チョコよりメジナに愛をこめて2<如月>


 ようやく女子三人から解放され、駅のホームに着いたのはもう夕方だった。

「遥?」

 電車を待ちながら本を読んでいると、後ろから糸田の声がした。

 先ほどまでの話を思い出して、つい意識してしまう。

「今日、部活だっけ?」

「ううん。ちょっと玲子たちと話をしていて遅くなったの」

 顔をそむけながら、息を整える。

「じゃあ、一緒に帰ろう。送っていく」

 低くて優しい声。以前より甘い感じがするのは、私の錯覚だろうか。

 大きな瞳が、私の顔を覗きこんだ。胸がドキリとする。

「お前、顔、赤いぞ?」

「な、なんでもないよ」

 私は、慌てて首を振った。

「糸田は、部活にしては……少し早くない?」

 運動部の練習が終わるには三十分くらい早い気がする。

「ん――。早引けしてきた」

「どうしたの?」

「家庭の事情」

 言いながら、電車に乗り込む。

「だったら、送らなくていいよ。急いで帰ったら?」

 私がそう言うと糸田は首を振った。

「もともと、お前の親父さんに用事だから」

「お父さん?」

「ああ。うちの親父に頼まれてさ」

 少し歯切れが悪い。心なしか、元気がない気がする。

「どうしたの?」

「今度、お袋が手術を受けることになった」

「え?」

 私の顔があまりにひきつっていたらしく、糸田が命に別条はない手術だと、慌てて付け足す。

 糸田のお母さんは、優しくて、明るいひとだ。たぶん年はうちのお母さんと同世代だと思う。

「話は、それと直接関係はないけどな。親父の会社の新年の釣り会のことさ」

「あ、釣り舟ね」

  毎年二回、糸田のお父さんは会社の人を引き連れて、うちの釣り舟を貸し切って釣りをする。

  糸田の家は、レタスとかモヤシを栽培する工場を経営している。

 うちも自営業だが、糸田家は一応、従業員が十人以上いる、立派な中小企業さまだ。

 釣り舟懇親会は、ほぼ糸田のお父さんの趣味だが、毎年たくさんの従業員の方たちが参加している。ちなみに、糸田兄弟は全員参加。私が、糸田と知り合ったきっかけは、その釣り舟懇親会なのだ。

「手術前後を合わせて、ほぼ二週間の入院の予定だからたぶん日程的にはかぶらないし、お袋は関係ないといえば、関係ないんだけど……突然、キャンセルとかすると、お前んちにも迷惑だろうから」

「うちのことはどうでもいいよ」

 私は首を振った。

「おばさん、本当に大丈夫なの?」

  糸田のお母さんは、昨年から、体調不良で病院で検査を受けていたらしい。胃腸の調子が悪いからと、ずっと内科に通っていたらしいが、実際は、子宮筋腫が原因で胃腸を圧迫していたということが、ようやく年末にわかったらしい。

 それで。たくさんの検査やら準備やらを経て、二月の初めに手術することが決定した、と糸田は話してくれた。

「別に、がんとか、そーゆーのじゃないし」

「……うん」

 頷きながら、ふと思う。

 年末年始、ずっといっしょにバイトをしていたのに。糸田はきっとお母さんのことが心配だったはずなのに。

 全然、そんなこと、気がつきもしなかった。

 私って、本当に、鈍い女だ。

「お前が、そんなに落ち込むなよ」

 困ったように糸田が私の肩を叩いた。

「ごめん。こういう時は、私のほうが励まさないとだね」

 慌てて笑顔をつくる。私のほうが『大丈夫だよ』って言ってあげないといけないのに、ダメじゃん、私。

 何か力になりたいな、と、思う。

「おばさんが入院中の家事とかは?」

「たぶん、瞬兄ィと、俺でやる予定。親父は外食もアリとか言って気楽に考えてるし。休みの日は、誠兄ィのカノジョが飯作ってくれるらしい」

「へぇ」

 糸田も、糸田のお兄さんたちも、『男子厨房に入らず』とは真逆の人種。その辺はおばさんも安心だろうな、と思う。

「糸田、学校は?」

「手術当日は休む。でも、あとはフツーに通学する予定。部活は休むと思うけど」

 病院は完全看護だから、特にずーっと付き添いが必要ってわけじゃないらしい。

「……お弁当くらい、作ってあげようか?」

 言ってから、自分の言葉に自分で驚く。

「え?」

 糸田がびっくりした顔で私を見た。

「ご、ごめん。迷惑かな。でも、ほら、おばさんは私も知らない訳じゃないから、何か役に立ちたいなーって、ちょっと思っただけで」

 たぶん私の顔は真っ赤だと思う。体中がカッと熱くなってきた。

 あまりの恥ずかしさに、逃亡したくなってくる。

 玲子たちに囲まれて、変なことばっかり吹き込まれたから。お弁当を作るって、彼女でもないのに何言っているんだ、私。

「マジで?」

  絶対引かれると思ったのに、糸田は、嬉しそうに破顔した。

  柔らかなその瞳に見つめられて、胸がドキドキする。

「たいしたものは作れないよ……。私のお弁当を作るついでに作るから……」

 私の弁当は、高校生が作るものにしては、年寄り臭いといわれている。毎日弁当を作っていると、可愛くなんてしようと思わなくなるし(あくまで私自身がそう思うだけだが)、洋食も好きだが、弁当にするなら和食のほうが美味しいと思っている。

「遥の飯、旨いし。それに、作ってくれるなら、ふりかけごはんでも文句言わない」

 こっちが恥ずかしくて穴に隠れたくなるくらい、糸田のテンションがあがっている。

「ご期待に添えるようにがんばるよ……」

 ここは、ニッコリ笑顔のところなのに。恥ずかしくて、下を向いたままそう呟いた。

「ありがとう、遥」

 かつてないほどの爽やかさで、糸田がにっこり微笑んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る