コイの季節7<晩秋>
沼野先生の家に帰ると、座敷でたくさんの人たちが、私達を待っていた。
「お姉ちゃん、本当にありがとう」
唐突に男の子に、大きな花束を渡される。
よく見れば、あの時、溺れていた子供だった。
「和樹も無事、退院できました。本当にありがとうございました」
子供のお母さんとお父さんが、深く頭を下げる。
「いえ、元気になって本当によかったです」
私は思わずうつむく。照れくさいのと、嬉しいのが入り混じって、どんな表情をしていいかわからず、もらった花束に顔をうずめた。
「お姉ちゃん、こっち来て写真撮ろうよ」
声をかけられ、私は、そちらへ移動した。
ピンクの可愛い帽子を、女の子が握りしめている。
「その帽子、見つかったの?」
コクコク、と、女の子が頷く。そもそも、この可愛い女の子の帽子が沼に落ちてしまったのを、仲良しの男の子たちが拾うために舟に乗ったらしい。
幼いとはいえ、泣かせる男心である。
彼女の女子力は、私以上に違いない。
和樹君も入り、他の子供たちもいっしょに、私は仲良く記念写真を撮った。釣りも楽しかったけど、それ以上に嬉しかった。
「大磯、お礼に、鯉を頂いたぞ」
言われなくても、鼻孔をくすぐる美味しそうな香り。
沼野先生の言葉に言われて、テーブルを見れば、鯉だけでなく、美味しそうなごちそうな皿がたくさん並んでいる。
「遥先輩のために、作りました!」
由紀子ちゃんが自慢げに料理を披露する。
「あれ、これ、すごい。何?」
メロンだと思うけど、すごい細工を施してある。花がいくつも彫り込まれ、まるで彫刻のようだ。
「フルーツカービングです。私、得意なんですよ」
圧巻である。テレビで見たことがあったが、本物は初めてだ。
「ここまでくると、職人技だな……」
糸田が感心してしげしげと眺める。
「遥が出かけている間に作ったから、結構たいへんだったんだよ」
美紅がくすりと笑った。
「和樹君が絶対、遥さんにお礼を言いたいって。昨日、先生に連絡があったらしいの。遥さんは今回、体調崩しちゃったから、最後ぐらい、パーッと楽しんでもらおうってことになったの」
中野さんが笑ってそう言った。
あれ?
いつの間にか、中野さんも私を名前で呼んでいる。恐るべし。永沢兄妹の影響力。
「そんな。本当にありがとう」
みんなが私の為に隠そうとしていたのを、仲間外れにしていると思った自分が恥ずかしかった。
「よし。じゃあ、みんなそろったところで、食べるぞ」
先生の合図で、私たちは席について、食事を始めた。よく見ると、あの時の消防団っぽいひとたちも来ている。
「うわー、すごい美味しい! こんなにおいしい鯉こく初めて!」
少しも臭みのない鯉の味わい。骨は確かに多いから、ゆっくりしか食せないけど。
「鯉だけじゃなくて、マスもあるよ」
永沢が甲斐甲斐しく、私の前に皿を持ってきてくれる。
コイもマスも滅茶うまい。幸せである。
「遥ちゃんは、本当に、釣るだけじゃなくって、魚が好きなんだねえ」
感心したように、永沢が私の満面の笑みを見て、言う。
「こいつ、魚釣るために、水泳部に所属しているくらいだから、当然だろ」
ぼそり、と糸田が言う。
「魚の気持ちがわかるとか?」
きょとん、とした永沢の答えに、糸田が大笑いする。
「そんなメルヘンな理由じゃねえって。投げ釣り用に、身体鍛えているんだそうだ」
「女子だからという理由で、サーフは無理って言われたくないですから」
つい、私は、口をとがらす。
「サーフ?」
「砂浜からの投げ釣り。女性の釣りびともいるけど、こいつ、飛距離が男並み」
「遥ちゃんらしいな」
永沢がくすくす笑う。それほどサプライズでもないらしい。
糸田もそうだが、永沢の目に私はどう映っているのやら。
「お兄ちゃん、全然、攻めてない。つまんないぞ」
由紀子ちゃんが口をはさむ。
何の話? と聞くと、永沢が由紀子ちゃんの頭を軽くこついた。
「遥ちゃんのおかげで、沼野先生も株が上がったみたいで良かったよ」
ほとんど会話をしたことがないはずの、山倉にまで名前で呼ばれた。なんなんだろう。この浸透力。
私がそういうと、
「だから、そう言ったじゃん」と、永沢が笑った。
「大磯って、言いにくいのよ」
美紅が口を添える。そういうものか。それじゃあ、頑なに名を呼ばない糸田は逆に希少かもしれないと思った。
宴が終わり、私達は駅まで車で(今度は全員!)送ってもらった。
荷物を持って歩いていくと前の車で到着した糸田達が待っていた。
「遥、切符」
「ありがとう」
糸田から、切符を受け取りながら、何気なく顔を上げると、糸田の顔がほのかに赤い。
「……名前で呼んでいいって、言ったよな」
「え? ……う、うん」
頷く私に、照れたように糸田が背を向けた。
「行くぞ、遥」
その時。糸田に「遥」と呼ばれて、自分が、何の違和感も感じていなかったことに驚いた。
なぜなのか、わからない。
それにどうして急に名前で呼ぶ気になったのか、と思う。
そういえば。
糸田は「ちゃん」で呼びたくないって言っていたっけ。
確かに、今さら「遥ちゃん」と糸田に呼ばれたら、くすぐったいかもしれない。
そして。ああ。案外。ひょっとして。
永沢に妬いてくれてたんだ。
そう気が付くと、自然に笑みがこぼれた。
小さな駅舎を晩秋の日が優しく包んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます