狂犬篭絡

 「白石解体の勧告書を作れ」仙道は事務所に帰るなり伊刈に指示した。

 「その程度で効果ありますか」

 「出してみなけりゃわからんだろう」

 「まあそうですが、指導してますというアリバイ作りに終わりませんか」

 「つべこべ言わずに起案しろ。フォーラムの先生に指導すると約束したんだ。何かやらねえとまずいだろう」

 「わかりました」伊刈はダメモトと割り切って野焼き中止の勧告書を作成した。雛形があるので起案は簡単だった。一時間で勧告書ができた。所長印を押すのに必要な決裁印は仙道だけだった。

 「これでどうでしょうか」

 「内容はどうだっていいよ。所長印を押したら明日持っていけ」仙道は書類をろくに見もしないで決裁印を押した。

 「えっ僕一人ですか」

 「お前が適任だろう」

 「技監は行かれないんですか」

 「俺の手間をいちいちかけさせるな」

 「長嶋さんと一緒でもいいですか。狂犬病みたいなやつですから噛まれないともかぎりません」

 「いいよ二人で行ってこい」

 翌日、伊刈は勧告書を持って白石解体の事務所に向かった。事務所といっても単なる能島の自宅にすぎなかった。白石解体は法人名ではなく屋号にすぎないようだった。猫の額ほどの庭がついたありきたりの建売住宅の地味なたたずまいにちょっと拍子抜けがする思いだった。壁材の品質が悪いのか、それとも土地が湿気ているのか、新建材のあちこちに青黒い黴が浮いていた。玄関チャイムを鳴らすとグレーのジャージ姿の能島が寝起きの顔を出した。今日は仕事がなかったのか在宅していたのだ。散らかった子供の運動靴をよけながら半畳ほどの靴脱ぎに立った。能島の肩越しに所帯じみた感じの妻の姿が見えた。スペースがなかったので長嶋は玄関ドアを押さえたまま犬走りに立っていた。

 「あんだおまえら朝っぱらから」寝起きでも狂犬病は健在だった。それでも隣近所を気にしているのかいくらか声のトーンが低かった。

 「昨日はゆっくりお話できなかったので事務所へお伺いしました」

 「事務所? バカにしてんのか。おまえらに話すことなんかねえよ」

 「今日はお休みなんですね」

 「見てのとおりの不景気だよ」

 「廃材処理の規制が強化されてるのに解体費は建設不況で据え置きだし住宅の建替えも減ってるし大変ですね」

 「そんとおりだよ。このまんまじゃ商売替えしかねえな」伊刈の世間話に能島はなぜか乗ってきた。話は嫌いではなさそうだった。

 「野焼きもできなくてそのまま不法投棄することも増えてますよね。なのに国も環境団体も焼却ばかり槍玉にあげて不法投棄はあんまり騒がない」

 「不法投棄なら煙が出ないからな。俺も焼けないんならそうするしかねえかと思ってるよ」

 「施主や元請けのハウスメーカーはきちんと法規制を守れるだけの廃材処理費を負担しているのに途中に入った会社に野焼きや不法投棄を織り込んだ価格まで値切られてしまうと聞きますけどどうなんですか」

 「一社や二社が入るだけならなんとかまだ手元に残るんだけどよ、俺みたいな個人のばらし屋に来るまでには四社も間に入るんだ。それじゃもう逆立ちしたって滓も残らないね。やりたくて野焼きやってんじゃねえんだよ。それだって赤字かすかすなんだよ」

 「でももう野焼きは続けられませんよ。このあたりの解体屋さんもたいてい焼却炉か破砕機を買いましたよ」

 「ああわかってるよ。だけどよ何千万もするんだろう。それで元が取れると思うか。炉を買った連中は内緒でよその木くずを燃やしてんだ。それでいいのかよ」

 「それは無許可処分業になりますね。どこのことですか」

 「俺からは言えねえけど、あんたらもうわかってんだろう」

 「規制強化ばっかりで業界の実情にあった対策がないですからね」

 「そんとおりだよ。俺も窯(焼却炉)を買うかクラッシャー(破砕機)を買うか迷ってんだ。窯のほうが世話がねえんだけどよ、これからはリサイクルの時代なんだろう。せっかく窯をこさえても使えなくなるって聞くしなあ」

 「ところで昨日の状況はやっぱり度を越してるんで野焼きの中止をお願いする文書を作成したんですが受け取ってもらえますか」

 「受け取るとどうなんだよ」

 「どうもなりません。今日お聞きしたように能島さんもいろいろお考えになっているということを事務所に帰って記録しておきます」

 「なるほど受け取るだけってならかまわないよ。あんたらも仕事なんだし大変だとは思うよ。他人の土地にでたらめに投げるやつが増えてっからな。俺もあいつらには迷惑してんだ。やつらを捕まえてくれよな」意外なことに能島は文書をすんなり受け取った。

 「受領の印鑑をいただけますか。認印でも拇印でもいいです」

 「ちょっと待ってな」能島はいったん奥に入って印鑑を取ってきた。伊刈は控えの文書の空白にサインと受領印をもらった。

 「それじゃこれで今日は引き上げます。施設を買うときは相談してください」伊刈はそそくさと書類を鞄に閉まった。

 「班長、やりますね」長嶋が車に乗り込むなり言った。

 「は? どういうこと」

 「世間話で同情したようなことを言って騙しちゃいましたね。なかなかの詐欺師ですねえ」

 「それはちょっとひどいんじゃない。勧告書を受け取ってもらおうと必死だったのに」

 「あれでやめはしないでしょうね」

 「いややめるかもな。というかあいつ狂犬病ははったりでほんとはバカじゃない。それなりに何かたくらんでるよ。要注意だな」

 「そおっすか」

 「仲間にいろいろ聞いたり見積もりをとったりしてるような感じがしたな」

 「班長の勘は当たりますからね」長嶋も義務を果たしたのにほっとしたのかリラックスムードで車を事務所に向かわせた。

 「班長、技監からお電話です」運転中の長嶋が着信だけ見て伊刈に携帯を渡した。

 「何だろう」伊刈は携帯を受け取った。

 「西部事務所管内のフジシロ産業でチップ火災だってよ。六万リュウベだそうだ」

 「それじゃキング土木の倍ですね。まだ燃えてるんですか」

 「どんな様子かはわからん」

 「もうすぐ陽が暮れますね。ある程度鎮圧しておかないと大変ですよ」

 「悪いけど行ってみてくれないか。キング土木の経験が生かせるかもしれねえだろう」

 「わかりました。行ってみます」

 管外の現場だったが伊刈はフジシロ産業の火災現場に急行した。国道と県道が交差する大きなY字路に面した現場で交通量も多く周辺に民家も連たんしていた。

 「キング土木のときと同じですね班長」本格的に炎上してしまっているのか遠くからでも黒煙に火の粉が混ざるのが見えた。道路は大渋滞で車では近付けないので五百メートル手前でXトレールを乗り捨てて徒歩で現場に向かった。堆積した木くずの高さは道路側で十メートル、奥の崖側で三十メートルにもなっていた。西側の崖の先は広大な田んぼで春先から強い西風が吹き上げていた。その西側斜面から炎上して全体に火が回ったのだ。現場周辺にはひどい悪臭が立ち込めていた。

 「大惨事ですね」長嶋が言った。

 「これはちょっとやそっとじゃ消えないぞ」

 夕暮れに包まれつつある現場は火事場見学の野次馬で騒然としており西部環境事務所の仲間がどこにいるのかわからなかった。それでもやっと見知った顔を見つけた。西部事務所監視班の新人技師の小笠だった。

 「ああ伊刈さん、ご苦労様です」小笠のほうから挨拶してきた。

 「どういう現場なんだ」

 「リサイクル偽装現場ですよ。不適正保管で指導を始めた矢先なんです」

 「ふうん」

 「あそこ見てください」小笠は現場の入り口を指差した。

 「廃材買いますって看板か」

 「その脇の塀ですよ」

 「消防車が邪魔でよく見えないな」

 「道路側の万能塀にね、中学校にわざわざ依頼して中学生に地元の風物をテーマにした絵を描かせて優良リサイクル業者を装っていたんです」

 「そういうことか。なかなかやるじゃないか」

 「それはそうと伊刈さんはどうしてこちらに。もしかして本課から応援命令ですか」

 「そんなもん出るわけないだろう。ただの野次馬だよ」

 「どうやって消したらいいと思いますか」

 「うちの現場は窒息消火で消したよ。それしかないだろう」

 「そうですか」小笠は顔色を曇らせた。

 「どうした?」

 「この現場は放水で消すようです」

 「放水じゃ消えないだろう」

 「近くに大きなため池があるんですよ。だから大丈夫だって」

 消防署が放水で消すというなら出る幕もなさそうだったので状況だけ確認して引き上げようとした時、仙道からまた電話があり、西部消防署で開かれる対策会議に伊刈も出席するように言われた。

 「燃えている木くずと燃えていない木くずを分断するのが最善と思われます。燃えていない木くずを取り除けて放水するしかないです」西部消防署長の沢美津が最初に発言した。東部消防署長の幸水の意見と同じだなと伊刈は思った。

 「放水の水はどうしますか。消防車で運んでいては間に合いませんよ」本課の宮越が発言した。

 「五百メートルほど県道を下ったところに自然史美術館の調整池があります。自然の谷津をせき止めたダムみたいな池でして、白鳥公園として使われています。貯水量は十分です。消防車二台で中継すれば放水に使えます」指令長の鷺地が説明した。

 「燃えていない木くずを移動するスペースはあるんですか」宮越がまた発言した。

 「今日の消火活動で隣の畑を踏み荒らしてしまったので、いっそそこを借り上げたいと思っています。そこで市に相談なのですが公共事業というわけにはいかんでしょうか」沢美津署長が市からの出席者の顔ぶれを見回しながら発言した。

 「費用については緊急の代執行ということで検討に入りました」宮越が説明した。

 「そう願えますと助かります。消防は住宅の火災でないと予算が取れないのです。ゴミの火災ではいろいろ難しいものですから」署長がほっとしたように言った。

 「東部署は木くず火災を鎮圧した経験があります。現場の状況から考えて底の部分から火種が全体に回ってしまってしまっていると思われますので、分断工事ではなく覆土工事がいいと思います」東部消防署で伊刈とともにキング土木の現場を鎮圧した東部消防署の鈴庭指令長が発言した。

 「そちらの現場は水が足らなかったので消せなかったんでしょう。水さえあれば鎮圧する自信があります」西部消防署の鷺地指令長が切り返した。

 「東部署の経験は貴重なご意見としてうけたまわります。やはりここは西部署にお任せしましょう」宮越が発言した。

 東部署の経験は生かされずに会議は終わった。伊刈に発言の機会はなかった。発言しても容れられる雰囲気ではなかった。

 西部消防署は現場に指揮本部を設置して二十四時間体制で放水を続けた。しかし容易に鎮圧できなかった。いったん鎮圧しかけても再び燃え上がるところはキング土木の現場とそっくりだった。同時に実施した分断工事もとんでもない難工事となった。フジシロ産業の現場は四十八日間炎上を続けてようやく鎮圧された。六万立方メートルの木くずの大半が燃え切ってしまい、分断工事はほとんど無意味となり、現場に残ったのは大量の燃えかすだけだった。火災の鎮圧を待って犬咬警察署はフジシロ産業の藤城社長ら六人を無許可処分受託の疑いで逮捕した。再び市と消防の会議が開かれ行政代執行による燃え殻の撤去が決定した。本課は四億円かけて工事に着手した。

 藤城社長検挙の報道を見たキング土木の王寺が伊刈に挨拶にやってきた。「伊刈さんのおかげで俺んとこはうまく消してもらいましたよ。逮捕もされなかったし、ほんとに助けてもらいました」

 「役所としても税金を使わずに済んでよかったです。こっちも感謝してます」

 「そう言ってもらえるとほんとうれしいっすね。でも伊刈さんが居るのになんであっちは消せなかったんですか」

 「僕の担当じゃないんですよ。たまたま池が近くにあったんで水をかけ続ければ消せると思ったんでしょう」

 「なるほどねえ。水じゃ消えませんよねえ。家が燃えてんのに小便かけてるみたいなもんだからねえ」元ヤクザの親分とは思えない愛嬌をふりまいて王寺は引き上げていった。居合わせた所員がぽかんとした顔で伊刈と王寺のやりとりを見ていた。

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