チョコよりメジナに愛をこめて7<如月>
木曜日は週二回の水泳部の練習日。日が落ちるのは以前よりゆっくりになり、まだ太陽が地平の上に残っている。
「じゃあ、また明日」
いつもなら、金曜日の練習はないのだが、義理チョコを配るのが面倒なので、義理チョコが欲しい奴は部室に来いという、取り決めをした。練習開始時間頃に、あまり学校に来ていない受験生である三年の先輩たちが顔を出すという約束もあるし、部員が少ないとはいえ義理チョコを配って歩くのは、非常に面倒くさいので、伝統的にそういうことになっているのだ。
ちなみにこの場合は、義理チョコっていうより、配給チョコだ。
欲しい奴は、列になって並ぶのだ。一人一個だぞーみたいな。
そんな、実に心のこもっていないチョコだとわかっていても、男子は受け取りに来る。まあ、部員同士でもカップルはいるので、完全にラブがないわけではないけれど。
しかし、そんなにチョコレート食いたければ、自分で買えばいいんでない?
と、つい思ってしまう。同じ部だから貰えるというような配給チョコは、お世話になってます義理チョコと違って、ほぼ無価値だと思う。最近の女子のチョコ事情は、自己チョコといって、自分用のチョコが一番高級だったりすることもあるらしいし。お返しとかもしないと人間関係崩れたりして面倒だから、男子だって、食べたいものを自分で選べばいいと思うんだけど。
「よう、今帰り?」
下駄箱から靴を取り出していると、声をかけられた。
顔を上げると、ニヤニヤしたコウくんと、糸田が立っている。
「そうだけど、何か用?」
「ハルを待ち伏せ」
片方の口の端だけあげて、黒く微笑むコウくん。
こういう笑みを浮かべたコウくんは本当にろくでもない。私は、心底嫌な顔をした。
「――している亮の付き添い」
しれっとして、そう付け足す。
糸田は肩をすくめた。すくめるだけで、特にどうするつもりもないらしい。
「糸田は、何か用だった?」
ちょっと不機嫌に私がそういうと、糸田は苦笑した。
「……お袋のことで世話になったから、親父さんたちに礼を言おうと思って」
「そこまで気にしなくてもいいのに」
私が靴を履き終える。
「……亮、お前な」
コウくんが呆れたように糸田を見た。
「俺の前だからって、取り繕っているのか?」
「何のことだ?」
「素か? ひょっとして素なのか?」
きょとんとした糸田をもどかしそうに見るコウくん。
「原因はハルだけじゃねーのかよ」
頭をバリバリ掻きながら、コウくんは、そう呟いた。
「待っていてくれたのなら、帰ろうよ」
時計を見ながら私はそう言う。今から歩けば、電車の時間に余裕で間に合う。
思えば、三人で歩くことってあまりない。
糸田とコウ君が親友なのは知っているが、普段どんな会話をしているかはよく知らない。
私がそういうと、糸田は首を傾げた。
「別に大した話はしないけど……普通にテレビの話とか映画の話」
「――俺にしてみれば、お前ら、釣り以外の話をしているの?」
コウくんは、私と糸田を見比べる。
「友達の話とか、学校の話とか、ふつーにしているとは思うけど?」
「まあ、どこかが釣りにつながっている会話が多いのは、事実だな」
糸田は素直にそう言った。確かにそうだけど、それを聞いたコウ君の顔が、やっぱり『釣りバカめ』という表情になる。
「恋バナとかは?」
「フツー異性の友達としないでしょーが。コウくんと私が、いつ恋バナをしたの?」
半ば呆れて、私はそう言った。
「え? 俺、ハルにカノジョへ告白するとき手伝ってもらっただろ?」
「そうなのか?」
びっくりしたように、糸田が私を見る。
あれ? コウくん、糸田に話してないのかな。あれは高校一年の夏ごろ。
明らかに挙動不審になりつつあったコウくんから、恋愛相談を受けて、協力したことがあった。
「……そんなことも、あったかもしれない」
私はしぶしぶ認める。そういえば、彼女の誕生日やクリスマスプレゼントのアドバイスとか、「こーゆーとき、女子ってどうなのよ?」的な質問とか、コウくんはやたらと、私にしてくる気もする。
そういえば、水泳部の遠山も、玲子への恋心を切々と私に語ってくるし。
偶然出くわしたとはいえ、糸田が告白された時、その話をしたのは記憶に新しい。
「ごめん。私、異性の友達でも恋バナ、しているかもだわ」
「ハルは、さっぱりしていて、そういう話しても安心なんだよな。お前、異性の友達多いほうだろ?」
喜ぶべきなのだろうか。結局、恋愛対象として見えないからの安心感じゃないか。
頭を振りながら、駅前の商店街を通り過ぎる。ケーキ屋のショウウインドウに、キラキラのハートのプレートが下げられているのがみえた。
「そうかもね。義理チョコの多さは、私、自信があるよ」
自慢することじゃないけど……。
「そんなに配って、勘違いされたら、どーするんだ?」
幾分、糸田がムッとしたような声でそう言った。
「義理チョコに愛を感じるほど、みんな馬鹿じゃないよ。と、ゆーか、なんで配給みたいに渡されるチョコをみんな取りに来るのか、不思議だけど」
「義理でもなんでも、もらえるものは嬉しいからな」
コウくんはそういいながら、糸田の顔を見る。
「どっかの誰かみたいな意地っ張りのカッコつけは別として」
「うるさい」
ムッとした糸田の顔をこっそり覗き見て、私は首をすくめた。チョコは拒否されたけど、テグスと針は受け取ってくれるわけだし、お返しだってもらっている。律義な糸田からしてみれば、貰ったら返す手間まで考えてしまうのかもしれない。
「ハルは、クラスメイトには配るの?」
「そこまではしない。それだと、投網漁している女じゃん。でも、ひょっとして、コウくんは欲しかった?」
「お前からもらうと、アイツが嫉妬するから遠慮する。ところで、永沢は?」
「え?」
どうして、そこで永沢の名前が? って、そうか、劇で一緒だったし、確かに仲は悪くないし。
友達と言えば、友達なんだけど。
いや、でも。義理でもなんでも、永沢にチョコを渡すのはなんかイケナイ気がする。久美みたいに誤解しているひとがいるし。
「永沢君は、私の義理チョコなんか要らないでしょ」
「そんなことないぞ。永沢は、ハルのチョコ、絶対欲しいと思うなあ、なあ、亮」
コウくんはそう言って、ポンと糸田の肩を叩く。
「浩二――いい加減にしろ」
ものすごくドスの聞いた糸田の声に、びっくりして見上げた。コウくんを睨む目がマジで怖い。
本気で怒っているのがわかる。
「おお、こわ」
本当は少しも怖くないだろうに、大げさにコウくんはそう言った。
ちょうど、駅のホームに電車が滑り込んできた。
「――でさ、ハルは、亮がなんで怒っているのか、わかっている?」
電車に乗るどさくさにまぎれて、糸田に聞こえないようにコウくんが私の耳元で呟くような声で聞いてきた。
「コウくんにデリカシーがないからでしょ」
「……マジか」
コウくんはため息をついた。
「いや、マジだな、きっと……」
コウくんは、私の顔をジロジロ見て、それから糸田の顔に目を向けて。
「俺が全部言ってしまえば話は早いだろうが…」
ブツブツとそう呟いて、頭を掻いた。
何を考えているのかさっぱりわからない。
「せっかく城囲んでいるくせに、城門開くまで待っている気か、お前は」
コウくんは、私に背を向けて、糸田に向かってそう言った。
「俺に怒っている暇があったら、もう少ししっかりしろ」
「お前な……ここで言う必要はないだろ」
糸田が不機嫌にそう答える。
なんだか男二人の会話についていけず、私は窓の外を見た。
流れていく景色が暗くなりはじめていた。
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