チョコよりメジナに愛をこめて9<如月>
水族館に行くことが決まったので、午後の釣りは早めに切り上げることになった。風も出てきたので、いいタイミングだったと思う。
お互い、結構な釣果があったので、一度、家に帰ってからでかけることにした。
いくら寒いとはいえ、釣りに行く完全防寒服で、水族館に行ったら浮くだろう。
先日、玲子たちに無理やり買わされた『愛されワンピース』が、まさか役に立つとは思わなかった。
制服以外でスカートをはくことが少ないので、ワンピースを着ただけで、すごい気合を入れているような気分になってしまう。
いつものパンツスタイルと、ワンピースを何回も鏡の前で見比べた。
ニット地でふんわりした卵色のワンピースは、少女っぽくって、恥ずかしい。
でも。
バレンタインイベントの水族館なら、オシャレしたほうがいいよね、きっと。
そう思い、思い切って、ちょっとだけ唇にルージュも引いてみた。
家に迎えに来てくれた糸田は、私の格好をみて、黙ってしまった。
水族館までのバスに乗り込んでも、あまり口をきいてくれない。
似合ってないのかな。
センスの良い玲子が太鼓判を押してくれた服だけど。コートや、靴やかばんは自分で適当に合わせたから、ちぐはぐなのかもしれない。
それとも。
気合が入りすぎた格好だから、糸田は引いちゃったのかな……。
糸田自身は、単に夜の水族館に行きたかっただけで、デートするつもりじゃなかったかも…。
「チケットは、持っているから」
水族館の入り口はチケットを買い求めるカップルで混雑していた。
糸田はそう言って、私の手を握った。
「人が多いから、はぐれるな」
そう言って、私の手を引いて、人ごみを抜け、夜の水族館へ入館した。
中に入ると、いつもよりは薄暗い照明になっていて、入り口ほどは混んでいなかった。
「手……握ってなくても、もう、大丈夫だよ?」
「暗いし……減るもんじゃないだろ?」
糸田はそう言って手を握ったまま、奥へと進んでいく。
目に入る周りのカップルは、腕を組んだり、腰や肩を抱き合ったりで、手を握るくらい恥ずかしくもなんともない環境ではあるものの、糸田の大きな硬い手に握られて、口がきけなくなるほどドキドキしている自分がいて。
大きなサンゴ礁の水槽に、綺麗な色の魚たちがいた。
サンゴの間で、休む熱帯魚たち。
大水槽の前に作られたベンチに、私たちは腰を下ろした。
「綺麗だね」
極彩色の水槽は、本当に綺麗だった。
「遥」
糸田の低くて柔らかい声が響く。
「……付き合って?」
「どこへ?」
美しい水槽に気を取られて反射で答えた私の言葉のあと、沈黙が流れた。
「お前、マジか?」
呆れた糸田の声に、私は、糸田の顔を見直した。
真剣な黒い瞳に、射ぬかれそうな感覚になる。
「もし、わざとはぐらかそうとしているなら、はっきり断れよ」
「え?」
糸田の真剣な表情に押されて。突然、心臓が止まるほどびっくりする結論に到達して。
「付き合うって……交際とか、そーゆー意味?」
「夜の水族館で、水槽見ながら言われたら、フツー、そうだろうが」
私は、恥ずかしくなった。ボケすぎだ。私。
「でも、そういうところも含めて」
糸田が私の耳に口を寄せた。
「お前が好きだ」
頭が真っ白になって、心臓の音が体中に響き渡る。
「私――私……」
知らないうちに涙がこぼれて。
「糸田が好き」
「うん」
糸田の長い腕が私の肩にまわされて、引き寄せられた。
「ココア……くれたから」
糸田が小さく呟く。
「やっと、言えた。――情けないけど」
「気づいていたの?」
ココアにこっそりと込めた想い。
「一度、寸止めで告白しそこねて、でも、お前の様子が全然変わらないから、恐くなって、切り出せなかった」
「うん……」
頷く私の頬を、糸田の指が拭う。
私の耳元をやわらかい唇が掠めた。
「大好きだ」
ささやく声に痺れたように。
私たちは、水槽を眺め続けた。
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