第8話本能だから、仕方がないっ!!
放課後である。
俺は普段あまり行かない部室棟をウロウロする。文芸部の部室は…たしかこの辺。
あ、あった。俺は『文芸部』という文字を見つけ、戸をスライドさせる。
中には平田さんだけがいた。
「いらっしゃい」
文芸部の部室は大きな本棚で囲まれ、中心に長机がある。
窓から夕陽が差し込んでいて、そのオレンジは俺をノスタルジックな気分にさせた。
「文芸部員って平田さんだけなの?」
俺は席に着くやいなや、気になった質問をする。
うちの学校は少なくとも3人部員がいないと部として認定されない。
「…いるわよ。幽霊部員二人が」
「…なるほど」
いじめの手はここまで及ぶのか。かなり粘着質。よほど強い怨恨か、それとも…。
「で、話したいことってなにかしら?」
俺はなんて言うのがベストか逡巡したあげく、あまり核心には触れない方向でいこうと思った。
「実は平田さんと友達になりたいっていうヤツがいるんだが」
「男の子?女の子?」
「一応、女の子」
「じゃあなんで自分で話しかけてこないのかしら」
ごもっともだ。フォローの余地のない正論である。しかし俺はフィギュアのためにもこれをフォローせねばならない。
「そいつさ、極度の恥ずかしがり屋なんだ」
「ふうん。じゃあその子にひとつ伝えてくれるかしら」
平田さんは一拍おき、呼吸を整えてからしゃべりだす。
その時、一瞬、ほんの一瞬だが平田さんが寂しそうな目をしているように見えた。
「『私と友達になんかならないほうがいい』って」
想定はしていたが…。これは詰んだのではなかろうか。
生半可なアプローチじゃ盟約を果たすことができないと悟る。
「それは…その…いじめられるから?」
俺は相手の顔色を窺いながら質問する。
「あれをいじめといっていいのか分からないのだけれど…。不特定多数からの執拗な悪意という意味ではそうなるのかしらね」
「きっかけは?」
「きっかけなんてないわよ。ある日突然」
俺は予想外の答えに少し動揺する。
「そんなのおかしい…。理由もなく人をいじめるなんて…」
「あら?この世界には理由がないものなんて沢山あるわよ?もっとも、私たちが知覚できていないにすぎないのだろうけど」
知覚できていない?
『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』みたいな?
…そんなものは今はどうでもいい。
「平田さんはこの状況をどうにかしたいと思わないの?」
「私は―――」
平田さんは言葉を濁らせる。
少しでも迷うということは『どうにかしたい』と思っていることに他ならない。
しかし彼女は「現状で満足だわ」と答えた。
なぜだ?なぜ平田さんはこうも解決に消極的なのだ?
本人がこう言っている以上、下手に首を突っ込むのは逆効果だろうが…。
「恋に恋するのは、見せかけに迷うこと。
恋に恋するのは、道化を演じること。
愛しすぎるのは、子どもっぽい絵そらごと。
人を信じるのは、学校だけで習うこと。
月のきれいなある晩に、
わたしは恋に恋してしまった。
おろかなわたしは、何にも見えていなかった。
わたしは恋に、永遠の恋に
恋してしまった。
でも恋はわたしと気まずくなった。」
「…なに…それ?」
俺は平田さんの突然の詩吟に、警戒を強める。なに考えてるんだ?
「ローレンツ・ハート。ミュージカルの歌詞よ。鹿島君…どう思う?」
「どう思うって…。恋って難しいなー…とか」
「そうね。難しい。人を愛することは何よりも難しい。奇跡といってもいいわ。それなのに何故人は恋するのでしょう」
「そりゃ本能で…」
「本能?本能ってなに?」
本能…なんだろう。言われてみれば掴みどころのないもののように思える。
「本能は…本能だろ」
「面白い解答ね。つまりそれ以上の抽象化はできないと」
「…ああ」
平田さんは立ち上がり、俺の顔にそのご尊顔を近づける。
「じゃあ志水さんが恋をしてるのも…本能?」
「!?」
俺は志水の名前を一回も口にしていない。なぜ平田さんは俺が紹介しようとしているのが志水だと…。
そして何より「恋をしてる」ってのはなんだ。そこまでバレてるのか。
「…図星って顔ね。私としてはカマをかけてみたつもりなんだけど」
「ああ…その通りだ。なんでわかった?」
「なんとなく…かな?」
エスパーかよ。どんだけ人からの好意に敏感なんだこの人。
…いや、待て。志水の方があからさますぎたという可能性もあるな。
どちらにしても話が早く進みそうで助かる。
「で、どうなの?志水さんが恋をしてるのって本能なの?それって矛盾してない?私は興味があるの。同性に惹かれる理由。その『答え』が知りたくて」
「…俺に聞かないでくれ。明日本人もここに連れてくるから。興味があるなら本人に聞いてくれ」
「それもそうね。じゃあ…この辺でお開きにしましょうか」
外を見ると、いつの間にか日は落ち、下校時刻としてはちょうどよい頃合いだった。
俺は席を立ち、文芸部の部室を出る。
「くれぐれも忠告よろしくね」
帰りざまに言われた言葉がずっと鼓膜にこびりついていた。
***
(で、どうだった?)
登校してすぐに志水は魔法で脳内に話しかけてくる。
(お前…全部バレバレだったよ)
俺は呆れて返事をする。
(バレバレって…えっ…えっ!?)
驚きの声を脳内であげるってのも器用だなとしみじみ思う。
(だから何も心配いらない。今日の放課後文芸部の部室にいくんだ)
(…ついていってくれるの?)
(もちろん。お前一人だと逃げだしそうだからな。それに俺のフィギュアがかかってるし)
(ゲンキンなヤツ…)
(いやあ、それほどでも)
そこで通信が途切れたので、志水がキーホルダーから手を放したのだとわかる。
しっかし…。現状は絶望的。
あの様子だとオーケーはたぶん出ないだろう。いじめに関しては情報が不足しすぎてなんとも言えない。文芸部の部室で接触していればしばらくは安全だろうが…。
「様子見しかないか…」
俺はがっくり肩を落とす。まったく面倒なことに巻き込まれたもんだ。
今日の謎パンは何味だろう。がぶり。
いつものように屋上でぼっち飯。
舌に残った味は――コーヒーとカルピスを混ぜ合わせて仕上げにナンプラーをかけたような味。
うん、美味い。なぜこれが人気ワーストなのだろう。不思議。
空模様は晴天だが、遠くに鼠色の雲が見える。
早々と謎パンを食すと、俺は昼寝の体勢に入る。おやすみなさい。
扉の開く音がした。まあ例によって例のごとく遊馬だろう。
「やっと見つけた!」
「?」
目を開けて確認する。
「いっつも昼休み教室にいないからどこに行ってんのかと思ったら…。こんな所で昼寝とは…」
「なんだ志水か。おやすみ」
俺は眠気に勝てず、再び目を閉じる。
「コラッ!!寝ない!!」
鬼の形相で左右のほっぺをつねられる。もしかしてご褒美ですか?
「あんたとしゃべるのも久々だしさ。一回ちゃんと顔合わして話しといたほうがいいのかなーって」
「何を?」
「そう言われると…特に話すこともないんだけど…。ただフラれちゃうんじゃないかなって。そんな気がするの」
俺は昨日の平田さんの言葉を思い出す。
「…同感だ」
「あはは…やっぱりそうよね」
「上手くいくはずがない」
「ひっどーい」
「すまないが用がないなら帰ってくれ。昼寝は俺にとって神聖な時間なんだ」
「用ね…用なら今できた」
そう言って志水は俺の隣に横になる。
「ちょ…!おまっ…!なにやって…!」
「なにって…私も眠くなったから。…ふぁあ」
欠伸の音がこそばゆい。…逆に眠れなくなってしまったじゃないかこんちくしょう。
むこうはお構いなしに可愛らしい寝息をたてる。
コイツ…。俺との関係小学生ので止まったままだと勘違いしてるんじゃないだろうな。
いっちょこらしめてやろう。
体勢をローリングして志水の方を向く。
…そこにあったのは紛れもない女子の寝顔。
それを意識した途端、自分の鼓動が速くなるのがわかった。
俺は自分のムスコと会話する。
「どう思う我がムスコ」
「いやあ、とても尊いっすね」
「そうか。俺もそう思ってたところだ」
「恋ってヤツっすか!?お熱いっすね!?」
なんかウザいが放っておこう。
「恋…なのか?」
「恋じゃないならなんなんすかね?」
「…本能」
「本能!?ぶっは!!」
「何がおかしい」
「本能ってのは何も考えてない時の生理現象っす!パピーは色々と計算してるじゃないっすか!生理現象って呼ぶには高尚すぎやしませんかね!?」
「なるほど。俺は様々なバイアスを比較検討したうえでこのグレイトマグナムスタン砲を発射準備していると」
「そうっす!人間にかぎっては恋は本能じゃないっす!運命の人も運命じゃないっす!全部理性が都合よく書き換えてるだけっす!」
「…」
俺は黙った。それと同時にムスコもしぼんだ。
理性。俺たちの行動を決定づける何か。俺たちがそれを駆使しているのか。逆に、俺たちがそれに駆使されているのか。自分とはなにか。どこからが自分なのか。
俺は一瞬、自分が怖くなった。
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