手柄つぶし
奥山所長は東部環境事務所の手法がいかに画期的なものかを伊刈から直接市長に説明させたいと望んでいた。鎗田産対課長はそんなことをさせるつもりは毛頭なかった。鎗田はチームゼロの夜間パトロールの次の手として産廃条例の制定を市長に進言していた。市長はこれに乗り気で全国にさきがけて不法投棄対策条例を制定するため、県庁、環境省、総務省の説得工作に自ら動き出している最中だった。条例を待たずに東部環境事務所の手法なかんずく伊刈の手法で不法投棄対策の実績が上がっているということが市長の耳に入れば、鎗田自身が面目を失うだけでななく法律の欠陥を条例で補う必要があると市議会を始め各方面に力説している市長の面目すらも損ないかねなかった。東部環境事務所の成果を表向きは喜んでいるそぶりを見せながら誰よりもプライドを傷つけられていたのは鎗田だった。本課をさしおいてメディアの取材が環境事務所に集中し、立役者として伊刈の注目度が高まっていることも鎗田の琴線に触れていた。本課よりも出先が目立つという常識外れの事態がエスカレートしていくにつれて、課長だけではなく本課のチームゼロのメンバーのフラストレーションも募っていった。とりわけ以前から伊刈をライバル視していた宮越の焦燥は深かった。
「宮越さん県庁に呼ばれたんでしたよね」鎗田は敬語まじりの語調で話しかけた。
「ええ行ってきました」
「どういう話でしたか」
「四月になったら県にも夜パトチームができるので市から県へ講師を派遣してほしいそうです」
「市が県を指導するとはすごいじゃないですか。宮越さんが講師ですか」
「ええそのつもりです」宮越は伊刈にも講師派遣依頼があったことは触れなかった。
「いっそ講師などと言わず来年県に戻られて直接県のチームを指揮されてはどうですか」
「自分には荷が重過ぎます」
「そんなことはないでしょう。ところで東部環境事務所の指導方法はどう思いますか」
「あれは伊刈の個人的なパフォーマンスじゃないのかと思いますよ。昔からパフォーマンスが上手なやつでしたからね」
「そうですかパフォーマンスですか。でも撤去させていることは事実じゃないですか」
「出先は本課の指揮の下に活動すべきじゃないかと思います。勝手なパフォーマンスは許されません。一時的には目立っても組織の統率を乱す行為は長続きしません」
「それは組織論としては正論ですね。それでも何か事務所が特別なことをやっているという情報はないですか」
「県外業者への立入検査を勝手に実施しているようです。これもルール違反です」
「なるほど県外検査ですか。でもうちの課が県外に行ったという報告は一度もないですが」
「チームゼロは手が足らないのでやっていないです」
「県外まで行ってどんな検査をしているのかご存知ですか」
「市内の業者の検査と同じだと思いますよ。検査マニュアルがありますから」宮越は伊刈がマニュアルを無視して会計書類検査を実施していることまでは知らなかった。それはもはや宮越の想像を超えていた。
「だいたいわかりました」鎗田もさすがに宮越が伊刈を故意に無視しようとしていると感じたようだった。
「事務所に県外業者はもちろんのこと市外業者へも勝手に行くなと指導していいでしょうか」
「それはちょっと待ってください」
「どうしてですか」
「成果が上がっていることは事実なのですし、事務所は事務所の考えがあってのことでしょう。もう少し自由にやらせてみましょう。事務所のやり方について何か具体的にわかったら教えてください」鎗田は奥山所長が市長に直談判するのを恐れていた。その前に伊刈と同時に県から出向している宮越から情報を仕込もうと思ったのだ。宮越は何も知らなかった。
鎗田は単独の市長レクチャーをセットした。戦後の高度成長期に百万人都市を目指していたころに建てた市庁舎の三階にある市長室は調度こそ古くなったものの広々としていて、北面した窓からは国内有数の水揚げ量を誇る漁港を遥かに見晴らすことができた。
「市内全域で不法投棄が減少に転じたそうね。すごいじゃないの」女性市長の三条美津子は満面の笑みで鎗田を市長室に迎えた。
「すべて市長のご英断のおかげです。チームゼロによる二十四時間パトロールの成果が着々と上がっています」
「他の市からもずいぶん褒められてるのよ。条例の根回しも順調だわ。市職員自ら二十四時間三百六十五日パトロールを実施して体を張って不法投棄を阻止しているのと言うと、環境省だって総務省だってみんな黙ってしまうわ。国のお役人なんて暢気なものよね」
「チームゼロは不法投棄の対症療法で産廃条例による自社処分場規制は不法投棄の原因を断つ根治療法でございますから」
「そのフレーズは使わせてもらっているわ」鎗田は伊刈のチームが不法投棄に関与した業者をつきとめて一つ一つミサイルのように狙い撃ちにし、現場を次々と撤去させていることには触れなかった。
「それはそうと課長に朗報がありあますよ」
「なんですか」
「環境技術協会の環境大賞というのをご存知かしら」
「ええもちろん」
「チームゼロがそれを受賞することになりそうよ。秘書の辻本が推薦しておいてくれたの。この協会の会長とは参議院時代から親しいの。でもやらせじゃないわ。ほんとに成果が上がってるんですから堂々と受賞してちょうだい」
「ほんとですか」
「三月二十一日に都内で授賞式があるわ」
「すごいです。みんなの励みになります」
「この調子でほんとに不法投棄ゼロを実現しましょう」どうやらパフォーマンスにかけては市長は鎗田より遥かに上手のようだった。
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