県庁の研修会

 県庁の産業廃棄物担当者を集めた研修会が本庁舎ロビーの多目的ホールを会場に開催され、犬咬市に出向中の伊刈が特別講師として壇上に立つことになった。犬咬市の産対課からは講師の推薦がなかった。県庁の廃棄物指導課が直々に伊刈を特別講師に指名したのだ。これでは宮越も妨害しようがなかった。会場には犬咬市の「チームゼロ」を上回る二十人規模で四月から設置された県庁の24時間不法投棄監視チーム「チームグリーン」のメンバーを中心に四十名ほどの担当者が集められていた。普段は早口の伊刈には似合わないゆっくりとした咬んで含むような口調で講義が始まった。もともと県職員の伊刈にとっては同僚相手の講義なので緊張はなかった。

 「犬咬で実施した対策は大きく括れば三つになります。一番目はチームゼロによる二十四時間パトロールです。これによって大規模現場を開設する穴屋の活動が抑止されるようになりました。ただし神出鬼没のゲリラ不法投棄にはなかなか対応できていないのが現状です。二番目はオンサイトの対策です。これは現場からの証拠収集、ルート調査、不法投棄に介在した業者への立入検査、撤去指導といった手順で行います。この対策をどこまで徹底的にやるかで、その後の流れが違ってきます。三番目は行政処分や刑事告発の強化です。事件数が多い段階では事実上の解決をはかるのに精一杯で、きちんと法的措置をとる暇がありません。ある程度状況が落ち着いてきた時に不法投棄の再燃を防止するために法的措置が必須だと思います」

 伊刈は講義を続けた。「私のチームが担当しているのは二番目のオンサイト対策です。これは不法投棄の原因者を特定して、任意撤去させることが主眼です。早期解決をはかるため措置命令は発しません。この対策は撤去が実現できなければ失敗なので撤去率が重要です。私のチームは四人ですが半年で三十現場を撤去させています。撤去率は調査した現場の九十五パーセント以上です。原因者を究明できなかったのは一、二件にすぎません。徹底した証拠調査による撤去指導を続けているとダンプの数が激減します。捨てても撤去させられるということになれば不法投棄する利益がなくなるからです。一発屋と呼ばれる無許可ダンプは排出元の解体業者や処分業者から捨て料を十万円前後もらって産廃を積み込みます。ここから運搬コストとして燃料費と高速代を二万円程度、不法投棄のコストとして穴の捨て料を三万円程度差し引くと、一発屋の利益は五万円程度になります。ところが撤去となると正規の処分料が三十万円かかります。撤去するゴミだということで処分場に足元を見られると百万円以上請求されることもあります。撤去するにはユンボのリース料や回送料もかかります。つまり一台撤去させるだけで罰金刑と同じくらいの経済罰になります。撤去させられたら損だと思えば不法投棄するダンプはなくなります。この方法を県下全域で実施すれば県内の不法投棄ゼロを達成することも不可能ではありません」

 さらに講義は続いた。会場からは一言の私語も聞こえなかった。「調査の方法についてもう少し詳しく説明します。証拠からルートをたどっていけるのは五つの証拠に一つくらいの割合です。だからできるだけたくさんの証拠を拾うことが大事です。複数の証拠から複数のルートを特定しルートが交差するポイントを探します。そこが不法投棄現場への流出ポイントです。複数のルートを特定するために必要な数の証拠が集まるまで何時間でも現場にとどまります。必要な証拠点数の目安は一ルートで十点です」

 伊刈の説明に県庁の担当者は静まり返ったままだった。県庁のチームグリーンでも証拠収集は行っていたが証拠点数の目安までは定めていなかった。

 さらに講義は続いた。「証拠を収集したら現場で証拠の写真を撮ります。警察の捜査と同じで証拠を収集した場所の写真がないと後で証拠の価値がなくなります。証拠から排出元のリストを作成します。連絡先を調べて電話をかけます。証拠から特定できるのは処理業者ではなく業者の顧客です。このとき不法投棄に関与した業者に顧客からの問い合わせが殺到するようにできるだけ短期集中的にやります。不法投棄への関与が疑われただけで顧客の多くが契約を打ち切ると処理業者に通告します。そんな電話が一日に何本もかかるようにして会社が潰れるんじゃないかと業者の不安心理をあおります。そうすると「うちがやったことを認めるからもう調査をやめてくれ」と業者の方から音を上げてくることもあります。調査はそれ自体が不法投棄に関与した業者の社名をアナウンスする効果があります。このアナウンス効果をさらに高めるのが調査結果の説明会開催、そして撤去工事のメディアへの公開です。物量戦では不法投棄業者に負けていても、インテリジェンスつまり情報戦で勝つんです」

 伊刈は休む間もなく講義を続けた。「次に立入検査の手法を説明します。検査で不法投棄の関与の実態を明らかにするには経営実態の全容を解明する必要があります。そのためには会計帳簿の検査が必須です。マニフェストをいくら探しても不法投棄の証拠は見つかりません。しかし違法な処分でもお金のやりとりがあれば会計帳簿に証拠が残っています。許可業者が無許可ダンプに払っている捨て料は十万円前後とさきほど申し上げました。千台なら一億円です。会計帳簿に載せなければ経費として落とせず一億円を社長のポケットマネーで払うことになってしまいます。売り上げを少なく申告する業者はあっても払ったお金を経費に計上しない業者はありません。不法投棄するダンプにマニフェストは切りません。でも領収書はもらうのです。決算書や帳簿には不法投棄の証拠が必ず残っているという信念で見ていれば必ず見えてきます」

 伊刈の真骨頂の会計帳簿検査の説明になるとついていけない聴講者も現れた。伊刈はかまわずに続けた。犬咬市が県を差し置いて成果を挙げている対策は夜間パトロールだけだからチームグリーンの設置ですぐに追い付けると高を括っていた県職員には驚愕の内容だった。「許可業者から不法投棄現場への流出は受注量と処理量のマテリアルバランスに原因があります。処理能力を上回って大量受注し、オーバーフロー分を安価な無許可業者に流出させれば売上高が過大になります。売上高を受注単価で割って受注量を割り出し、処理能力と比較すればオーバーフローの状況をおおまかにつかめます。決算書や会計帳簿からお金の流れをつかみ、計量伝票、配車表、作業日誌などから廃棄物の実際の流れをつかみ、マニフェストも量的に集計します。物、お金、情報の三つの流れを付き合わせることでマニフェストがない取引、つまり不法投棄の実態をつかむんです。使える書類は全部使うという心がけが大切です」県庁の担当者の中にはため息をつく者もあった。伊刈の検査手法は県庁のマニュアルには全くないものだった。いや日本中どこの自治体にもこんなマニュアルは存在しなかった。

 「これまで不法投棄はなくせないという暗黙の諦めのようなものがあったと思います。でも不法投棄はなくせます。誰も出来ないと思っていたことでも誰かが一度やってしまえばできて当然の常識になるんです。フィギュアスケートの三回転ジャンプと同じです。奇跡の離れ業が翌年には必須のノルマになります。今日説明したことは、今日は驚かれたとしても明日からはできて当たり前の常識です」

 この研修をきっかけにして県庁の担当者に「撤去優先戦略」が浸透するようになると県下全域で不法投棄の様相が変わった。この年の県全体の不法投棄は前年よりも一桁少ない水準まで劇的に減少したのある。伊刈が打った一手で不法投棄というオセロの盤面が黒一色からから白一色へと大逆転したのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る