裏切りヒヤリング
とうとう環境省から伊刈にヒヤリングの要請が来た。
「中央環境審議会の部会で平安京大学の植野教授から安い値段で委託した排出元の注意義務違反をとがめて撤去命令を出せるようにする法律改正があったが安いとはいくらなのかという質疑がありまして事務局が答えられずにペンディングになっているんですよ。それで次回の部会に伊刈さんに参考人としてご出席いただきたいと思い、そのための打ち合わせを環境省で行いたいんですがいかがなものでしょうか」
そんな電話をくれたのはスーパーゼネコンの香取建設の部長で産廃財団の理事を兼ねている柄本だった。それより二週間前、部会の事務局を預かっている環境省の牛嶋課長補佐が日本廃棄物連盟の戸塚専務理事に相談を持ちかけた。「誰が不法投棄の経済構造に詳しいだろうか」そう相談された柄本が建設業界の講演会で名刺交換していた伊刈に白羽の矢を立てたのだ。
伊刈は霞ヶ関に出かけ、環境省大臣官房産業廃棄物課の牛嶋課長補佐、香取建設の柄本部長、日本廃棄物連盟の戸塚専務理事の三人の前で不法投棄について説明を始めた。不法投棄の経済構造を図示しながらの説明は二時間に及んだ。手元には自然に一枚の構造図が完成していった。それは後の著書でも発表することになる「二重構造図」だった。
「産廃には二つの流れがあります。一つは許可業者を結ぶ流れ、マニフェストで追っていけるオモテの流れです。もう一つは無許可業者を結ぶ流れ、マニフェストでは追っていけないウラの流れです。二つの流れが無関係ならいいのですが、実際にはオモテの流れからウラの流れへの流出があります」
「どうして流出が生じるのですか。無許可業者の価格が安いからですか」牛嶋が聞いた。
「価格とボリュームの掛け算です。流出は処理能力を上回る受注をしているオーバーフロー施設から生じます。著しい施設では処理能力の十倍の受注をしており九割が流出してしまいます。受注の九割を価格が二分の一の不正ルートに流出させたら笑いが止まらないほど儲かります」
「不法投棄の価格はやはり正規料金の二分の一なんですか」柄本が発言した。
「流出するときは二分の一から出発します。その後どんどん中間マージンが引かれて不法投棄現場に着く頃には十分の一になります」
「一割ですか」塚本ががっかりしたように言った。処理料金を最初に支払う立場としては切なかったのだろう。
「最終処分場が足らないから流出が生じているのですか」牛嶋が再び尋ねた。これまでの部会の議論では無許可業者の低価格と最終処分場の残余容量の不足が不法投棄の二大要因とされ、この観点から不法投棄対策が練られてきた。それを踏まえた上の質問だった。
「最終処分場の不足が不法投棄の原因だという議論が誤りだとまでは言えません。心理的な逼迫感はあります。ですが現場の経験として流出は主として中間処理施設や積替保管場から生じています。むしろこれらの施設で著しいオーバーフローが生じているということです。最終処分場を増やさなくても中間処理施設やリサイクル施設を増やせばオーバーフロー構造は解消し不法投棄は減少します」
「でも中間処理された後最終処分に向かうのですから最終処分不足も問題ではありませんか」
「きちんと中間処理されれば減量化と資源化によって廃棄物のボリュームは一割以下になりますから最終処分は必要ないんです。もちろん最終処分場の需要はゼロにはなりません。でも現在の容量でも当面は足りると思います」
部会に出席して欲しいという前提のヒヤリングだったはずなのに説明が終わるころには雲行きが変わった。
「伊刈さんは詳しすぎるので部会に出てもらうわけにはいきません。環境省は何も知らなかったのかと怒られてしまいます」牛嶋補佐はそんなことを言い始めた。
結局伊刈が手書きした構造図を使って牛嶋課長補佐自身が部会で説明することになった。
このヒヤリングがきっかけとなって伊刈は出版を本気で考え始めた。無知を隠蔽しようとする環境省の対応が許せなかった。現場を持たない環境省より現場で日々戦っている自治体のほうが千倍も詳しいのは当然ではないか。他人の情報を加工したにすぎないのに、まるで自分のオリジナルのような顔をしている点で大学教授と中央官僚が五十歩百歩だということもはっきりわかった。幸い伊刈には書き溜めた原稿があった。研修用マニュアルや講演配布資料を出版用にまとめればいいだけだ。後に「不法投棄コネクション」として世に出た原稿の最初のタイトルは「不法投棄の構造」だった。これまで誰も書けなかった不法投棄シンジケートの全容が解明された衝撃的なドキュメンタリーが文壇には縁のなかった無名の地方公務員の手で書き始められたのだ。
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