永沢剛、入会します
※永沢剛視点です。
「永沢君、ちょっと」
放課後部活へ行こうとしていた俺、永沢剛は、突然、彼女に声をかけられた。
「塩野さん?」
長い髪がサラサラとしている。まつ毛がびっくりするほど長い。
学校のアイドル塩野凪に、声をかけられて、ドギマギする。面識がないわけではないが、それ程親しいわけではないし、同じクラスになって、まだ一週間にもなっていない。
なにぶん彼女はとても目立つので、声をかけられた俺はクラスの男どもの視線の集中砲火を浴びている。
彼女もそれを感じたのか、困ったなあという顔をした。
「うーん。歩きながら話そうかな」
彼女はそう言って、俺に廊下に出るように促した。
俺は鞄を手にして、彼女の後を追う。興味深げな視線が男女を問わずに飛んでくる。
「何? 話って」
人影が少なくなったところで、声をかけると、彼女が苦笑気味に笑った。
「永沢君はモテるねえ。もう、女の子の視線が痛いのなんのって」
「へ?」
俺がポカンと口を開けると、塩野さんは申し訳なさそうに俺を見た。
「ごめん。あのね。永沢君、まだ釣りに興味ある?」
塩野さんは遠慮がちにそう口を開いた。
俺は、一瞬、息が止まる。
昨年末。俺は、はじめて本格的な釣りを体験した。
腕に残る『引き』の感覚。潮の香り。そして、自分の釣った魚を食べると言う満足感。どれもが忘れられない。
ただし。それは、ほろ苦さのある想い出だ。俺を釣りに誘ってくれた彼女は、今や俺の友人である亮の恋人である。
最初から彼女が俺を見ていないことは知っていたけど。
それでも。
あの日。楽しかった想いは消えていない。
「うちの兄さんがね、永沢君と釣りがしたいって言うの。私と、兄さんと永沢君の三人で」
塩野さんが遠慮がちにそう言った。
「保さんが?」
あの日、俺は亮に釣りの手ほどきを受けていたから、それほど保さんと話をした記憶はない。
「釣りって言っても、フナ釣りね。今週の日曜日の予定。これ、私のアドレスだから、来る気になったらメール頂戴ね」
塩野さんはそういって、名刺をくれた。ビジネスタイプの飾り気のないタイプだ。
高校生の名刺なのに、営業マンみたいだなあ。
ふとそんなことを考えていると、
「連絡、まっているから」と、彼女がゆっくり微笑んだ。
思わず見惚れてしまうほど可愛いらしくて、ドキリとして思わず視線を外す。
ついこの前、彼女の親友に失恋したばかりだというのに、自分の節操のなさに呆れた。
「それじゃあ」
彼女が離れていくのを見ながら、俺は首を振る。
そう言えば、亮は塩野さんとも仲がいいのに、一緒にいても少しも心動かされたようには見えなかった。
同じバレーボール部のマネージャーの中野が、細かくアタックをかけていても、まったく気にも留めていなかったし。
ようするに、その一途さの違いか?
ふう。
俺は自己嫌悪に陥りながら、手にした名刺に目を落とした。
湧き上がった「行きたい」という気持ちが、「釣り」なのか、それともそれ以外の理由なのか、自分でもよくわからなかった。
約束の日曜日。
俺の家に、前に会った川村さんが車で迎えに来てくれた。
なんでも、今日の釣りは、塩野コンツェルンの保有している工場の敷地にある池らしい。
敷地にある池なら、沼野先生の実家の裏の沼くらいかなー思ったら、想像していたよりずっと大きくてびっくりした。
さすがは塩野コンツェルンである。庶民の感覚はいっさい通用しない。
「やあ、永沢君、元気そうだね」
駐車場を降りると、保さんと塩野さんが待っていた。前にも思ったが、この兄妹は、眼福である。つい見惚れてしまうほど、綺麗な顔だ。
「今日は、お誘いいただいて、ありがとうございます」
ペコリと頭を下げると、ぷぷっと、塩野さんが笑った。
「そんな、堅苦しい挨拶しなくていいよ。あー、永沢君も糸田君と同じで体育会系男子だったね」
ふむふむと塩野さんが何か勝手に納得している。
「でも、永沢君は、糸田君と違って外見からあまり体育会系のにおいがしないのよね」
「ナギ、亮君の話は、今日は禁句だろ」
保さんが塩野さんをたしなめるようにそう言った。
「大丈夫です、俺、そこまで気にしていませんから……」
「気にしているのは、兄さんよ」
塩野さんが口の端を少しだけ上げて、俺のそばにやってきて、ぼそりとそう言った。
「え?」
きょとんとした俺の肩を塩野さんはポンとたたいた。
「ごめん。永沢君。兄さんのリハビリに付き合ってやって」
リハビリ?
塩野さんの言葉を聞きながら、俺は首を傾げた。
そう言えば、保さんも『彼女』が気になっていたようだった。雰囲気がマイルドだったから、妹の親友ということで、ほぼ「妹」的ポジションなのだろうと思っていたのだけど。(それ以前に、亮のガードがすごすぎて、そこまで気が回らなかったのかもしれない)
もし、保さんが俺と同じ気持ちだったとしたら。こんなハイスペックな人に勝った亮の執念に、俺は尊敬の念を抱いた。
池の側に、大きなタープがはられ、折りたたみテーブルの上に釣り道具が用意されていた。
飲み物も用意されており、至れり尽くせりだ。
池の傍らにはすでに折り畳み椅子も用意されている。
「本当はね、うちの敷地じゃないところへ行きたかったのだけど、そうなると川村さんに迷惑かけちゃうのよ」
塩野さんはそう言って首をすくめた。
「塩野さんは、彼氏とデートするときも護衛つきなの?」
俺がそう言うと、塩野さんは苦笑した。
「さあ? 私、デートとかしたことないもの」
俺はポカンとした。ちょっと信じられない言葉だった。
「塩野家の娘って気にせずに、付き合ってくれるのって、遥と糸田君くらいだもの」
少し寂しそうに塩野さんはそう言ってから、俺の顔をじっと見る。
「ちょっと。まさかと思うけど、私が糸田君のことを好きだとか勘違いしたりしないでよ?」
「え? そんなふうには思ってないよ?」
俺がそう言うと、ならいいんだけど、と、塩野さんは頷いた。
「ごめんね。勘の鈍い人間ばかり見ていると、世の中全部がそういう人種に見えてきちゃって」
まあ、あの二人は本当にニブかったから仕方ないが。
「永沢君、釣りを始めよう」
保さんが、竿を俺に渡してくれた。
餌は、練り餌を使うらしい。
「まずは、バラケ用で寄せて、食わせ用の餌で釣る」
丁寧に練った餌をさして説明してくれる。
「針はふたつ。上の針がバラケ用。下の針が食わせ用だ」
「なるほど」
「この時期は、ヘラブナは、中層、つまり真ん中あたりの水深にいることが多い」
特に、春は産卵のために浅瀬に来ることがあると保さんは補足した。
「当たりは、来たと思ったら、合わせたほうがいい。ヘラブナ釣りは奥が深くてね……正解は、正直、わからない」
保さんはそう言って、にやりと笑った。
俺は竿を借り、用意してもらった餌を触る。二種類の練り餌は感触がまるで違って、保さんのこだわりを感じる。
この二種類の練り餌の作成も含めて、極めていく釣りなのだろう。
俺は、タナ取りという作業を教えてもらい、仕掛けを調整した。
なんだかワクワクしながら、餌をつけ、ポイントに糸を垂らす。
「永沢君も、亮君から『報告』されたのかい?」
ポツリ、と保さんが口を開いた。
「え? あ、はい。」
俺は頷いた。
「律義だよね。まあ、亮君らしいけど」
保さんは複雑そうに笑った。
冬の終わりに。亮は、俺に『彼女』に告白して付き合い始めたということを報告してきた。嫌味ではない。勝ち誇ったわけでもなくて。彼なりのケジメなのだろう。
「でも、俺の場合は、最初から勝てるなんて思ってなかったですから」
好きだと意識したのは昨年の秋ごろ。でも、そのころには既に二人が相思相愛なのがまるわかりだった。それでも、すぐに身を引けなかったのは、格好悪いと言えば格好悪かった。そのせいで、亮は俺に対して、警戒しまくっていたけれど。
竿から伸びた糸の先のウキを見ながら、俺は苦笑する。
「亮は、いい奴ですから」
「ま。あれだけ一途な奴も少ないな」
保さんも同意した。亮はまっすぐで、それでいて気配りのきく男だ。少々強面だが、精悍な顔立ちをしている。
男が見ても、男らしい奴である。
「でも。まあ。今年は、クラスが違ってほっとしました」
春のうららかな日差しのなか、ほんの少し苦い想いが胸に広がる。穏やかな水面にウキが波紋を作った。
部活で亮に会うことはあるけれど、別段、普段と変わりない。二人とも、付き合いだしたからといって、突然、何かが変わるようなことはないようだ。ただ、二人でこっそり待ち合わせして帰ったりしているようではある。
「亮が俺に気を使っているのがまるわかりで、そっちのほうがキツイですね」
ウキがピクリと沈む。竿を立てるとぐぐっとした感触が伝わってきた。
「来ました!」
しなる竿から伝わる重み。張りつめた糸。
俺は、ぐいっと竿を引き上げた。
水面に魚影が映る。
「うーん。二十センチクラスかな?」
隣から塩野さんが引き上げた魚を見てそう言った。
「やっぱり、筋がいいね、永沢君」
ニコリと塩野さんが笑う。
「保さんの教え方がいいからだと思う」
俺がそういうと、保さんが首を振った。
「弟子のくせに、先に釣るのは生意気だ。」
冗談とも本気ともつかない感じで、保さんは口をとがらせる。
「ひょっとして、保さんは、負けず嫌いですか?」
針を外しながらそう問いかけると、
「そんなことはない。俺は大人だ」と、子供っぽい口調でそう言った。
稲妻が轟いている。
窓の外を見ると、激しい雨が水面を叩いていた。
お昼までは穏やかだった天気は急転し、俺たちは工場内の食堂に避難した。
「春だねえ」
窓の外を眺めながら、塩野さんが呟く。早めに引き上げたので、ひどく濡れたりはしなかったが、しばらくは外に出られそうもない。
俺は用意してもらった、料亭のお弁当のように豪華な弁当に恐縮しながら、箸を手にした。
「ごめんねー。遥と違って、私は料理できないのよ。だから、うちの料理人さんにお願いしたの」
俺の戸惑いをどう感じたのかわからないけど、塩野さんはそういって、お茶を入れてくれた。
「いえ。あまりのご馳走に、びっくりしただけだから」
俺は慌ててそう言った。
「そう言えば、由紀子ちゃんもお料理上手だったわね。由紀子ちゃんは元気?」
「え? あ、うん。由紀子は、本当は今日も来たいって言っていたけど……用事があったらしいから」
「そうなの? デート?」
塩野さんは目をクルクルさせた。女の子だけに恋バナが大好きなのだろう。
「……さあ? デートとかって、ふつー、兄貴に言わないでしょう?」
俺がそう言うと、保さんがちらりと塩野さんを見た。
「そうなのか? ナギ」
「私は言わないけどね。由紀子ちゃんはお兄さんが大好きみたいだから、違うかもよ?」
「――ナギは俺が嫌いなのか?」
「ノーコメント」
プイと、横を向く塩野さん。そして慌てる保さん。二人とも、とても仲が良いのがよくわかる。
「そういえば、由紀子には俺、ずいぶん責められました。……大磯さんを姉にしたかったらしくて」
俺の言葉に保さんが沈黙し、塩野さんのほうを見た。
「ナギは、何も言わないな……」
「当たり前よ。だって、兄さんより、糸田君のほうが遥を幸せにできるもの」
きっぱりそう言われて、保さんは項垂れた。
「それに、義妹なんかにならなくても、遥は私の親友だもん」
「塩野さん……それ以上は、保さんが」
止めようとした俺を、ぴしぃっと塩野さんが指をさす。
「甘やかしてはダメよ。永沢君。兄さんは最初から横恋慕なんだから」
それは、俺も同罪じゃないだろうか?
「えっと。あのね、私と兄さんは、糸田君と遥がセットの出会いなの。初めて会ったときから、糸田君は独占欲丸出しで遥をガードしていたのよね。遥は、超ニブだから気が付いてなかったけど」
「……なんとなく、想像できるよ」
「兄さんは、遥が全然自分に興味持ってくれないから、気を惹きたかった鬼畜なの。永沢君とは違うよ?」
保さんくらいの美形だと、彼氏持ちの女の子でもフラッと目を向けることはあるだろうなあと思う。しかも、塩野コンツェルンの御曹司。玉の輿狙いの女の子もいるだろうし。
「兄さんが糸田君に勝てるのは年齢だけよ」
「塩野さん、それは、言い過ぎでは?」
保さんが妹の言葉に打ちのめされている。
「糸田君がダメだったとしても、永沢君がいたわけだし、ねえ」
いや、そこで「ねえ」と言われても。
「俺なんかじゃ、保さんには勝てませんよ」
「あら、でも糸田君は、永沢君を一番ライバル視していたわよ?」
くすくすと面白そうに塩野さんは笑った。
「文化祭の後なんて、もう死にそうな顔だったもの」
喜ぶべきなのだろうか? 結局、亮にどう思われていようと、関係ないと言えば関係ないのだ。
「……どちらにしても、フラれたことに変わりはないから」
俺がそう呟くと、塩野さんは「ごめん」と視線を落とした。
春雷が鳴り響く。激しい雨脚はいっこうに弱くならない。
「永沢君は釣りクラブに入る気はないか?」
ぽつり、と保さんがそう言った。
「え?」
俺は戸惑った。
「高校三年だから、積極的じゃなくても構わないし」
「ね、いっしょにやろうよ?」
塩野さんがにっこり笑う。つい、頷いてしまいたくなるくらい可愛らしい。自分の節操のなさに、呆れてしまう。
「亮君や遥ちゃんはあまり友達を呼んでくるタイプじゃないけど……実は、俺たちはもっと学生班を増やしたい」
保さんは静かにそう言った。
「糸田君は遥を他の男の子に見せたくないから、全然呼ばないの。遥は遥で、本気で釣りをしたいひとしか誘わないタイプだから」
「なるほど」
俺や由紀子が本気で釣りをしたいように見えたから、彼女は誘ってくれたのか。
「永沢君は、筋もいいし。人脈も広そうだし?」
「……広くはないけど」
嫉妬しないだけ選択肢は多いとは思うけど、人脈的には亮と大差はないだろう。むしろ、亮のほうが男兄弟だから、釣りをする交友関係は広そうだ。でも……。
「人脈とか期待されなければ、入ってみたいかも……」
もともとアウトドアは好きである。そして、腕に伝わる当たりの感覚は、たまらないもので。
「じゃあ、こっちの書類に住所と名前書いて。今度、会長にも会せるから」
待ってました! と言わんばかりに、塩野さんが書類を俺に差し出した。
「きちんと、書類とかあるんだね」
「うん。一応、うちの会長さんは釣り界では有名な人で、マメなの。会報とかも来るよ」
「会費とかは?」
「年会費は五百円だけど、初年度は無料。会の活動ごとに参加費が決まっているから」
塩野さんはそう言って、会報の束と、アルバムを俺の前に置いた。
アルバムをめくると、塩野さんと『彼女』がにっこりと笑っている写真が貼ってあった。どちらも甲乙つけがたい美少女だ。男を勧誘するのに、これ以上はないというようなツーショット。
磯の風景や、大物を釣り上げ、いつになくドヤ顔の亮。弁当を食べている保さんや、俺のしらない人たちの笑顔。
「楽しそうだね」
俺はアルバムを閉じて、書類に住所と名前を記入した。
「妹は、帰ってから聞いてみる」
「うん。由紀子ちゃんによろしくね」
塩野さんはそう言って俺から書類を受け取った。
「あー。君が成人していたら、乾杯したいところだけど」
保さんはそう言って、食堂の自販機から缶コーヒーを買ってきてくれた。
「歓迎するよ、永沢君」
「よろしくね」
塩野兄妹に微笑まれて。
「よろしくお願いします」
俺は、頭を下げた。
女の子だって釣りがしたい 秋月忍 @kotatumuri-akituki
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