カサゴは鍋に。想いは星に1 <師走>
十二月に入ると、日の落ちるが早い。
「お疲れさま」
「じゃあ、遥、後お願いね」
「了解」
私は、部室兼更衣室の戸締りをした。今日来ていた部員のほとんどは、バス通学組。時間的に、猛ダッシュでバス停にいかないと、乗り遅れてしまうのだ。
電車通学組の私は、時間に余裕がある。急いだところで、ホームで寒風にさらされる時間が長くなるだけ。そう思えば、鍵当番も苦痛ではない。
「それじゃあ、帰りますか」
ひとりごちて。
忘れ物がないかを、もう一度だけチェックしてから、ドアのかぎを閉める。
寒い。
シベリアから寒気が遊びに来ているって気象庁が言っていたっけ。私は、コートの上にマフラーを巻きつけた。
足元から冷気がのぼってくるように、底冷えしている。
「ごめん。俺、好きな人がいるから……」
不意に、男の声に気が付いた。
水泳部の部室を出ると、プールと体育館の間にあまり人がこない空間がある。
私達水泳部では、その場所を『告白聖地』と呼んでいた。
夏はともかく、プールの使えない長い秋から春にかけて、そこは運動部系の部室が近いということもあって、やたら告白場面を目撃する場所である。
水泳部以外、誰も通らないのをいいことに、である。
だいたい、私達水泳部は冬季の間、週二回しか練習しない。それなのに、去年は十組近いカップルの現場に遭遇した。
興味がないわけではないが、あまり他人の告白現場は見たくない。上手くいったら、目の毒になる場面に突入することもあるし、上手くいかなかったら、他人事だとはいえ胸が痛む。
もっとロマンチックな場所でやってくれよ。
そう思いながらも、声のほうに、つい視線を向ける。
我ながら、野次馬で悪趣味……?
突然、脱兎のごとく涙をためた女の子が私の前を走っていく。
あの子は、確か女子バレー部の一年生の子じゃなかったっけ?
いけないと思いながらも、記憶の中を検索しながら、残された男子のほうに目をやった。
「遥?」
訝しげな、聞きなれた声。暗闇で表情は読み取れないけど。
「糸田……」
そこに立っていたのは、長年の釣り仲間である、糸田亮だった。
笑顔を向けるのも躊躇われ、かける言葉もなく、私は立ち尽くす。
糸田は、首を振って、私の傍らまでやってきた。足取りがいつもより重い。
「見てたのか?」
いつになく不安げな声で糸田が口を開く。
「ごめん。偶然、通りかかっただけだよ。覗こうとしたわけじゃないから」
本当のことだけど、なんとなく言い訳じみた言い回し。実に、気まずい空気だ。
「今から帰るのか?」
「う、うん。」
いつもは鋭すぎる眼差しが、とても弱々しい。何を話したらいいか、思いつかない。女の子をフッた直後の男にかける言葉など、私は知らない。
相手をフッたのであれば、もっとスッキリした表情でもいいと思う。
でも、糸田の顔は、私が女の子をフッたことを責めているのではないかと、疑っているような顔だ。
非難されても仕方ないと思っているようにみえる。
そんなこと、する気もする権利も、私にはないのだけど。
たぶん、女の子を泣かせたことで糸田自身も傷ついている。
本当に真面目で優しい奴だと思う。
「もう暗い。送ろうか」
「い、いいよ。鍵、職員室に置いて来なくちゃいけないから」
じゃあね、と言うと腕をつかまれた。
「……待ってる」
懇願するような口調に、断り切れず思わず頷いた。
「遥ちゃん、ヤッホー」
明るい、楽しげな声に視線を上げると、笑顔の永沢と、不機嫌な糸田のツーショットが目に飛び込んできた。
糸田と二人になったらどうしようと思っていたので、永沢の存在にホッとした。
「どうしたの? 永沢君」
下駄箱から、靴を取り出し履き替える。
この二人、セットでいる時は、たいてい糸田の機嫌が悪い。それでも、さっきの弱々しい糸田より、余程いい。
「亮が、帰ろうとしないからさ、何かなあって思ってさ」
「永沢君も電車だっけ? 一緒に帰る?」
糸田が一瞬、私を見る。なんとなく非難がましい。
「遥ちゃんが誘ってくれるなら」
永沢がにっこり微笑む。相変わらず、かっこよすぎて目のやり場に困る。
いつもなら、熱狂的なファンのいる永沢を私から誘うなんて、絶対にそんな地雷を踏むようなまねはしないけど。
今日は陽だまりのような永沢がありがたかった。
とはいえ、長身の男子二人に挟まれて歩くのも、変な気分だ。
この二人、他の人の話を聞くと仲は悪くないはずなのに、私の前で会話が弾んでいることってめったにない。
「寒くなったね」
他愛もないことを口にしてみる。
事実、寒い。日が落ちると気温はぐんぐんと下がっていく。
「ひょっとして、二人で約束してた?」
糸田がむすっとしているせいか、永沢は私と糸田の顔を見比べそう言った。
「うーん」
私は、首をひねる。否定するのも、肯定するのも変だなあと思う。
「さっき、部室から出てきた途中で会ったから、糸田が帰りを心配してくれたんだ」
「最近は、暗いからね」
永沢が納得する。
「うちは駅から自転車ですぐだから、大丈夫なんだけどね」
私がそう言うと、糸田が「バーカ」と言いながら私の頭を叩く。
「駅の駐輪場にちかんが出たって話、知らないのかよ」
「ちかんだって、相手を選ぶんじゃない?」
私がそう言うと、頭の上で、糸田と永沢が顔を見合わせている。
「……俺も、送ろうか?」
不安げに永沢がそう訊ねてくる。なんでそうなるのかな?
「大丈夫だって。それに永沢君は、降車駅、違うでしょ?」
「遥ちゃんは、少し、不用心すぎる」
ぼそり、と永沢が呟く。
「そうかな」
「お前、暗くて人通りの少ない道を、近道だって喜んで通るだろ」
うっ。そうかも。
糸田の指摘を否定できない。
「遥ちゃんは確かに男性っぽいところがあるけど。別に、外見が男っぽいわけじゃないよ」
永沢が私をチラチラ見ながら、そう言う。永沢って言い回しが優しい。
モテる男は違う。
「世の中には、制服着た女子高生なら何でもいいって人種も存在するし」
糸田がボソリ、とそう言う。
糸田のほうが正直だと思うけど、言われて嬉しくはない。
「わかりました。以後、気を付けます。一人の時は近道もしません」
とりあえず、反省の言葉を口にする。
黙っていると、ふたりとも週二回の部活の日は、家に送ってくれるとまで言いかねない雰囲気だった。
心配してくれるのは、嬉しいし、有難いけど、彼女でもない女をそこまで過保護にするのは、二人ともどうかと思う。心配すべき相手は、他にいるだろうに。
駅に着くと周りの商店街のイルミネーションが目に入った。
「今年は、去年より派手だねえ」
「LEDになって、電気代、減ったし」
「そーゆー問題か?」
男二人。女一人。カップルだったら思いっきりロマンチックな光景になるだろう電飾を茶化しながら、私たちは駅の改札をぬけ、プラットホームに立つ。
「遥ちゃんは、クリスマス、何か予定があるの?」
「バイトだよ」
「自宅の店番?」
永沢の質問に首を振る。
「違うよ。釣りクラブの会長のお店の手伝い。料理屋さんなの。忘年会や新年会で、人手がいるから年末年始だけ手伝いに行くの。ね?」
応えながら、糸田のほうに同意を求める。
「ああ」
少し不機嫌に糸田が頷く。前から思っていたが、糸田は私と一緒に何かすることを永沢に話されるのを嫌がっているようだ。
私の見ていないところで、冷やかされでもするのだろうか。
永沢はそういうタイプに見えないけど。
「じゃあ、年末年始は、釣りに行かないの?」
「社会人は何かと忙しいから無理らしいよ。だから、今月は学生班だけで釣りするの」
糸田の反応も気になるが、永沢の問いに応えないのも変だ。別に変なこと、聞いているわけじゃないし。
「学生班って、そんなに何人もいるの?」
「言っても、四人だけなんだけどね。」
「……実際来るのは、五人だけどな」
ボソリ、と糸田が付け加える。
表情も怖くない。この話題はいいのかな、と思う。要するに私と二人きりじゃなければ、いいのかもしれない。
そういえば。あの時。
『俺、好きな人がいる』
そう聞こえた。
断りの常套句だけど。本当にそうなら、私とよくつるんでいることを、他人に宣伝したいはずはない。
それなら、どうして送ってくれたりするのだろう。
糸田の横顔を見上げたけど、暗くて表情は見えなかった。
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