野焼きパトロール
早朝パトは朝五時スタートに決まった。そんな早い時間に犬咬駅に着く電車がなかったので射端弁護士は同行者二人とともに市内のホテルに前泊することになった。伊刈が自ら所長車のトヨタクラウンを運転し助手席に仙道を乗せて安っぽいビジネスホテルまで出迎えに行った。かび臭いロビーで待っていた小柄な射端は脚線がくっきりと出るスキニーのデニムに白いカーディガンという軽装だった。四十代のやり手環境派弁護士兼大学教授というイメージからはかけはなれていて、ちょっと見には売れっ子のニュースキャスターのようだった。同行している団体幹部の男性二人は彼女とは対照的に生地がくたびれた地味なスーツを着ていた。名刺の交換もそこそこに伊刈は三人をクラウンの後部座席に押し込んでパトロールに出発した。監視班の他の三人と大室が載ったXトレールは犬咬駅で待っていた。
野焼きは不法投棄とは違って山奥ではなく住宅地と農地の境目あたりにある解体業者の資材置き場で行われることが多かった。早朝パトロールチームは野焼き常習地帯を見晴らせる高台に陣取った。そこから煙を目当てに現場に急行する作戦だった。題して「のろし作戦」。ちょうど空が白み始めるころあいだった。双眼鏡を使うまでもなく市内のあちこちで野焼きの煙が上がり始めた。そこまでは狙いどおりだった。
「すごいわ。野焼きってこういう時間にやるのね」射端が感動したように言った。
「行ってみるか」野焼きの煙を五本確認したところで仙道が号令した。
最初に向かった現場には五分で到着した。無人の現場で木くずが燃え上がっていた。量的には四トンダンプで一台程度の僅かな木くずだった。小さな素掘りの穴に木くずをあけ灯油をかけて点火するのだ。常習現場らしく穴のふちが赤く焦げていた。敷地の奥には灰を敷きならした痕跡もあった。
「これダイオキシンが出るんでしょう」射端が言った。
「測れば出るでしょうね」大室が応えた。
「測らないの?」
「今日はパトロールですから」
「次の現場に行って見ましょう」伊刈が珍しく落ち着きなく言った。
早朝パトチームは煙を確認した次の現場を巡回した。そこも無人の現場で木くずが燃えているだけだった。のろし作戦では火を放つ瞬間を取り押さえることはできなかった。
次の現場には野焼きではなく小型の焼却炉が設置されていた。許可基準未満(設置許可が不要)だとメーカーのカタログに書かれているバッチ炉で、構造的には二重扉や自動投入装置を備えており、一応法律の基準を満たしているようだった。実際にはムリをすればカタログ値の数倍燃やせる能力があった。
木くずの野焼きに対して規制が強化されて以来、許可基準未満の小型焼却炉を設置する解体業者が増えていた。初期の小型炉は数百万円程度で、ブロアー(送風機)もスクラバー(煤塵除去装置)もついていないドラム缶のオバケだった。こうした低性能炉からは不完全燃焼のために真っ黒な煙が立ち昇るのが常だった。燃焼温度が低いため塩化物(塩化水素やダイオキシン類)の発生も抑制できず、飛灰を回収することもできず、かえって煙害を拡散してしまった。ダイオキシン特別措置法によって焼却炉規制が強化されてからはセラミック炉材、二重扉、自動投入装置、補助燃焼装置、バグフィルタなどを備えた小型ながら高性能の炉が売られていた。小型炉にもかかわらず三千万円前後の価格設定で、購入資金を回収するためもぐりで他社の木くずを受ける業者が続出する結果となっていた。
「燃焼温度は九百度ですね。煙もきれいだし大きな問題はなさそうですよ」大室が言った。
「ここは許可があるんですか」射端に同行していた男が尋ねた。
「法律的には許可不要ですが条例で許可制にする予定ですな」仙道が応えた。
「条例案は評価しているわ。施行が楽しみね」射端が珍しく市の政策を褒めた。
「無人運転は問題じゃないですか」同行していた男が再び言った。「それに他社の木くずを受けていないとは言えないでしょう。調べてみたらどうですか」
「他社の解体物を受けてるところは木くずがたちまち積み上がるんです。ここは保管物が多くないから大丈夫でしょう」伊刈が答えた。
「積み上がってる場所があれば見たいですが」射端が言った。
「いいですよ。それじゃご案内します」伊刈は車に向かってきびすを返した。
長嶋が運転するXトレールが先導して向かったのはヤマジが森井町の北側農道に設置した小型炉だった。地元の穴屋として不法投棄を続けてきたヤマジの庄野と西の内縁の夫婦はチームゼロの活動開始後に不法投棄から足を洗い、山林を開拓した広大な敷地に小型焼却炉を建設して西の本業の解体工事から出る木くずの焼却を始めた。排ガス浄化設備を備えた本格的な炉だった。ヤマジが不法投棄からの廃業宣言をしたのは歓迎すべき成果だったが焼却炉の指導という新たな難題が増えた。地元住民の不信感をよそに最初は順調に稼動していた。ところが気がついてみれば燃やしきれない木くずがヤードにどんどん積み上がっていった。一度そうなるともう歯止めがきかずたちまち十メートルを越える山が三つできた。焼却場に積みあがった木くずと高い煙突が道路からもはっきりと見えた。しかし四メートルの高さの万能塀で囲われた処分場は同じ高さの門扉でしっかりと閉ざされていた。
「ここはもぐりの処分場よね」ヤマジの焼却場を見るなり射端が言った。
「そうですね」伊刈が答えた。
「どういう指導をしているの」
「間もなく搬入中止命令を出す予定です」
「炉も大きいようじゃないの。測ってみたの」
「測定しました」大室が答えた。「だいぶ大きかったのでブロアーを小さくするように指導しています」
「その程度でいいの? 無許可設置で告発すべきでしょう」
「指導に従わなければ告発しますよ」
「なんだか手ぬるい感じねえ」射端は納得しない様子だった。
「技監、煙です」喜多が遠くで立ち上がった煙を目ざとく発見した。時刻はもう午前八時を過ぎていた。
「ありゃ野焼きの煙だな。こんな時間になって始めたか。先生あそこを最後にしませんか」仙道が促した。
「いいわよ」射端は軽く頷いた。
煙を目指した二台のパトロール車は白石工業団地に入った。小さな工場が立ち並ぶ古い団地だった。
「工業団地で野焼きってのは珍しいな」仙道が言った。
「いや、たぶん団地の外ですよ」伊刈が予想したとおり野焼き現場は工業団地の境界道路の外側にあった。
「こいつはひどいな」現場を見るなりさすがの仙道も絶句した。工業団地に隣接した山林に大穴がうがたれ、そこから煙がもうもうと上がっていた。穴の周囲に積み上げられた焼却灰が火山の噴火口のような灰色の山になっていた。周辺の工場からこれまで苦情が来ていないのが不思議だった。無人の現場を撮影していると四トンダンプが乗りつけて若い男が飛び降りた。
「てめえら人の土地で何やってんだよ」男はいきなり毒ついた。
「産廃のパトロールです。あなたの焼却場ですか。社名を教えてもらえますか」伊刈が男に対峙した。射端は危険を察知したのか少し下がって成り行きを見守っていた。
「俺は白石解体の能島だ。逃げも隠れもしねえぞ。パトロールがどうした」
「あなたが燃やしてるんですね」
「そうだよ。なんか文句あんのか」
「野焼きは法律で禁止されています。やめてもらえませんか」
「そっちの勝手な理由で今日から禁止になったからやめろって言われてもよ、簡単にやめられっかよ。こっちは生活かかってんだよ。野焼きができなきゃ解体もできねえだろうよ」早口でまくしたてる口元から狂犬病患者のように唾が飛び散った。
「ほかの業者はやめてもらってますから」
「ざけんなよ。どこがやめてんだよ。ここらに朝来てみな。あっちでもこっちでも煙が上がってんだろう。みいんなあんたらの役所が開く前に燃やしてんだよ」
「知ってますよ。朝からずっとパトロールしてましたから」
「じゃあそっちを先にやめさせろよ」
「よそはよそですから」
「ざけんなって言ってんのが聞こえねえかよ。よそがみんなやめたら俺もやめてやるよ。おい俺の写真撮んのやめろよ」能島はカメラを構えた遠鐘につかみかからんばかりに詰め寄った。遠鐘は驚いて後ずさりした。
「能島さん、この火すぐに消してもらえませんか」伊刈がわざと事務的に言った。
「あんだと、どうやって消せってんだよ」能島は遠鐘を追うのをやめて伊刈を振り返った。
「水はないんですか」
「んなものねえよ。見ればわかんだろう」能島がいらつきながら言った。
「水のない場所での野焼きは危険じゃないですか」
「火事なんか出したことねえぞ。つべこべ言うんじゃねえよ。死にてえのかてめえら」
「野焼きはやめていただけませんか。法律違反でもあるし周りの工場に迷惑だと思いませんか」伊刈は冷静に諭し続けた。
「たかが木くずを燃やしてどんだけだよ。ここらへんの工場だってよ、もっといろんな悪いもん出してんだろう。これくらいどおってことねえじゃねえか。工場ってのはよ、どんな危ないもんを棄ててっかわかんねえぞ」
「憶測で言わないでください」
「てめえらもう帰れ。俺は野焼きはやめねえぞ。逮捕したけりゃすればいいじゃねえか」能島は開き直ったように言うと四トン車に積んできた木くずをパトロールチームの目の前でダンプアウトした。木くずを投げ込まれた穴から火の粉が巻き上がり伊刈の肩が飛灰で白く染まった。
「今日のところは引き上げるぞ。あらためて出直しだ」仙道が命じた。
「わかりました」伊刈も指導をあきらめて現場から道路に出た。射端は能島の剣幕に唖然として立ち尽くしていた。
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