事務次官室

 環境省の事務次官室には緊迫した雰囲気が漂っていた。事務次官と言えば各省庁の官僚のトップ、実質的な権限は大臣を凌駕する。給料も県知事並である。しかし環境事務次官室は意外に質素で、大きさは学校の教室の半分程度、調度も古ぼけたデスクとソファがあるだけで、並の県庁の知事室にも劣るものだった。

 「この程度の資料で次の部会(中央環境審議会廃棄物リサイクル部会)を乗り切れますか。世界は未曾有の不景気に突入し資源高によって輸出業界は壊滅的な打撃を受けている。国内製造業の空洞化によって廃棄物業界にも激震が走っている。銀行は申し合わせたかのように産廃業者に対する貸し渋りを続け資金繰りに窮した業者の倒産が相次いている。これが情勢分析ですね」

 次官の指摘に産業廃棄物課長が答えた。「中小企業に対する緊急低利融資は産廃業界も対象になります。不況によって廃棄物が減少していることにつきましては仕事が減ることに加えまして価格低落要因にもなることから経営環境は非常に苦しくなると思います。ただし統計的にはさほど大きな変動にはならないものと見ております」

 「廃棄物リサイクル部長の意見は?」

 「情勢分析に加える項目が二つあります。一つは不法投棄再燃のリスクが高まっていることです。自治体から報告が上がって来るのは来年半ばになりますが既に一部の地域で建設系廃棄物を中心に非組織的な単発の不法投棄が多発傾向にあるようです。もう一つはこの機に乗じて外資がわが国の廃棄物業界リサイクル業界に参入の機会を伺う動きがあることです。これまでは資源ごみ輸出商社に中国系資本が目立ちました。これからは国内の処分場も外資の積極的な投資対象になるやもしれません」

 「さすがにミスター産廃と言われた部長ですね。防衛手段はあるのですか」

 「これまでのように補助金によって国内業者を育成する時代ではなくなりました。それに補助金を出しようにも財源がございません。望むと望まざるとにかかわらず今回の不況によって産廃業界でも勝組と負組の選別が加速しております。大きいところはさらに大きくなり小さいところは埋没していきます。建設系、工場系、食品系、化学系、汚泥系、あらゆる廃棄物の分野で同時多発的な再編の動きがでております。この動きを放置すれば企業数は半減するやもしれません」

 「業界はそれを歓迎しているのですか」

 「業界団体というものは一方で経営規模の拡大を推進すると表向きは申しながら他方で本音は企業数の減少を厭うものでして。なかなかこの二律背反を解消して業界再編を進める施策はどの省も苦慮しておるようです」

 「なるほど医師会然り、農協然り、廃棄物団体もまた然りというわけですね。いまの部長の話を部会に出したらたいへんなことになりますか」

 「既に部会長の細川教授はご存知のようです」

 「あの部会長、最初のうちは従順でした。最近はただのイエスマンではないようですね」

 秘書官が耳打ちした。「次官そろそろ陳情の時間でございます」

 次官は部長に目配せして立ち上がった。「部会のこと頼みましたよ」

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