Uターンゲリラ

 本課が不法投棄ゼロをネタにした権謀術数にかまけている間に、現場ではとうとう伊刈が恐れていたことが起こった。照稲町周辺のゲリラが収束したのと前後して、ダンプが犬咬市中心部に回帰する動きが出てきたのだ。最初に投棄されたのは新漁港の広大な埋立地だった。巨額の費用を投じて造成された土地には水産会社の加工工場や冷凍倉庫が立ち並ぶはずだったが、海洋資源保護のため漁獲量の規制が年々強化され新たな施設は不要になっていた。世界的な日本食ブームで海産物の需要は急増しているのだが、日本の漁業は日本人の胃袋すら満たせなくなっていた。その一方で漁獲規制など意に介さない中国、台湾、韓国の水揚量が急拡大していた。農林水産省の政策は斜陽化に水も油も見境なく注ぐだけだった。漁礁を作るための巨大なテトラポットと、それを吊り上げる巨大なクレーンが何もない埋立地で目立っていた。必要がない漁港や漁礁の補助金だけがいつまでもついているのだ。

 魚組(漁業協同組合)から連絡を受けた場所に調査に行ってみると、ほとんど何も隠れるところがない埋立地のど真ん中にダンプ一台分の建設廃材が棄てられていた。その日は朝から冷たい雨が降っていて合羽を着ての調査となった。寒さに凍えながら廃棄物を一つ一つめくっていった。

 「こりゃあ地元の解体業者の下ゴミっすね」長嶋が何か証拠を見つけて言った。伊刈が長嶋の手元を覗きこんでみると何十年も前に出された年賀状だった。筆字だったので雨水ににじまずに住所が残っていた。

 事務所に帰って年賀状の受取人に連絡をとってみると確かに最近古い屋敷を解体したことがあると答えた。解体業者はすぐに判明し撤去すると約束した。

 この事件を端緒に市内各地で連続的にゲリラ事件が起こった。大抵は地元のダンプによるものだった。中には県外ダンプの犯行と思われる現場もあった。

 「班長、猿楽町の嵐山の現場前に十トン車四台のゲリラだそうです。チームゼロが発見しました」長嶋が報告した。やばい状況だと伊刈は思った。以前嵐山の現場に来ていたダンプが様子を見にやってきて、現場が閉まっていたのを見て投げて行ったに違いなかった。県外ダンプの本格的な回帰だけはなんとしても食い止めたかった。

 「ここで踏ん張らないとまた大規模現場が復活するぞ。なにがなんでも撤去させよう」伊刈の号令で猿楽町に急行した。

 嵐山が放棄した捨て場はまだ門扉がしっかりと閉じられたままだった。その前の小さな空き地にダンプ四台の荷姿がはっきり残った産廃の小山が四つ出現していた。

 「この空き地の下も古い不法投棄現場で数万トンの産廃が眠ってるんです」遠鐘が説明した。

 「このあたりで山がはげてるとこはみんなそうなのか」伊刈が応えた。

 「ここらは犬咬でも一番古い不法投棄多発地帯の一つなんです」遠鐘が補足した。

 「これ下敷きじゃないですか」早くも証拠調査に着手していた喜多がゴミの中から四角いプラスチック板を発見して声を上げた。

 「東海地域海上安全協議会と書いてあります。小中学生向けの海上防災啓発の下敷きですね」

 「何枚ある?」伊刈が言った。

 「何百枚も重なっています」

 「業者の在庫廃棄ってことか。それにしても東海って静岡か」

 「確かに遠いっすね」長嶋が応えた。

 「とりあえず十枚くらい拾っていこう。ほかの証拠も探すぞ」

 全員で証拠探しを行いたちまち十数点の証拠が集まった。

 「ざっと見たところ古い証拠が多いみたいです。新しい日付のが一つもありません。たぶんどこかに積まれていた産廃が移動されたんじゃないでしょうか」遠鐘が分析した。

 「とにかくUターンゲリラは絶対阻止だ。ルート解明頼むよ」

 「わかりました」遠鐘が自信ありげに声を上げた。久しぶりの出番に遠鐘が一番はりきっていた。

 東海地域海上安全協議会は海上保安庁と東海地区の自治体が集まる任意団体で事務局は静岡市にあった。

 「下敷きを発注したのは五年前ですよ。うちにはもう在庫はありません。そんな古い下敷きどこから出たんですか」協議会事務局の山本が電話口で逆に尋ねた。

 「犬咬市の不法投棄現場です。棄てられたのは二、三日前です。何百枚も出てますよ」遠鐘が説明した。

 「そんな最近ですか。考えられません。うちが棄てたものじゃありませんね」

 「下敷きの制作会社からの廃棄ということは考えられませんか」

 「五年前の下敷きの在庫はありません。それも考えられませんねえ」

 「念のため発注先を確認できますか」

 「ちょっと待ってください。その頃の下敷きはですねえ、東名工房という浜松の会社に頼んでますねえ」

 「浜松というと静岡よりもさらに遠いですね」

 「ええそうです。昔は下敷きはよく作ったんですが、このごろはあんまり人気がないし予算削減で作らなくなりました。東名工房とも最近は取引がないですね」

 遠鐘はすぐに東名工房に電話を入れた。驚いたことに東名工房の阿井営業部長が新幹線に飛び乗ってその日のうちに環境事務所まで駆け付けてきた。不祥事を起こすと公的機関から指名停止処分を連鎖的に受ける恐れがあったからだろう。

 「これは角丸(かどまる)がありませんね」阿井は不法投棄された下敷きを手に取るなり目を輝かせた。

 「かどまるって下敷きの四隅のアールのことですか」応対した遠鐘が聞き返した。

 「ええ、下敷きはベースとなるプラスチック板を製造するメーカー、表と裏の図柄をデザインする会社、それぞれの印刷業者、表と裏を貼り合わせる業者、張り合わせた板を一枚一枚に切断する業者、四隅に角丸をつける業者がそれぞれ異なってるんです。その途中に運送業者や倉庫業者もはさまります。意外と手間がかかるものでしてね。最初に受注するのはうちのような印刷会社が多いと思います」

 「たかが下敷きでも複雑なんですね」

 「これは角丸をつける直前の段階のものだと思いますね」

 「それじゃ角丸をつける業者が廃棄した可能性があるってことですか?」

 「角丸業者は都内に1か所しかありません」

 「一社?」

 「きれいに切るには特殊な切断機が必要でしてね。墨田工業という東上野の会社にしかないんです」

 たかが下敷きに角丸をつけるだけなのにできる会社が一社だけとは予想外の答えだった。さっそく遠鐘は墨田工業に電話をした。

 「五年前の下敷きなんて持ってないんだけど、受けたことはあったかもね。待ってよ、デザイン変更があるとかでね、角丸をつけないまま預かりになってた下敷きがあったかもね」墨田工業の社長の森吉が答えた。

 「それをどうされました。最近棄てたとかないですか」

 「三年位前にね、古い倉庫を壊したときに棄てたと思うよ」

 「そんなに昔ですか。最近棄てたことはほんとにないですか」

 「このごろは仕事がなくってねえ。下敷きを何百枚も棄てるってことはないよねえ。それにほらこのごろはね、プラくずだってさ、買ってくれる業者があるでしょう。棄てたりしないよ」

 「なるほど確かに売れますね」

 五年前に作成された下敷きは三年前に墨田工業が廃棄したものである可能性が出てきた。遠鐘はここが粘りどころだと思った。

 「それで三年前の廃棄なんですが、どちらに出したかわかりますか」

 「覚えてないねえ」

 「書類はないですか」

 「ないねえ」

 「どっち方面かだけでも」

 「ううんそうねえ、多摩のほうじゃなかったかねえ。確か多摩センターとかじゃなかったかなあ」

 「多摩センターですね」

 「正確にはなんだったかわからないよ。うろ覚えだからね」

 「もしも書類があったらご連絡いただけますか」

 「ないと思うよ」

 角丸のない下敷きの調査は、静岡、浜松、東上野、そして多摩へと思わぬ広がりを見せていた。遠鐘はたぐっている糸が切れないことを祈りながらさらに調査を進めた。

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