有難迷惑
東部環境事務所の活動は県下の全域に波紋を広げていた。犬咬の不法投棄が激減した反動で、これまで不法投棄が見られなかった県内各地で不法投棄が激増していたのだ。
「いったい何をやってるんだ!」
「犬咬から追い出してもほかの地域でやられたら意味がないじゃないか」
「夜パトもいいけど適当なところでやめてくれないと迷惑だ」
そんなブーイングが県庁から市の産業廃棄物対策課に寄せられるようになっていた。県庁ではチームゼロの夜パトが犬咬からダンプが追い散らされた原因だと思っていた。混乱は県内だけにとどまらず隣県にも及んでいた。首都圏全域のダンプの流れを変えつつあったのが伊刈の率いるたった四人のチームの活動だとは誰も気付かなかった。気付いたとしても信じなかっただろう。伊刈たちの活動は役所の常識を超えていた。
県庁産業廃棄物課指導室長の酒水は市に出向中の宮越を県庁に呼び出した。
「いったい犬咬では何をやってるんだ」酒水はまるで部下を叱るような口調で言った。
「そう言われましても」
「十月から市が夜パトを始めたのは知っている。そんなに効果があるのか」
「もちろん効果はありました」
「まさかダンプを犬咬から追い出せさえすれば他の地域でどんなことになっても関係ないという考えじゃないだろうね」
「そんなことはありません」
「まあいいよ。四月になれば県でも夜パトを始めるんだ。そうなれば市と腕比べだ」
「そうですね」
「夜パト以外に何かやってることはあるのか。今日はそれを聞きたかったんだ」
「いえとくには」
「ほんとか。おまえと一緒に市に出向した伊刈というやつがいるだろう。撤去の請負人とか言われてなかなか目立ちたがりだそうじゃないか」鋭い酒水はうすうす伊刈の存在に気付いている様子だった。
「撤去の請負人というのは海の家訴訟のときのあだ名ですよ。それも自称じゃないかと思います。おっしゃるとおり目立つのが上手なパフォーマーってだけです」
「産廃の撤去指導を熱心にやらせてるって聞こえてきてるけどな」
「チームゼロが夜パトで阻止した現場を昼間調べに行ってるんです。市の対策の中心は夜パトです」
「なるほどな。夜パトで蹴散らしておいて昼間調べて撤去させる。そういう仕組みだな」
「そうです。伊刈は出先の事務所の班長にすぎません。部下はたった三人です。それで何ができますか」
「撤去はさせてるんだな」
「それはそうですが」
「その撤去のやり方を県に教えてくれないか」
「教えるとは、どういうことですか」
「四月に始まる夜パトの新人研修がある。その時に市から講師として来てもらいたいんだ。夜パトのやり方はおまえに頼む。現場の調査指導のやり方は伊刈に頼んでくれないか」
「県庁の研修の講師に出先の伊刈はふさわしくありません」
「伊刈の話を聞きたいっていうやつが多いんだよ。うちの連中が現場から聞いてるのはな、犬咬にすごいやつがいるって評判なんだ。すごいやつってのは、おまえには悪いが伊刈のことなんだ。毎週のように撤去させてるそうじゃないか。それでダンプが怖がって寄りつかなくなった。そういうことなんだろう」
「そんなことはないです。チームゼロと事務所の連携がうまくいってるんです」
「まあいい。ヤクザどもはな、顔の見えないチームゼロより現場に立ってる伊刈を怖がってるようだよ。伊刈に四月の研修に出るように言っておいてくれ」
「わかりました」宮越は承諾したものの、伊刈を研修講師に出させるつもりはなかった。
ちょうど同じ日、市の産業廃棄物対策課の鎗田課長は奥山所長と伊刈を産対課に呼び出していた。
「伊刈さんご苦労様です。事務所のご活躍はこっちにも毎日届いていますよ」本課の課長と事務所の班長では身分が違う。それでも県庁からの出向者ということもあり、鎗田は部下に対する命令口調ではなくあくまで慇懃に伊刈に話しかけた。
「恐れ入ります。本課のチームゼロあっての事務所の指導です」奥山も社交辞令を返した。伊刈は無言だった。
「その事務所の指導なんですが、どんな手法でやっているのか今日は教えてもらおうと思ってわざわざ来てもらいました。伊刈さんどうですか」
「一言で言えば撤去最優先ということです」伊刈は明解に答えた。
「ほう撤去最優先ねえ」
「事務所では徹底した証拠調査による撤去指導を続けています。今までに百台以上撤去させています。週一ペースの撤去です」
「テレビでも何度か放送されました。でも最近は撤去の話題がありませんね」
「報道に発表するような大きな現場はもう動いていません。今は小さなゲリラ現場ばかりですからプレスには公開していません」
「なるほど。ですが僅か百台の撤去でどうして何千台ものダンプを止める効果があるんですか」
「一台も百台も一万台も違いはありません。運んでるのは一台一台のダンプです。最終処分場の正規の料金は安定型でダンプ一台三十万円くらい、管理型だと六十万円くらいだと思います。無許可のダンプが産廃を積むときにもらっている棄て料は十万円くらいです。そこから三万円くらいを穴に払うので一発屋の手取りは七万円くらいです。ところが撤去させられると正規の処分料として最低でも三十万円かかります。撤去ということで足元を見られると百万円以上請求されることもあります。そのほかに重機の回送料やリース料がかかります。撤去させられたらたった一台でも一発屋にとっては大赤字なんです。もしも刑事事件になれば罰金は三百万円、ダンプが全財産の一発屋にとって三百万円はきついです。だからたった一台だって撤去させられるのが嫌だと思えば一発屋は来なくなります」
「つまり怖いのは夜パトじゃなく撤去だと」
「夜パトも怖いと思います。ですがうまくかいくぐることはそんなに難しくないです。でも不法投棄してしまったら証拠を消すことはできません。不法投棄すれば証拠が残るんだとわざと教えてあげればいいんです」
「それは理屈ですね」
「この方法を市内全域いや県内全域で実施すれば、県内から不法投棄ゼロを達成することも不可能ではないと思います」
「不法投棄ゼロですか。それはムリではないですか。地元の解体業者が四トンダンプで出来心的に投げることまでゼロにはできないんじゃないですか」
「そこまで欲張ったら何も始まりませんよ。まずは組織的な不法投棄を撃退すればいいんじゃないですか。現に組織の動きは止まっています。今動いているのはダンプ単独のゲリラだけです」
「このことをぜひ市長に説明したいと思うのですが機会を設けていただけませんか」奥山所長が伊刈の説明をさえぎって進言した。
「もちろん私から市長に報告を上げておきますよ」
「それより伊刈に直接市長に説明させたほうがインパクトがあると思います」温和な奥山所長にしては、いつになく強い語気で言った。
「それも検討しておきましょう。とにかく事務所はこの調子でがんばってください」伊刈に直接市長説明させたいという奥山の進言を聞いて鎗田課長は渋い顔で応えた。
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