大炎上

 最悪の事態が三日後に起こった。西側斜面で点火した火種は木くずの底で扇状に燃え広がり、東側斜面の複数の場所が同時に開口して大きく炎上したのだ。風が吹き込む西側から風の抜ける東側へとトンネルが貫通したため大室の言っていた火格子が完成してしまった。火山の噴煙のような黒煙が国道まで覆い尽くし今度こそ全面通行止めとなった。十台の消防車が出動して必死の放水が続いていた。三万立方メートルの木くずの底が抜けるような形で炎上しており、もはや放水で鎮圧できるレベルではなかった。こうなってしまったらもう手の施しようがなかった。

 「伊刈さん助けてくださいよ。近所の工場まで燃やしちまったら俺はもうおしまいだよ」王寺が泣きついてきた。ヤクザの元親分もこうなっては形無しだった。

 「消火の指揮は誰が取ってるんですか」

 「さっき署長が心配して来てくれましたよ」

 「署長はどこに」

 「山の上です。北側にはまだなんとか燃えてないところがあるから」

 「行ってみましょう」伊刈はもうもうと黒煙を上げ続ける木くずの山の頂上を目指して登り始めた。身を賭して噴火する火山へと救助に向かうレスキュー隊員の心境だった。

 「班長、大丈夫っすか」長嶋が心配そうに声をかけた。

 「危ないからみんなは下に居て」

 「俺は行きますよ。ボディガードっすからね。二人は残しておきます」長嶋は遠鐘と喜多に残るように諭して伊刈を追ってチップの山に登った。王寺も斜面を登り始めた。

 チップの山の頂上では消防隊員が必死の消火作業を続けていた。頂上に一メートルほどの穴を開け、そこから水を投入しているのだ。まだ燃えていない北側のチップを濡らして火種を分断する作戦だと思われた。しかし時間稼ぎにすぎなかった。既に東側斜面の火が北側斜面へと徐々に侵行してきていた。作業を指揮している消防署長の背中が見えた。

 「ご苦労様です。環境事務所の伊刈と申します」

 「毎日ご苦労様です。署長の幸水です」

 「放水だけで消すのは鎮圧はムリなようですね」

 「燃えている部分と燃えていない部分を分断してはどうかと思います。燃えてるところは燃やしきってしまえば火勢は衰えます」

 「署長さんには悪いけどよ、もうそんな工事は間に合わねえよ」王寺が首を振りながら言った。「それによ木くずを片す場所がねえよ」

 「僕もそう思いますね。火種は木くずの山の底から全体に広がってしまっています。木材の上にチップを積み上げてしまったから底の部分に空洞があるんです。山裾がめくれるように炎上を始めていて火が一周するのは時間の問題ですよ。チップの山が火の海に浮かぶ島みたいになってるんです」伊刈が説明した。

 「ほんとにそうだ。炉の中にいるようなもんだな」王寺が同意した。

 「しかし全部燃えてしまうよりはいいでしょう」署長は分断工事にこだわった。江戸時代からある破壊消防の発想である。

 「チップ全体を土砂で覆うしかないです」伊刈は窒息消火を主張した。

 「土砂を被せたらチップが売り物にならねえよ」王寺がいまさらにしみったれたことを言った。

 「それしか方法がないですよ」

 「それで間に合いますか」署長が伊刈の案に傾いた。

 「消してみせます」

 「土砂はどうやって手配しますか」署長の言葉に伊刈は無言で王寺を見た。

 「わかったよ。俺も伊刈さんの意見に賛成しますよ。被せる土砂は残土でよければ仲間に頼むよ」王子が観念したように言った。

 「残土でも浚渫土でも改良土でもこのさいなんでもいいですよ」

 「そんなら土砂はなんとかする。火が回る前にキャリーダンプで土砂を上げて被せちまおう」

 「それでいきましょう」

 「作業の監督はどうしますか」署長が伊刈を見た。

 「指揮は僕がとります」伊刈がきっぱりと言った。

 「わかりました。それじゃあ環境事務所にお願いしましょう。伊刈さんの指示通りにするよう指令長に言っておきます」驚いたことに署長は消防の部外者の伊刈に現場の指揮を委ねて引き上げてしまった。

 指令長の五頭が伊刈の指示で土砂を持ち込むダンプの搬入路を確保した。午後にはユンボとキャリーダンプが回送され土砂も届いた。窒息消火はまず炎上している斜面の手当てから始まった。煙を上げている斜面の穴に放水し、火勢が衰えたところでキャリーダンプから土砂を投入しユンボのバケットで整形する。しばらくするとすぐ隣が開口して炎上を始める。すぐにその穴に放水して覆面する。このもぐら叩きのような作業が延々と続いた。夜は危険なので作業は休止し消防隊員が見張りに立った。

 翌日も朝六時から作業が再開した。一晩たってみるとせっかく前日に被せた土は陥没した木くずの中に消えていた。しかし伊刈は作業の手順を変えなかった。炎上する穴に放水して土を被せる。隣に穴が開けばまた被せる。この作業を一途に続けると大きく炎上する穴が減ってきた。消えたわけではないが黒煙が白煙に変わったので午後からは国道の通行止めが解除された。

 「土砂を搬入するには残土条例の許可が必要ではないですか」現場を視察に来た本課の宮越が消火作業の前線に立っている伊刈を見つけてクレームをつけてきた。

 「緊急避難ですよ。消防署長の同意を得た消火活動です。条例は免責ですよ」伊刈があっさり跳ね除けると、宮越はそれ以上は異議を述べなかった。

 夜のうちに再び火は勢いを取り戻し昼間の作業でまた衰える。この作業を一週間続けた結果ついに煙が消えた。

 「あの火の勢いを一週間で消し止めたなら奇跡だろう。ほんとに世話になったよ。あんたがいなかったら全部燃えちまったな」王寺がほっとしたような顔で伊刈を見た。

 「消防としてはいったんこれで鎮圧ということにさせていただきます」指令長の三角が言った。

 「まだ中で燃えていますよ。すっかり消えるまでには一年かかるかもしれないです」

 「わかっていますがホースは置いていったん引き上げさせてもらいます。伊刈さんのおかげでうまく鎮圧できたと署長に報告します」

 「あとはどうすればいい?」王寺が伊刈を見た。

 「覆土を続けてください。煙が上がったらすぐに被せる。それを続ければ中が炭窯状態になって酸素を消費しきれば消えますよ」

 「わかった。完全に消えるまでやるよ。この恩は一生忘れねえ。必ず借りはけえすよ」王寺は元親分らしい威厳を取り戻して伊刈に約束した。

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