第3話緩やかな日々

「うお―――い!!!二人とも来てる――――!!!??」


ずばあん。

みちるは部室のドアを勢いよく開く。


この元気に満ち溢れたボーイッシュガールは徳永 みちる。私の親友で、帰宅部の部長である。


「π子はまだ来てないよ」


私は一人、緑茶を啜りながら答える。


「んー…。やっぱりあと数人は部員が欲しいなあ。帰宅部始まって以来の少人数」

「今までそれなりに人いたんだこの部活…」


部活…といってよいのだろうか。私の所属している帰宅部はただひたすら雑談を繰り返す不毛の場である。


顧問のスカウトで入部が許されるのだが、その判断基準は不明で、活動目標すら曖昧。

そして代々部室で飼われている亀の『ドンキ』の年齢は学校の七不思議のひとつとして登録されている。


「まあ…細かいことはいいや…よっと」


みちるは『青嵐高校一年間のスケジュール』を机に広げる。


「直近のイベントは…海水浴と夏祭りだなあ」

「けっこう先ね」


と、ここで部室のドアがおずおずと開いた。


「ごめんなさぁい。遅れましたぁ」

部室につくやいなや、π子はへたり込んだ。


「怒られて、お腹…空きましたぁ…」

威勢のよい腹の虫が聴こえてくる。


「怒られて?」

「はい…美凛ちゃんにそりゃもぅこっぴどく…」


美凛ちゃんというのは我が帰宅部の現顧問、吉川 美凛先生のことである。

煙草に黒い革のライダースーツが似合いそうなハードボイルドな女性で、一部の女子に熱狂的なファンがいるとかいないとか。


「ああ…もしかしてあれか。ブラックホール」

「あれはひどかった…。学校半壊一歩手前だったもんね…」


π子は発明がライフワークみたいな感じで、時々発明品を学校に持ってきたりするのだが、日常の二文字を瓦解させるレベルのが混じってたりする。


ぐううううう…。


「そんなことよりお腹が…がくっ」

π子の腹の虫が小気味よいリズムを取り始める。


私はカバンの中を漁り、ぼたぼた焼の袋を見つける。


「これ…いる?」

「あ…ありがとうございますぅ!」

π子は決死のエネルギーを振り絞って、ぼたぼた焼にかじりつく。


「なんとか助かりましたぁ」

「そりゃよかった」


不意に、みちるが笑いをこらえている姿が視界に入る。


「…なによ」

「真理ってさあ…おばさんくさいところあるよね」

イラッ。

「あっそ…。じゃあみちるにはぼたぼた焼あげない」

「いいよ、いらないもん」


そうして私たちは今年の海水浴をどこで行うかを話し合う。

近いところがいいという意見と、遠いところがいいという意見が何度も衝突する。


その間、私とπ子はぼたぼた焼をばりばりぼりぼり。

口に運ぶたびに良い表情をするπ子を見て、我慢の限界を迎えたらしく、みちるが話しかけてくる。


「あっ…あの…真理さん?」

「なに?いらないんでしょ?」

「うっ…えっと…」


私は自分の中にサドスティックな感情がふつふつと起こるのがわかった。


「これが最後の一袋ね…」

「私にもください!!!」


観念したのか、みちるがらしくなく頭を下げる。

「素直でよろしい」


みちるにぼたぼた焼を手渡す。顔をあげたみちるはまるで神様かなんかを見るかのような表情で私を凝視する。食べてよし。


その後、海水浴場は間をとってちょうど中間地点にある場所で決着がつく。


唐突にπ子が口火を切る。


「私新しい発明品持って来たんで見て欲しいんですけどぉ」

「物騒なのは却下」

「物騒じゃないですよぅ。とても、とても平和的ですぅ」

「…じゃあ見せて」




π子は徐に立ち上がり、そして―――…

机に手をつき、お尻を突き出した。


「π子のお尻を…できるだけえっっっちに!!どえろく!!触ろうとしてください!」


私とみちるは飲みかけのお茶を噴き出す。


「な…なんで?」

「いいから触ってください」

私とみちるは目を合わせて、ひそひそと緊急会議を始める。

「ど…どういうつもりだろう」

「…さあ」


π子の真意はわからないが、これは私にとって確実に即死イベントだ。どうにかして回避しなければ…。


「どっちが先行くかじゃんけんで決めよう」

「…どうしても?」

「うん」

「…は…話し合いじゃ…駄目かな?」

「?…じゃんけんは究極でしょ」

「…わかった」


みちるはじゃんけんが滅法強い。経験上、普通にやったらまず勝てない。


私は最終奥義を使うことにした。すなわち『最初はグー』でパーを出す作戦。


子供っぽいが、そのじゃんけんは確実に無効になる。その後なあなあで話し合いに持ち込めば―――ふふ…話し合いだったらワンチャン。


「最初は…―――」


みちるの表情を窺う。


…なっ!?笑っている…だと!?


これははったりか?それとも…ただ笑っているだけか…?

いや…これは読んでいる!私の手の内を!

となると相手が出すのはチョキ!私はグーを出すだけで…。


刹那の勝負で、互いの視線がバチバチと火花をあげる。


…違う!この笑みはっ!!!


勝者の笑み!!!


負ける可能性など微塵も考えず!!相手の一歩先を読んでいるという余裕!!!


みちるは必ず…パーを出す!!


そうして私をからかうつもりなんだろうが…こっちはお見通しだ!


私はチョキを出した。全身全霊、一球入魂のチョキを。


それにも関わらず…だ。


みちるはグ―を出していた。

何故だ?

私は茫然とする。


「あっ…真理の負け!」


みちるは嬉しそうにニコニコする。


「なんでそんな強いのよ…」

「んー…。才能?」


才能の一言で済む話じゃない。


相手の心理を読む洞察力。手の動きを即座に変える反射神経。

そして何よりも―――圧倒的なまでの勝負師の勘ッッ!!!(※ズルして自爆しただけ)


完全敗北。

完全敗北である。


おぼつかない足取りでπ子の背後にスタンバイ。


女の子の丸々とした桃尻ーーー。


そして私はπ子のお尻を―――。

お尻を―――。


いやいやいや。ダメでしょ。常識的に。こんな痴漢まがいのこと…!

…しかもっ!!女の子同士でっ…!!!


自分の顔が熱くなってゆくのがわかる。私には『あの人』が…!『あの人』が…!!

あああああっ!!でもっ!でもっ!!でもぉっ…!!


「ちょ!真理!鼻血!」

「えっ」


自分の鼻からだらだらと流れる血。…一年前まではこんなんじゃなかったのに。


『あの人』に出会ってから、自分の中で何かが変わった。


変わってしまった―――のほうが正しいのだろうか。

早く手を打たないと…このままだと私…。

というかお尻触ろうとして鼻血流す構図はバカみたいで恥ずかしい。


「もう…真理ちゃんたらぁ…えっちなんだから…」


うわああああ!やめろみちる!耳元で囁くなぁあああっ!!ムズムズするっ!!


「しょうがないなあ。お姉さんに任せてごらんなさい」


みちるが調子に乗ってπ子のお尻に触ろうとした瞬間―――がぶりっ。

どこからともなく現れた謎の物体に手を噛まれた。


「痛ったああああああああ!!!???」


みちるが振りほどこうとぶんぶん振り回すのは可愛らしい子犬の人形だった。


「名付けて『痴漢ホイホイくん』ですぅ」


π子は満足気にしたり顔をする。


「痛い!!π子!!助けて!!」

「えーと…解除パスワードは…アレ?」


π子はタブレットを色々操作した後、気まずそうな表情を浮かべる。…まさか。


「忘れて…しまいましたぁ」


その言葉を聞いて、みちるが青ざめる。

バカなのか頭が良いのか…。


「手がっ…手がもげるうううう―――――――ッッ!!!」


みちるの絶叫は小一時間続いた。


ひとつだけ確実にいえること。

痴漢、ダメゼッタイ。

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