カサゴは鍋に。想いは星に4<師走>

「ねえ、遥。今日のエサはどうするの?」

 ナギに問われて、私は、慌てて考えを振り払う。こんなことでは、せっかくの釣りが台無しになっちゃう。

「今日は、アオイソメにしようと思うけど……」

 私はそう言って、店の餌コーナーにみんなを案内した。

「由紀子ちゃん、平気?」

 おがくずに埋もれてうにゃうにゃ動く、それ。『ゴカイ』という呼び名が、一般的な通り名の生餌だ。 ミミズの親戚みたいな外見、というとわかりやすいかもしれない。ただし、ゲジゲジした毛のようなものがあって、足はないけど、ムカデにも似ている。

 お値段はお手ごろ。

 お魚の食いもよく「大磯釣具店」超オススメではありますが。

「……さ、触るんですか…それ……」

 由紀子ちゃんの顔が蒼い。永沢は、ポーカーフェイスで凝視している。

 まあ、可愛いものじゃ、ないよね。

「遥、オキアミは?」

 糸田が横から口を出す。確かに、イソメは無理でも、オキアミなら触れるかも。

「そうだね。じゃ、オキアミも用意するよ」

 私は店員モードになって、みんなの為に餌を量っていく。

「ねえ、遥ちゃん、餌って、なんでもいいものなの?」

 永沢が聞く。

「今日はロックフィッシュ狙いだから。根魚ともいうんだけど、あいつらは上から落っこちてきたものは何でも食べるの。今日は、イソメとオキアミ使うけど、切り身でもいいんだ」

「へぇ。面白いね」

「今日の狙いは肉食魚なの。たぶん、とっても美味しいよ。あと、カサゴを上げる時は、手を怪我しないように気を付けて」

 背びれが凄いから、というと、永沢がにこやかに頷く。

 平気でイソメを触る私を見ても、王子様笑顔、今日も健在。永沢は、私がそーゆー奴だって、とっくに見抜いていた感じだから、当たり前か。

「ねぇ、遥。糸田君と何かあったの?」

 餌を用意して、荷物をまとめていると、ナギがこっそり話しかけてきた。

「え?」

 つい、この前のことが頭をよぎる。

「いつの間に、『大磯』から『遥』になったの?」

「ああ、それ、ね」

 なんだ、そのことか、と思う。そういえば、糸田が私を遥って呼び始めて、それほど日は立ってない。 正直、永沢が『遥ちゃん』ってクラスで呼び始めた時のクラスメイトの反応のほうが、私には重要だったので、糸田のほうは、なんだか勝手に馴染んでしまった。

「大磯って、呼びにくいらしいよ。最近、クラスメイトのほとんどが名前で呼んでるもの」

「……それだけ?」

「やだなあ、深い意味なんてあるわけないじゃん」

 糸田の恋のためにも、ここは強調しておいてあげないと。

「ふーん。相変わらずだなあ」

 何が? と、聞いても、ナギはにっこり笑うだけ。

 でも、可愛いナギが笑うと、追及する気力はなくなる。女の私がそうなのだから、男性諸君は、イチコロだろうな。

「じゃあ、永沢君とはどういう関係?」

「どうもこうも……ただのクラスメイトだけど」

 私がそう言うとナギがぎゅっと、私にハグをする。

「遥ってホント可愛い。私が守ってあげなきゃって、思っちゃう」

 どういう意味かな? お嬢様は時々わからない……。

「ふたりで、何やっているんだ?」

 呆れた糸田の声が上から降ってくると、ナギは振り返って、糸田の肩をポンポンと叩いた。

「その言葉、そっくりお返しするよ。糸田君」

「……どういう意味だ?」

 永沢と談笑するナギの後姿を見ながら、糸田が私に聞く。

「私に聞かれても困るよ」

 首をひねりながら答える時に、ふと目が合う。この前のことが頭によぎって、なんとなく気まずくて。

「さ。釣り釣り。晩御飯のために、ガンバロー」

 さりげなく糸田の視線から逃げながら、私は荷物を手にした。


 風も少なく、思ったよりも穏やかな天気。空は澄んで青い。波も穏やか。

 今日は念のため、ライフジャケットを着用した。私たちは、波消し用のテトラポットの上を飛び歩く。

 運動神経抜群なだけあって、永沢は全然苦でもないようだが、由紀子ちゃんはインドア派なだけに、手を貸してあげる必要があった。それでも、迷惑かけないようにって、一生懸命でケナゲで可愛い。

 保さんが、絶妙なエスコートで由紀子ちゃんを助けてあげている。さすがに大人だ。

「由紀子ちゃん、いかにも女の子って感じで、可愛いなあ」

「遥とナギちゃんが、特殊すぎなんだよ」

 私の感想に、糸田が突っ込む。それはそうだ。

「じゃあ、由紀子ちゃんは私とナギで教えるから。永沢君をお願いね」

 糸田にそう告げて、私は由紀子ちゃんに仕掛けの付いた竿を手渡す。

 今日の釣りは、『穴釣り』。別名、『ミャク釣り』ともいう。岩場や、こういったテトラの海底に住む魚を釣り上げるのだ。

 ウキはつけない。餌が海底に沈んでいって、魚がいればガツンとすぐに当たりが来る。当たりがなければ、魚がいない。

 それくらい、シンプルな魚釣りである。

「魚がいれば、割とすぐに当たるの。手ごたえがあるから、初めてでもわかると思う。当たりが来たら、すぐリールを巻いて」

「待たないんですか?」

「うん。待つと、根魚はすぐに岩の下とかに潜るの。そうなると、糸が切れたり、最悪は竿が折れたりすることもある」

 私は、そっと餌をつけてあげると、比較的足場の安定した場所に由紀子ちゃんを立たせて、ポイントを指さした。

「ゆっくり落として。あ、足元には気を付けて。」

「遥、すごーい。インストラクターみたい」

 クスクスとナギがからかうけど。

 由紀子ちゃんは生まれて初めての体験だから、身体が緊張しているのがみていてわかる。

 そろりと糸を私の支持した場所に落としていく。大きな目が真剣で。

 いいな。こういうの。

 ふと、思う。自分もこんな顔で、父さんに教えてもらったのかな、と思う。

「あっ」

 ほどなくして。由紀子ちゃんの竿がしなった。

「巻いて! 由紀子ちゃん!」

「がんばれ!」

 私とナギの声を受けて由紀子ちゃんが懸命にリールを巻き上げた。

 魚影が見える。

「わぉ。アイナメだ」

「た、食べられますか?」

 由紀子ちゃんは、糸をひきよせながら、思わずそう口にする。

「美味しいよ。私、大好き」

 ナギが微笑む。

 私は、由紀子ちゃんに、魚ばさみを渡す。これは、ハサミの形をしたもの。今日ねらうカサゴのようにヒレが鋭い魚や毒ヒレのある魚を安全につかむための道具である。もちろん、アイナメなら素手でもいけるけど、生きた魚を素手でつかむのって、怖いかもしれない。

「糸を引き寄せたら、これで掴んで」

 緊張した面持ちで、由紀子ちゃんが魚をつかむ。

「わあっ。釣れました! お兄ちゃん、釣れたよ!」

 由紀子ちゃんがニッコニコの笑顔でアイナメを持ってはしゃぐ。

「じゃあ、針の外し方を教えるね」

 あんまり、由紀子ちゃんが喜ぶから。

 それが嬉しくて。自分はほとんど釣らなかった。

 由紀子ちゃんは、午前中に餌のつけ方と、針の外し方をしっかりマスターして釣り教室を卒業してしまった。


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