第11話隠された涙の意味

そうして私たちは目的地を知らされぬまま、電車に乗り、歩き、やがて到着する。


「ここは…バッティングセンター?」

「そう。僕の行きつけなんだ」


バッティングセンターはわりあい繁盛しているようで、中では何人もの人が速球を打ち返していた。


空いているバッターボックスはひとつのみ。私たちは順番でやることにした。


「π子、初めてですぅ」

「もしかしてバットすら持ったことない感じ?」

「私もない」

「私もないわね」

「…じゃあ僕が一番最初に打つからフォームとか見ててね」


そう言ってみちるは100円を機械に投入し、バッターボックスに入る。


「みちる。100円で何球なの?」

「5球!」


みちるはバットをぶんと振り抜く。


カキ―ン。カキ―ン…。

打つ度に独特な金属音が響く。


…結果5球中4本ヒット。


「次、だれやる?」


みちるが打ってるの見てる限りだと、そんなに難しそうにはみえない。案外簡単なんじゃ…?


ここで一発ホームランとか打って弥勒ちゃんにかっこいいって思われたい…!


「私、やる」

「真理、できそう?」

「楽勝楽勝」


私はバットを握って構える。ここをこうやって…あとは打つだけ。楽勝でしょ。


「真理、手逆だよ」

「逆?」


ああ…。これ右手が上で左手が下なのか。


ズバーン。


あれ?思ってたよりはや…。


私は次々と投げ込まれる球に対して闇雲にバットを振るが、かすりすらしない。


…結果5球中0本。惨憺たる結果だ。まさかこれほど難しいとは…。


やっぱり見るのとやるのとじゃ違うんだな。


「真理あんなに楽勝っていってたのにー」

「うるさいなあ」

「次、π子がやりたいですぅ」


π子がゆっくりとバッターボックスに入る。


「ふふふ…。π子は最強の打法を見出しましたぁ。かかってこいやですぅ!!」


なぜか自信満々なのが伝わってくる。いったいどんな秘策を…?



…しばらく待っても何もおこらない。っていうかまず球が投げられない。


「π子お金いれてないんじゃ」

「あ、わすれてましたぁ」


π子は機械にお金を投入し、わざとらしく咳払いする。


「改めて気を取り直して…かかってこいやですぅ!!」


勝負の1球目。ズバーン。π子は一球目をバットすら振らずに見送る。


「なるほど…把握しましたぁ」


そして2球目。π子は突然片足を地面から離し、まるで竜巻のように回転しだす。


ぐるぐるぐるぐる…。


「あれはっ…伝説のトルネード打法!!!自分の背骨を軸にし、遠心力の力を借りることによって通常の何倍もの破壊力を叩きだすことができる!!しかしそれは一方でタイミングを合わせる難易度が飛躍的に高くなることを意味するだがっ…π子選手まさかそのタイミングを完全に計算していたのか―――――!!!??」


みちるがどこぞの解説者みたいな喋り方で説明してくれる。


π子のバットは投げ込まれた球を芯でとらえた。


「これが遠心力の力ですうううぅぅ!!!」


カキ―ン。ボールは凄い勢いで弾き返される。

見事なヒット…しかし…。


π子は目が回ってフラフラになり、とても次の球を打ち返せるような状態じゃなかった。


「π子!いいから戻ってこい!」

「…ですぅ」


…結果5球中1本。3不戦敗。


π子の次は…弥勒ちゃん。弥勒ちゃんもやったことないって言ってたし、早々当たらないよね。


「じゃあ次私ね」


弥勒ちゃんがバッターボックスに入る。


カキ―ン。

カキ―ン。

カキ―ン。

カキ―ン。

カキ―ン。


…結果5本中5本…ホームラン。そして全打球を当たったら音が鳴る的に当てる。


「弥勒…何者?」

「ほんとに初めてなんですかぁ?」

「…初めてよ」

「すごい…弥勒ちゃん」


私は素直に感嘆する。弥勒ちゃんって運動神経も抜群なんだ。


「となると…ヒットなしは真理だけ…と」

「うぐっ…」


いらり。みちる余計なこと言いやがって…。


私は軍資金の残高を確認する。


電車代を除くと600円。計30球。


「みちる…600円で私、打つわ…!」

「真理ってばセンスないからな―。じゃあホームラン打てたらジュース1本おごってあげる」

「1本?それじゃ元取れないから4本よ4本」

「いいだろう。その勝負…のった!!」


こうして私は己との戦いを始める。絶対に弥勒ちゃんにかっこいいところ見せるんだ…!

1本も無駄にはできない!私は全神経を集中させて球にくらいつく。


ぶん。ぶん。ぶん。ぶん…。


私の意気込みも虚しく、最初の20球は空を切るばかりだった。

しかし、確実に上達はしている…!残り10球。


ぶん。ぶん。かすっ。ぶん…。


残り5球…!


私はヒットらしいヒットすらないままラストの100円玉を投入する。


カキ―ン。


ヒット…!だけど私は…ホームランが打ちたいっ…!


「真理!もっと腰を据えてすくいあげるように!」

「頑張ってですぅ」


みちるとπ子の声援を受け、私はいっそう精神を研ぎ澄ます。


カキ―ン。ヒット。

ぶん。空振り。

カキ―ン。ヒット…。

そしてとうとうラスト1球…。


うわあなんかダメな気がしてきた。私いつもこういう時ダメダメなんだよなあ。


ついてないっていうか持ってないっていうか…。


ふと幼稚園の時の運動会を思い出す。

幼稚園の時の記憶なんか殆どないのに、これだけは今でも鮮明に覚えている。


あの時は…。パパとママが見てくれて、応援してくれてるってだけで嬉しかったなあ。


私は一位を取ったところをどうしても見せたくて一生懸命走ったんだけど…途中で転んじゃって…。


…あれ?おかしいな。バッティングセンターなんてただの遊びじゃん。なんで私こんなに本気になって…。


要領悪いんだよなあ昔から…。つまらないことでムキになって…。

私って…。私って…。私なんか…。



「真理ちゃん!!頑張って!!」



…弥勒ちゃん?弥勒ちゃんが応援してくれたの?


そうだ。感傷に浸ってる場合じゃない。弥勒ちゃんが見てるんだ。


憧れだった弥勒ちゃんが。夢の中の存在だった弥勒ちゃんが。

私を見てる…!見てくれている…!かっこ悪いところは…見せられない…!!!


うおおおおおおおおおおお!!!!


バットの芯で思い切りボールをとらえる。

いっけえええええええええ!!!


そして、振り抜いた…!!!




カーン…。「ホームラン…ホームラン…」


やった…。やったんだ…。私、やったよ…!


振り返ると、弥勒ちゃんが静かに笑ってくれた。


その笑顔はたぶん、一生忘れないだろう。



***



「いやー。まさか本当に打つとは」


私はみちるからジュースを4本受け取る。


「かっこよかったですよぅ。真理ちゃん」

「えへへ…」


私は受け取ったジュースをどうしようか考えて―――…1人1本ずつになるよう手渡した。


「えっ。真理いらないの?せっかくあげたのに」

「うん…。これはその…お礼…かな?」

「そうかそうか…良い子に育ちおって…さすがワシが育てただけあるのう…」

「育てられたおぼえはないっ!!」


仙人のような声真似をするみちるに半ば脊髄反射でツッコむ。


女の子四人が、自動販売機の前のちょっとした広場で乾杯する。


喉元ではじけるような炭酸が心地いい。


「ぷはー」

「おいしいですぅ」

「真理ちゃん」

「?」


私は弥勒ちゃんに呼び止められ、飲むのをやめる。


「そのジュースちょっとちょうだい」

「!?」


私はぎょっとする。弥勒ちゃん自ら…その…か…かか間接キスを!?


「…だめ?」

「だっ…だめじゃ…ないけど」


女の子どうしなら間接キスはギリギリセーフのはずだ。これを拒んだら確実にみちるとπ子に怪しまれる。


そこで私は気付く。……私、もしかして弥勒ちゃんに弄もてあそばれてる!?

弥勒ちゃんは満足そうに笑った。


「じゃあ少しだけもらうわね」


さっきまで私が飲んでいた部分に、弥勒ちゃんが唇をつけ―――あああああ……!!!


その様子を見ていたみちるとπ子はひそひそと密談する。


「ね。ね。なんかあの二人…」

「それ、思いましたぁ。少し変ですよねぇ」


にやり。みちるとπ子はまるで新しい玩具を見つけた子どものようにほくそ笑んだ。


「弥勒!急でごめん!提案があるんだけど…」

「なにかしら」


…みちるは声のトーンをひとつ下げ、真剣な眼差しで言った。


「帰宅部…入ってくれないかな?」


弥勒ちゃんは目を見開く。今日私たちが遊んだ目的を理解したようで、視線を泳がせる。


「でも…私…」

「ごめん弥勒。いじめられてるってことは真理から聞いてるんだ」

「…そう…知ってたのね」

「私たちは突然いなくなったりしないから。だから…もうひとりで抱え込まないでほしいんだ」

「……」


弥勒ちゃんはおし黙る。


仲が良かったはずの文芸部員。ある日を境に来なくなってしまったのが、相当なトラウマだったのだろう。


私は弥勒ちゃんの気持ちを想像してみる。

とても…複雑な気持ち。

言葉でうまく表せないけど…。この世界に対する失望のような。

裏切られるかもしれない、傷つけてしまうかもしれない…そんな気持ち。



頬につたう一筋の涙。弥勒ちゃんは…泣いていた。


「あれ?おかしいわね。なんで私、泣いてるのかしら」

「おかしくなんかないよ。ちっとも」


みちるは弥勒ちゃんを抱きよせ、なだめる。


「…涙が流せるから、人は道を間違えないんだよ」


弥勒ちゃんは頬をひくつかせる。

そしてみちるの腕の中で…嗚咽おえつ混じりに泣きだした。


きっと…『無視』以外にもひどいことをされてきたのだろう。『いじめ』か『いじめじゃない』か判断できないような、ギリギリのラインで。それは主に肉体的ないじめではなく、精神的ないじめ。教師が迂闊に手出しできない、姑息で狡猾ないじめ…。


それを泣き言一切いわずに、全てを自分の中に必死に閉じ込めて、耐え抜いてきたのだ。


「大丈夫…。大丈夫―――…」




π子は空を見上げる。


「今日のお月さんは綺麗ですねぇ」

「ちょっと欠けてるけどね」

「…人間の心みたいですぅ」

「心?」

「欠けている時の方が長いじゃありませんかぁ」

「…まあ確かに満月は短いけれど」

「…だからこそ幸せは幸せであり続けるんでしょうねぇ」


柄にもなくπ子が詩人なので、私は可笑おかしくなってしまう。


幸せである一瞬は短い。一生のうちに絶望の方が多いなんてことはざらだろう。

でも…人間はその短い幸せを切望し、希求する時にはじめて息をするのだ。

幸せであろうとしない人間は、死んでいる。


今日の夜は、そんなことを考えながらベッドに潜った。

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