コイの季節4 <晩秋>

先生の実家で風呂に入り、着替えを済ませた私は、沼野先生に連れられて病院に行った。

 由紀子ちゃんもついてきてくれて、なにかと世話を焼いてくれた。

 検査をいくつかした後、熱がでてきたので、点滴を受け、さらに注射もされた。

 家に着いたら、既に日は落ちてしまっていた。

 温かいごはんを少し頂いたところまでは、記憶にあるが、気が付いたら次の日の朝で、布団の上で服のまま寝ていた。

 あとで美紅に聞いたところ、食後、部屋に戻ろうとしたところをぶっ倒れ、永沢に抱きかかえられて部屋に運ばれ、寝かされたらしい。

 我ながら、なんて恐ろしいことをしてしまったのか。

 我がクラスの熱心な永沢ファンに知られたら、完全に袋叩きである。美紅には誰にも話さないでと頼んだ。全員にも徹底せねばと思う。

 翌日になって、熱は下がったものの、私は沼野先生に外出禁止令をくらった。

 何しにここまで来たのだろう。

 みんなは気を使って、様子を見に来てくれたし、午前中は消防の人に話を聞かれたり、子供の親さんたちがお礼に来たりしたから、ひとりでずっと寝ていたというわけではない。

 しかし、午後になって、みんなが近所の神社の秋祭りに行ってしまうと、ひとり、竿の手入れをして時間をつぶした。

 食事の時間が終わり、一度は帰宅したみんなが今度は夜祭に繰り出してしまい、私は、また一人になった。

 退屈である。

「まだ、熱、あるのか?」

 客間に用意されたこたつにくるまっていると、心配そうに糸田が声をかけてきた。夜祭を途中で抜け出してきたらしい。手に何やら土産を持っている。

「ううん。大丈夫。平気」

 言いながら、つい、昨日のことを思い出し顔が熱くなる。

 正常な判断が下せる状態でなかったけれど、下着姿をさらした挙句、ジャンパーの胸元のファスナーを上げてもらうという超恥ずかしいことをお願いしてしまった。無防備すぎた私をどんなふうに思ったのか、聞くのが怖い。

「昨日は、ありがとう。ジャンパー、沼臭くならなかった?」

 糸田と目を合わせないように、切り出す。沼から出て、濡れたまま着たジャンパーは、かなり湿っていた。糸田のお気に入りだと知っているだけに、気が引けた。

「へんな心配するな。それより、もっと体に気をつけろ」

 糸田がムッとしたような声を出す。

「昨日みたいに、限界まで頑張るな。剛の前で倒れやがって……」

 どうやら、昨日の夜の事を怒っているらしい。

「ごめん。私、みんなにいっぱい迷惑かけたね」

「別に迷惑じゃないよ」

 振り向くと、永沢がやっぱり何か土産を持って部屋に入ってきた。

「亮、ぬけがけはダメだぞ」

 私の上で、糸田と永沢が視線を交わしている。なんなんだ?

「遥ちゃんは、子供を助けた英雄なんだから、何も気にしないでいいよ」

「あ、ありがとう」

 言いながら、違和感に首をひねる。

 あれ? 永沢に今、遥ちゃんって呼ばれた?

「剛、さりげに名前呼ぶなよ」

「ん? 由紀子がそう呼んでたから。ダメだった?」

 糸田の指摘に、悪びれた様子もなく永沢が私に聞く。

 下心を全く感じさせない爽やかな笑顔。

 そんな笑顔を向けられたら、恋心なんてなくても、ドキリとする。美形ってコワイ。

「ダメってことはないけど……」

 そもそも名前で呼ばれることは嫌いではない。しかし、だ。

「変な噂になったりしたら、お互い面倒じゃないかなあって思ったり……」

 永沢は知らないのだ。

 文化祭で永沢の許嫁役の姫をやった子が、どれほどクラス女子の中で羨望と嫉妬を受けたのか。もちろん、彼女自身が、嬉しさのあまりに浮かれていたという面もあるけれど。

「遥ちゃんなら大丈夫。その程度で噂になるなら、文化祭の時になっているはずだ」

「……意味がわかりません」

 思い返せば、王子様に横恋慕した魔女は、王子の腕の中で死ぬというラブシーンっぽいのはあった。

 しかし、所詮、魔女は悪役だ。ぬるい抱擁だけとはいえ正真正銘のラブシーンがあった姫君役をさしおいて、私が噂になるわけないじゃないか。

「たぶん、一週間したら、クラスの男子全員が、遥ちゃんって呼んで、終わりだと思う」

 意味は分からないが、そこまで自信たっぷりに言われると、抵抗する気もなくなった。

「……それは、そうかもしれないな」

 不機嫌そうに、糸田が頷いた。なんか、先ほどから糸田が怖い。

「永沢君がそう呼びたいなら、別にいいよ」

 諦めて承諾する。

「そんなに怒るな。亮も、呼べばいいだろ?」

「大磯を、今さら「ちゃん」づけで呼べるかよ……」

 ……それは、私を女性として意識したくないと言う意味だろうか。なんか寂しくなった。

「もういいよ、そんなのどうでも。それより、二人ともお祭り、わざわざ抜けてきてくれたの?」

「退屈してるだろうと思って。土産」

「俺も、人ゴミ苦手だから」

 二人はそれぞれ手にしたビニール袋を私に差し出した。

「うわあ。ありがとう!」

 たこやきとアユの塩焼き。イカの姿焼きにトウモロコシ。二人が私の好みを考えて買ってきてくれたのがよく伝わってきた。

「みんなで食べよ。ホント、嬉しい!」

「お前、本当に食い気ばっかだな……」

 呆れる糸田を私は無視した。どーせ、私は下着姿をさらしても、女として見てもらえない人間ですから。

 湯気を立てるご馳走を前に、ちょっとだけ悲しくなった。


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