした。

 形勢は伊刈のワンサイドゲームだった。それでもまだ伊刈はとどめの一撃を加えるのを躊躇していた。

 「専務さん、巽興業にはもう一つ、一原に事業場があるんでしたね」

 「ええ第二工場がございまして、パチンコ台のリサイクルなどをやっております」

 「そちらの点検もしてかまいませんか」

 「もちろん、かまいませんよ」辻は伊刈のエンドレスの追求に疲れきった表情で帰っていった。

 山間にあった本社工場とはうって変わって、一原の第二工場は臨海の埋立地にあった。パチンコ台を分解・リサイクルする工場で、台に使われている木くずを燃やすための小さなバッチ式焼却炉があった。管理状態は悪くなかった。しかし、伊刈は最初からなにか違和感を覚えていた。バッチ式焼却炉は連続焼却ができない燃やし切りの焼却炉だ。灰出しのために炉を停めなければならないので運転効率が悪い。それでも構造が単純で安価なので小型焼却炉の大半はバッチ式である。

 「門扉にある巽エンタープライズという社名はなんですか」伊刈が気になっていたのは社名だった。

 「リサイクル事業のための子会社ですよ」

 「巽興業とは別法人になっているということですか」

 「そうですが」

 「巽エンタープライズの帳簿を拝見していいですか。それからマニフェストも」

 「いいですよ」

 伊刈は緊張した顔で喜多を見た。「喜多さん、ここの施設がどっちの会社の名義になってるか調べてみて。それから子会社が直接受注している産廃がないかどうかも確認して」

 「わかりました」

 「僕は何を調べたらいいですか」遠鐘が言った。

 「マニフェストを分類して集計してもらえないかな。本社からの受注と他社からの受注、委託書類も本社分と他社分を分類してください」

 「わかりました」

 「自分も手伝います」長嶋が言った。

 「遠鐘さんと一緒にマニフェストの集計をお願いします。僕は喜多さんの帳簿検査を手伝います」

 「あの何か問題がありますか」伊刈のチームが本格的な帳簿検査を始めたのを見て辻は青ざめながら聞いた。

 「専務さんちょっと外していただけませんか」

 「そうですか」辻は渋々退室した。

 伊刈はすぐに県庁の小糸に電話した。「小糸さん、いま現場に来て調べてるとこだなんだけど巽興業の小会社の巽エンタープライズが産廃の許可がないのに施設を巽エンタープライズ名義にして営業してるみたいなんだ。会計帳簿上では巽エンタープライズが本社や他社から産廃の処理を受注しているのにマニフェストではすべて本社が処分先になっている。許可がない会社じゃマニフェストを切れないからね」

 「つまりどういうことですか」

 「本社から無許可子会社への委託違反と再委託違反、子会社への許可の名義貸し、子会社のほうは無許可処理施設設置、無許可処分業、受託違反、さらにマニフェストの虚偽記載、ほとんど違反のデパート状態だね」

 「ほんとですか」

 「冗談でこんなこと言えないよ。県庁の権限だけど許可取消しは免れないだろう。場合によっては刑事告発もありえるな」

 「まずいですよ。現職の県議なんですよ」

 「とにかく検査結果をちゃんと出してから報告に行くよ」

 「伊刈さん、辻専務に今言ったこと指導される前に県庁に説明に来てもらってもいいですか。課長に報告しないと」

 「まあそうだろうな。県議に喧嘩を売ったら課長の出世の目はないかもな」

 「そういうことじゃないです。でも慎重にやらないと反撃されますよ。半端な会社じゃないんですから」

 「命あってのってことか」

 「そこまでは言わないです」

 「わかったよ」

 小糸の顔を立てて伊刈は講評をせずに巽エンタープライズを辞した。事務所に帰った伊刈が検査結果を報告すると仙道はにんまりした。

 「よし、ただちに許可取消を県庁に上申しろ」

 「報告はします。でもなんとなくムリな感じですよ」

 「どういうことだよ」

 「県庁次第ということです。いろいろ問題はありますが悪い会社じゃないですよ」

 「それだけ違反をやってれば悪いだろう」

 「重箱の隅をつつけばいろいろ粗はあります。産廃の処理はちゃんとやってます。不法投棄の常習ってわけじゃないです。あのレベルで許可を取消していたら産廃業者はなくなってしまいますよ」

 「おまえ県議だからって県庁に戻ったときのこと心配してんのか。見損なったぞ」

 「そうじゃないです。たぶん政治決着になるだろうって予感がしてるだけです。県庁には明日報告してきます。どっちへ転んでも市としてやるべきことはやっておきます」伊刈は考え込むように仙道の席から辞した。

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